あかねの子児童文集コーナー

児童文集あかねの子発刊に寄せて

 この度、児童作文集『あかねの子』を発刊するに当たり、その目的及び意義について述べてみたいと思います
 この児童作文集は、昭和五十年代、千葉県下の、とある小学校児童の作文を収録したものです。この作文集は、当時、私が初めて勤務した小学校での取り組みの、ほんの一部の児童作品を紹介したものです。この時代は、学校を挙げて、作文教育研究への取り組みがなされ、その六年間の研究の成果でもある、数々の優れた児童作文が産み出されました。そうした中で、これまでの過去の研修の足跡を、少しずつ掻き集めて、この一冊にまとめて文集にしたものが本書なのです。当時の研究主任であった、故武田和夫先生のご指導のもと、各学級担任が日々の日記指導や生活作文を中心に、寝るのも厭わずに、研鑽を重ねてきました。そうした実践のもとで、作り出された作品が本書には掲載されています。なお,作品は全て無記名で出典されています。
 さて、この作文集の発刊の目的と意義についてですが、次のように考えています。生活作文を書かせる目的は、児童一人一人の豊かな人間性と論理的思考力の育成を図ることです。併せて、豊かな文章表現力の向上を目指すことに異論はありません。
 現在の児童を取り巻く社会環境は、デジタル化の流行によって、教育もその例外に漏れず、ギガスクール構想の一環なのだそうですが、児童一人一台のタブレット端末が整備されました。新型コロナウィルスの感染拡大防止との理由で、オンライン学習が推奨され、学習のデジタル化が加速度的に進んできました。
 こうした教育環境の中で、見失ってはいけないものが、教育の不易と流行という命題です。学習のデジタル化の波は、明らかに現在の流行であり、最先端の教育工学ともいえるでしょう。確かに学習効果におけるメリットも大きいものと想像できます。しかし、小学校時代に本を読んだり、計算をしたり、文章を書いたりする学習の土台となるものは、現在でも不易であります。子どもの学習の習得過程は、手で書く作業を通して初めて脳に記録され、それが蓄積されることによって、知識となり論理的思考が可能になってきます。デジタル化の流行は、それらを補う補助的な存在と捉えることが、大切なことではないでしょうか。こうした時代にあっては、流行と不易、そしてデジタルとアナログの融合を考えながら、バランスのとれたハイブリッド型の教育活動が、とても重要であると思います。
 次に、生活作文を書かせる現在的な意義について述べてみたいと思います。かねがね我々の恩師であった武田先生は、生活作文を書かせる意義について、こう述べていました。子ども達に作文を書かせるのは、自然・人間・社会との関わりを、自分の五感でどう捉え、そしてそのことが、自分とどう関わっているのかを発見したり、感じたりすることにあるとしました。作文を書くことで、自分のあり方や生き方についても筋道を立てて考えることができ、児童の成長や発達に極めて有効な手段であると力説していました。では、なぜ生活作文かといえば、その理由はこうです。現在の学校教育の中で、文章表現力を向上させようとする試みは、所謂、教科書作文(教科書の課題にそって書かせるもの)、行事作文(イベントなどがあった時に書かせるもの)、お出かけ作文(長期の休みの後に書かせるもの)、そして、コンクール作文(読書感想文や何かのコンクールに応募するために書かせるもの)が主なものとなっています。こうした試みは、ある程度の表現力の向上にはつながるでしょうが、自然・人間・社会との関わりについての視点が欠けており、個人差による作文力向上には、全く寄与していないと考えます。
 まして、現在の児童を取り巻く環境は、デジタル化が生活の大部分を占め、オンラインゲームやユーチューブの動画が深く生活の中に入り込んでいます。すっかりゲーム漬けになってしまった小学生やSNSなどのコミュニケーションツールに依存症を心配される小中学生に、日本の明るい将来を託すことができるでしょうか。ましてやAIと言った人工知能や生成AIやチャットGPTに代表される最新のICTの技術は、最早後戻りのできない人類にとっての最大の脅威と未来に対する可能性を秘めたツールとして存在し続けております。教師にとって黒板の文化からタブレットのホワイトボードの文化へと移行している現実があります。従来からある黒板の板書は、今やタブレットのカメラから一発撮影され、子どもたちはこれで授業が完結するのです。鉛筆を使った書く作業はなくなるのです。書くことは教育にとって不易なことは自明の理です。現場に携わる一教師として、必然的に教育の原点に立った揺れ戻しが必ず訪れると思っております。
 こうした現在の抱える課題に対して、もう一度児童の生活を見直し、生活作文を書かせることで、家族の在り方や生活のしぶり、学校生活における子ども同士の関わりあい、自然や社会に対する観察力などに目を向けさせた作文教育が、正に今の時代に必要なのではないでしょうか。作文指導は、とてつもなく長い長い時間を要する作業です。到底以前のように、学校教育課程の中での実施は困難であります。働き方改革という時代の要請からも、長時間にわたる労働を強いられる作文教育は、現場を担当する教師にとって、大変な負担がかかります。しかし、児童一人一人の豊かな人間性の育成と豊かな文章表現力向上には、なくてはならないものが、作文教育であると自負しております。この本書を読んでいただいた方々ならば、その必要性を感じてくださるのではないでしょうか。こうした思いから、学校現場でできないものを創設し、一人一人の児童のため、そして、これからの日本の将来を担う子ども達のために、『あかねの子作文教育研究所』を立ち上げました。因みに、あかねの子の名称は、恩師である武田先生が、学校文集として児童の作品を掲載した時の、当時の文集の名前から由来しています。
 最後に,この研究所から作文教育の新たな流れを発信させ、昭和に書かれた児童の作文集をより発展させて、令和の時代に継承することができれば、これ以上の喜びはありません。本書がそうした手助けになればと、心より願っております。
            あかねの子作文教育研究所 代表 金澤 秀雄

児童文集「あかねの子」A5版443ページ

作文掲載を再開します!

今回から6年生の作文を掲載します。

ご愛読ありがとうございました。

今回が最終回です!

すずめのす

  つい最近見つけた  すずめのす。
  私の家の屋根の近く。
  親鳥がえさをさがすにも
  こどもが心配なのか
  私の家からはなれない。
  朝まだ私がねむっているとき
  チュッチュッチュッ。
  鳴き声が 聞こえてくる。
  すずめのめざまし時計だ。
  すがすがしい朝。 
  すずめさん  
  今日も一日がんばってね。

👍 すずめの巣を見て詩を作ったのですね。すずめのさえずりで目を覚ますなんて、何とすてきな朝な のでしょう

ふじの花 

  雨あがりの帰り道。
  どこかの家の庭に たくさんのふじの花。
  あわいむらさき色の かわいらしい花。   
     おたがいをかばうように さいている。
  ふじについている 雨のしずくが
  きらきら きらきら かがやいて
  私の目に まばゆい。
  そのかがやく ふじの花は
  ダイヤモンドよりも
  もっともっと                       
  ねうちがあるのかもしれない。        
 
👍 花を見たときのことを 詩にしたのですね。雨上がりのきらきら光っている、ふじの花きらきら光っている、ふじの花 の美しさが心に浮かんできます。                                          

 らっきょうの皮むき

  夜、台所の前を通りかかると、お母さんが台所で後ろ向きになって、何かやっていました。不思議に思って見てみると、らっきょうの皮をむいているのでした。お母さんは、 なんとなくめんどくさそうにやっていました。
  らっきょうで思い出すのは、よくマーケットなどで売っている小さいびんに入った物です。ぼくは、それしか思い出せないので、(へえーっ、こういうふうにやるのか。)と思って見ていました。見ていると、とてもめんどうくさそうでした。
  次の日、学校から帰ってくると、お母さんが、
 「らっきょうの皮むきやってよ。」
 と、いそがしそうにしながら言いました。ぼくは、あまりやる気がしませんでした。すると、お母さんが、
 「らっきょうの皮むきやっていると、手がしびれるんだよ。」
 と言いました。ぼくは、おどろいて、
 「えーっ。」
 と言ったら、お母さんは、わらいながら、
 「うそだよ、うそ。」
 と言いました。それで、少しはやる気がでてきました。やってみようかなと言う気持ちが出てきました。
  まず最初は、らっきょうのどろ洗いです。大きな入れ物に水をたくさん入れて、その中に、ふくろの中にいっぱいつまったらっきょうを入れます。お母さんは、最初、
 「どろを洗って、皮をむくだけでいいよ。」
 と言ったので、さっそくどろを洗いはじめました。親指でどろをこすって、一つ一つ洗います。それに、どろを洗い落としてもよごれている皮は、ひと皮むくのです。この時、 失敗して、たくさん皮がむけてしまったのもありました。
  皮をむいたら、近くに置いといたざるに入れておきます。洗いおわったものを見ると、きれいになっています。それを見ると、ぼくは、またやる気が出てきました。続けてやって、ようやくなれてきたところに、お母さんが見にやってきました。
 「なあんだ、ここまでやったなら、こうやってくれなきゃ。」
 お母さんは、そう言うと、ほうちょうを持って、らっきょうの先っぽと、後ろの所を切りました。
  まだ切ってないらっきょうの先っぽと後ろを見てみると、先には、芽のようなものがあって、後ろには、黒くなった短い根っこのようなものがはえていました。ぼくは、あまりよくわからないけど、、だいたいそこは、きたないから切るのだと思いました。
  ぼくも、ほうちょうを持ってきてみました。まな板の上にのせて切ります。これもかんたんそうで、なかなかうまくいきません。大きく切りすぎたり、少ししか切れなかったりしました。
  いちおう切りおえて、またどろ洗いと皮むきにうつりました。ひとつのらっきょうの皮をむいた時でした。思いっきりいっぱいむけてしまい、(あ、やばい。)と思ったしゅん間、目が急にいたくなってきて、なみだが出てきました。
 「わあっ、なんだ。」
 と言ったあと、まばたきをしたら、皮がすごくむけてしまいました。(ちくしょう。)と 
思って、もう一回むいてみたら、今度もまた、目がいたくなって、ぼくは、
 「うわぁーっ。」
 と、言ってしまいました。
  もうこのいたさはたまらなく、鏡を見てみたら、目がもうまっ赤になっていました。 (くーっ。)と思って、もう一度皮をむいたら、どうにかうまくいったけど、また、その次は失敗して、目がいたくなってしまいました。
  そんな事をやっている間に、そろばんじゅくに行く時間が、だんだんせまってきました。あと二十分ぐらいです。やっきょうを見てみたら、まだいっぱいあります。ぼくは、(どうしよう。)と思ったけど、(考えてるひまはない。)と思って、また急いで皮をむき始めました。
  また、目がずいぶんいたくなったけど、(そろばんにおくれたらだめだ。)と思って、いっしょうけんめいやりました。
  やっと、終わりました。時計を見ると、そろばんに行くのに、あと五分ぐらいでした。行く前に、ちらっと鏡を見てみたら、目がすごくまっ赤でした。次に、手のにおいをかいでみると、すごくらっきょうくさくて、もうたまりませんでした。しょうがないので、手と顔を洗って、そろばんじゅくまで急いで行きました。けっきょく三時間ぐらい、らっきょう洗いをしたことになります。おかげで、少しおくれてしまいました。
  そろばんじゅくから帰ってきたら、ぼくは、お母さんにこう言いました。
 「もう目がいたくて、いたくて、たまらなかったよ。」
 すると、お母さんは、
 「うん、そうだねえ。そんなめにあうと、あのびんの中に入ってるらっきょうの皮をむいた人は、どれだけ大変かよくわかっただろう。それに、あのびんに入っているらっきょうと、どろのらっきょうと比べたら、けっこう値段がちがうわけもわかるだろう。」
 と、言いました。
  ぼくは、(ううん、なるほどなあ。)と、思いました。(らっきょうをつけるまでには、いろんなことをやるんだなあ。びんのものをつくる人は、もっと大変なんだなあ。)と、ぼくは、この仕事を自分でやってわかりました。

👍 らっきょうの皮むきをして、とても大切な事に気がついたのですね。お母さんの言った言葉から、らっきょうを作っている人の苦労が分かり、自分で経験してみてよかったですね。玉ねぎと同じようにらっきょうも、目には入ると痛くなるのですね。

働く母

  ぼくの母は、朝から晩まで働いています。
  ぼくの家は、八百屋で、いつも朝五時半ごろ起きます。お父さんが、市場に行くので、いっしょに起きるのです。朝、六時半ごろ、ぼくが起きると、ごはんを作っています。テレビを一チャンネルから、十チャンネルにまわすと、母は、
 「朝っぱらから、マンガばかり見るんじゃありません。」
 と、一チャンネルのニュースにかえてしまいます。
  ごはんを食べおわると、朝から働きにいく行商のおばさんが、いろいろ買っていきます。この時のお母さんは、とてもいそがしいです。ぼくが、学校に行こうとして、
 「お母さん、ノート買うから、お金ちょうだい。」
 と言っても、
 「今、いそがしいから、ちょっと待ってて。」
 と、言うくらいです。それでも、ぼくが、
 「早くして。」
 と言うと、母は、
 「少しぐらい、待ってくれたっていいでしょう。」
 と言います。
  九時になると、行商のおばさんたちが帰ったあと、店を開きます。みかんの空き箱を使ったりして、やっと十一時ごろ店らしくなります。
  それから、一時間ぐらい、店の番をしています。お手伝いの秋本さんが、昼食の時、番をしています。昼食は、なるべく早くできあがる物をえらんで作っています。あげものをとなりの家の肉屋で買ってきて食べたり、ひややっこを食べたりしています。食べ終わって、二十分ぐらい休んでいます。
  そして、一時ごろから、秋本さんを帰らして、店の番をします。三時半ごろに、やっとお客さんがたくさんき始めたころ、ぼくが、学校から帰って来ます。
  夕方は、一日の中で一番お客さんが多い時間です。一時間で、お客さんが十人から三十人ぐらいきます。
 「いらっしゃい。」
 お母さんは、やさしく声をかけます。つつみおわって、お客さんが帰るときは、
 「ありがとうございました。」
 と声をかけます。
  店をしまうのは、七時ごろです。それから、夜食作りです。二十分ぐらいして、ごはんを食べます。それから、ぼくがふろに入って、終わったら、フルーツを出してくれます。それから、お母さんは、お金をかぞえたり、市場から仕入れた物のお金を合計したりしています。
  そして、時々、ぐったりこたつでねています。でも、ねていないひまな時は、よくそうじをしています。ぼくは、(そうじをやるぐらいのひまがあれば、少しぐらい休めばいいのに。)と思います。ぼくがねる前に、ふろに入ります。
  それから、すぐねないで、お父さんと、少しビールを飲んでいます。そして、十時ごろせんたくをして、十一時ごろにねます。
  休みの日は、いつもどこかに出かけます。日曜日は店を開いて、月曜日を休みにしています。肉を食べに行ったり、やきとりを食べに行ったりします。デパートなどに、ゆっくり買い物に行ったりもします。
 でも、ぼくは、働いている母の方がいいと思います。

👍 店(八百屋)で働くお母さんのことを書いたのですね。朝早くから夜おそくまで働いている、お母さんのようすがよく伝わってきます。また、お母さんの健康を心配している、やさしさも感じられます。働いている時のお母さんの姿が、一番輝いて見えるのですね。     

物いじりが好きなお父さん

 お父さんは、毎日午後九時から十時ごろに帰ってきます。午後十一時ごろ帰って来ることもあります。だから夜は、自由な時間がありません。ただ、夕食を食べておふろに入って、ほんの少しの自由の時間を使い、あとはねるだけです。夜は、何もできません。そんなお父さんが、修理に熱中するのが、休日です。よく休日には、物の修理をします。しかし、休日は、あまりありません。祭日は休めないし、日曜日だって休めない時もあります。
 前にうちのテレビが、こわれた時があります。その日は日曜日なのに、お父さんが見あたらないのでおかしいと思い、二階の部屋や下の部屋など探してみました。そして、 書斎にはいると、そこでお父さんが何かやっているので、
 「なにやってるの。」
 と聞きました。しかし、返事がありません。それで見にいくと、映りが悪くなってしまったテレビのうらを開いて、中を見ていました。電流計を使って、電気が流れているかどうか調べたり、かがみを使って、すみずみを見たりしていました。ぼくは、その近くのソファーにねっころがって、
 「直りそう。」
 と聞くと、
 「うるさいな。向こうへ行ってなさい。」
 と言い、答えてくれません。ぼくは、お父さんの言葉にムッとして、部屋を出ました。
  少し時間がたち、ぼくとお兄ちゃんは、となりの部屋で、かべや物に体をぶつけながら、キャアキャアとふざけ合っていました。すると、ガラガラガラと音がしました。向こうを向いてみると、とびらが開いて、お父さんが立っていました。ぼくが、(どうしたのかなあ。)と思っていると、お父さんは、いきなり、
 「うるさい。外でやれ。」
 と言い、ドアを閉め、書斎に入ってしまいました。いつもは、やさしいお父さんが、あんなにおこったんで、ぼくとお兄ちゃんは、びっくりしてしまい、そのまま、ぽかんとしてしまいました。
 他にもあります。ヒーターが故障した時もそうです。その日は、秋の寒い日で、夕方ヒーターをつけようとしました。ところが、そのヒーターは、春から使っていなかったせいか、スイッチを入れてもつきません。お父さんは、その日休みだったので、さっそくドライバーなどを持ってきて、ヒーターを分解していきました。その時、お父さんは、慎重でした。一つ一つネジを分けて、ネジの一つ一つが、どこのネジか分かるようにしたり、ほこりがついていると取ったりしていました。でも、
 「だめだ。もとにもどそう。」
 と言い、ネジでとめていきました。ぼくは、(お父さんにしては、めずらしいなあ。)と思いました。お父さんが断念するようなことは、こんなに早くはなかったからです。お父さんががっかりしたように、スイッチを入れました。すると、ダーダーダーダーダダ ダダダという音がして、しばらくすると、火がつき、暖かい風が出てきました。その時のお父さんは、最近になくうれしそうで、顔に笑いをうかべていました。
 時には、ぼくとお兄ちゃんも手伝うこともあります。車のギアが固くなってしまって、 直した時のことです。その時は、車を道路に出し、お父さんは、原因をさがしていました。ぼくの仕事は、カバーはずしです。ぼくの家の車は、ギアの下がプラスチックでおおわれています。だから、そのカバーをはずせば、中は見えるのです。ぼくは、プラスドライバーを持って車の中に入り、せまい車の中で体をひねりながら、ネジをはずしました。だけど、近くに物があり、ぼくがネジをひねったら、ねじ山がつぶれてきました。そこで、しかたなく、お父さんにたのみました。すると、お父さんは、くるくるとドラ イバーを回して、かんたんにネジをはずしてしまいました。ぼくは、(よくできるなあ。慣れているんだなあ。)と思い見ていました。でも、お父さんは、まだ原因が分かっていないようでした。カバーが取れると、お父さんが来て、中を見ると、
 「しょうがない。油をつけてみよう。」
 と言ったので、油を取りに行きました。お父さんに油を渡すと、慣れた手つきで油をぬりました。そして、何回かギアを変えてみると、少しずつ軽くなってきました。
 ぼくは、すっかり感心してしまいました。(すごいなあ。でも、油をぬるぐらい、ぼくにもできたなあ。)と思いました。そして、このギアは、乗っているうちに、だんだん軽くなりました。
 ぼくは、こんなふうに、物を修理したり、物がこわれても、元にもどらなければくやむ、物を大事にするお父さんは、すごいなあと思います。

👍 何でも直してしまうお父さんについて書いたのですね。お父さんの日ごろのようすをよく観察していて、お父さんの人柄や生活ぶりが、とてもよく伝わってきます。毎日、とても忙しく仕事をしているお父さんの、ちょっとした楽しみが、修理や物いじりなのですね。     

 戦争のこと 

  ある日、先生が、広島、長崎におちたときの原爆の本をもってきてくださった。広島、長崎の町のようすや、ひがいにあった人々の様子が、写真になっている本だった。見ると、「うわあ。」と思わず声が出てしまうし、顔をしかめてしまうほど、すごいありさまだった。見てて、気持ちが悪くなるほどだった。先生も、
 「すごいだろう。こんなふうになりたくないなあ。」
 と、まゆをよせて言った。本を見終わったら、また先生が、
 「いいか、おまえたちは、戦争なんかするなよ。」
 と、少しこわい顔で言った。私もそのように思う。それで、どうして戦争なんかおこるのだろうかと思い、原因を調べてみた。
    特にひどいのは、第二次世界大戦(太平洋戦争)のときだ。その時に、八月六日、九日に、広島と長崎に原爆が落とされた。一瞬にして、合わせて四十万人の命がうばわれた。みんな、血だらけになったり、人の死体が、あちらこちらにもあった。もう、言葉で言い表せない光景だ。この原爆は、三度落ちてはならない爆弾だと思う。
    また、東京や大阪などの大都市も大空襲でB29などが、爆弾を雨のように降らせた。それで、東京だけでも八万三千人の人が死んだそうだ。このため、食べ物も配給制になり、いもぐらいしかなかった。それに、アメリカ軍がくると、電気に黒い布をかぶせ、カーテンをしめて、家にはだれもいないように、見せかけたりしたそうだ。あと、栄えた工場も家も、なにもかもが焼けた。子どもは田舎にそかいし、男子は兵隊にとられ、中学生や女学生まで働かされた。
    母の方の祖母に聞いた話だが、
 「家も焼け、にげている時、爆弾は上から降ってくるし、地面には大きな穴が、いっぱいあいてたよ。よく爆弾にあたらなかったなあ。」
 と、話してくれた。その時、母は三才でおんぶされていた。そんなに小さくても、
 「そばにあった川が、まっ赤になっていたの覚えてるよ。」
 と、言っていた。母の一番上の兄も戦争にいった。戦場に行く時、船に乗っていたら、爆発して死んでしまったそうだ。
    この戦争のため、手足がない人、やけどでまだ跡が残っている人、原爆症などにかかり、今でも治らず苦しんでいる人、このような人を見ていると、もう何も言えないようで、何かのどにつまっている気がする。なぜ、このようになるまでやらなければならないのか。どんどんと腹が立ってきた。
    太平洋戦争の原因は、植民地争いだ。日本は、満州国をつくった。ほかの国々は反対したのに、勝手にやっていた。だから、国際連盟もだっ退し、きらわれものの国になってしまった。それで、ドイツ、イタリアと三国同盟を結んだ。けれども、そうまでして戦争なんかやらなくてもいいと思ったが、あの時の日本は、自分達は正しいんだ、やってやろう、という気だったのだろうか。
    一九二四年、政府はついにアメリカ、イギリスなどの国々と戦うことを決意した。そして、十二月八日、真珠湾(ハワイ)を奇しゅうし、戦争は、広く太平洋の各地域に広がった。それで最初は、優勢に勝ち進んだが、どんどんと弱くなり、日本列島もはげしい空しゅうや原爆で、数え切れない人々が死んだので、戦う気をなくし、ポツダム宣言を受け入れた。そして、十五年続いた戦争が終わった。もう日本は、このようなことをくり返さないだろうと思う。
    今、日本は、平和で安心して暮らせる生活をおくっている。「絶対に戦争はしない」という憲法があるし、政治も国民の生活も不自由なくすごしている。それは、アメリカと手を結んだりしているから、安心できるのかもしれない。けれども、世界の状態は少し悪い。アメリカとソ連はにらみ合って、戦車や爆弾などの武器をつくり競争している。 もし、このきっかけで戦争になったら大変だ。そのため、世界はだいたい二つに分かれている。それに、アジア大陸の国で、戦争をしているところもある。
    まだ、政治のことは分かっていないから、簡単に言うかも知れないが、もうそのようなことは、全部やめればいい。ソ連やアメリカもやめて、ふつうに自分の国として、世界の国々と仲良くつき合いながらやっていけばいいと思うが、実際には、できないのかも知れない。
    「戦争」など、絶対おこしてはいけない。私は、「戦争」という言葉を消してしまいたい。「戦争」ということから、ある事を思い出した。私が、けんかだのとぶつぶつ言ってたら、母が、
 「けんかだって戦争だって、同じ事じゃないの。ある出来事や、ちょっとしたけんかが大きくなって、戦争になることもあるんだよ。」
 と言われた。これを聞いて私は、だまってしまった。そして、心の中で、あまりけんかをしないようにしたい。みんなと仲良くできるようにしたいと思った。
    だから、国々のけんかなど、ばかばかしい気がする。一番大切な人間の命の、うばいとりのようなものだ。と私は思う。「戦争」など、絶対おこしてはいけない。そして、 私達が、大きくなったら、今よりももっともっと、いい世界を、日本をつくりあげていきたい。そして、世界から「戦争」というものをなくしてしまいたい。ずっと平和で、 すばらしい世界になってほしい。

👍 先生が原爆の本を持ってきて、それを見せられた時のことを書いたのですね。戦争が始まるいきさつや原因などをとてもよく調べましたね。また、自分の意見もしっかり書けていて、とてもすばらしいです。戦争もけんかも元をたどれば、同じなのかも知れませんね。一人ひとりの心のなかに、平和のとりでを築くことがこれからの時代に必要ですね。
パセリつみ

  「佐智子ー、かつのりー。」
 と、大きな声が、外から聞こえました。
  今年の春休みのことです。その時、私たちは、お父さんの実家、長野県の下すわ郡富士見町に泊まりに来ていました。そして、いとこで、私と同じ年のかつのり君や、私の妹たちとゲームなどで遊んでいるところでした。
  とても楽しい思いをしていたのに、外からおじいさんに呼ばれたので、私はいやいや立ち上がりました。それなのに、いとこのかつのり君の方は、(ああわかった。)というような顔をして、すぐ外に行こうとするのです。私も、しかたなく、しぶしぶついて行きました。
  おじいさんとお父さんは、もうトラックに乗っていました。私たちが来たのを見ると、「パセリつみに行くから手伝いなさい。」
 と、運転席にすわり、麦わらぼう子をかぶったお父さんが言いました。私は、とても行くのがいやで、だまってトラックの後ろに乗りました。かつのり君も乗りました。(あああ、遊んでいたかったのに。)という思いがいっぱいでした。私たちが乗りこんだとたん、トラックは動き、デコボコ道を通って畑に行きました。
  トラックを降りて、畑に入っていくと、そこにはもうかつのり君のお父さんとお母さん、私にとっては、おじさんとおばさんがいました。畑は、たて八十メートルくらい、 
横五十メートル位で、全部パセリが植えられていました。遠くの方には、山が見えます。おばさんが、
 「あら、さっちゃんたち、お手伝いに来てくれたの。そいじゃあ、やってもらおうかね。」と言って、つみ方を教えてくれました。
  パセリは、まとまって生えていて、その根もとの方をもって、ぬくのです。あまり、ギュッとつかんでぬくと、ポキンとおれてしまって、それはもうすててしまうしかないのだそうです。(おじいちゃんたちが、一生けん命育てたパセリを、私のせいで捨てる方が多くなったら、とても悪いから折らないようにがんばろう。)と思い、ゆっくりだ けれど、ていねいに気をつけて、ぬいていきました。
  ぬいた物は、お父さんの所にある、はかりの上のかごに入れます。お父さんは、ちょうど重さが合うと、それを束ねてしばり、下にあるダンボール箱の中に、ならべながらつめていきます。そこまでの往復がとても大変でした。なぜかというと、何列にもならんだパセリの畑で、始めはすぐ近くにはかりがあるので、そんなに歩かなかったのだけど、だんだんおくに行くにつれて、歩く道が長くなり、足もつかれてくるからです。その上、その日は、特別に暑い日なのでした。あせで体中が、びしょびしょになります。 それが、背中をいくつものすじをつくって、流れていくのが、パセリをつんでいる時も感じられるのです。気持ちが悪く、もうまっすぐ家に帰りたい気持ちです。なぜ、こんなことをしなければならないのかな、と考えてしまいます。
  それで、何十往復かした時、もうがまんできなくなってしまいました。そして、とうとうお父さんに、声をかけてしまいました。
 「お父さん、少し・・・。」
 でも、私はそう言いかけて、だまってしまいました。みんな一言もしゃべらず、せっせと往復しているからです。かつのり君は、器用に、私より早くやっています。おじさん、おばさんも、せっせとやっています。あせが流れても、タオルでふきながらも、一生けん命往復しているのです。いとこのかつのり君でさえ、がんばっているのに、私だけの ん気に休んでいられないと、私は思ってきました。ところが、お父さんは、私が休んでいいと聞こうとしているのに気づいたらしく、
 「なに、ああ少し休んでいたら。あそこらへんで。」
 と、日かげを指さしました。
 けれど、私は、
 「ううん、いいの。」
 と言って、持ってきたパセリをはかってから、走って畑のおくに行きました。
  私は、みんなの顔を見てみました。みんなしんけんで、休みたいという顔ではありません。見ているうちに、私はがまん強さがまったくなかったんだ、と思わせられました。そして、これからは、少しぐらい暑くても、足がつかれても、手首がいたくても、がまんしようと思いました。私は、ふだん家でも、よくお母さんに、こんなふうに言われます。「小さいころは、じっとしていなさいと言ったら、石みたいになっちゃって、もういいと言うまでは、ぜったい動かないほどだったのに、今は、ちょっとのことで、すぐつかれただの、もういやだよとか言うんだから。」そう言われた時は、もう聞き慣れてしまっていて、べつにどうしても直そうとは思ってもいませんでした。でも、今、パセリをつんでいるみんなの顔を見て、もっともっと、あの時直しておけばよかったと、少し、後かいをしたような気分でした。
 そうしているうちにも、また、太陽がギラギラと照りつけて、鼻の頭の大つぶのあせも、ほっぺたをすぎるあせも、ますますひどくなりました。だれが食べてくれるか分からないけれど、私がこうした思いでパセリをつんでいるのに、この仕事を、もしバカにする人がいるとしたら、その人は許せないな。私は、こんなことを考えました。
 そして、また、何回か往復しました。食べられるパセリは、全部とり終わりました。畑には、もう小さいパセリしか残っていませんでした。少し大きめのダンボール箱三つ位が、とったパセリで、はちきれそうになっていました。
 「もう終わったから、いいぞー。」
 おじさんの声がしました。その時の私は、なんだか気持ちの中の荷物が、スッとおりたように、いい気分でした。
 終わってから、お父さんと、パセリの畑の前にある田んぼのそばの、水が出ている所で、手と顔を洗い、最後に水をたくさん飲みました。がけみたいな所から、わき出ている水です。それは、とても冷たい水でした。水ってこんなにおいしかったかなあ。こんなにおいしく感じるのも、暑いのをがまんして働いたからだなあ、と私は思いました。お父さんは、
 「よくがんばったね。」
 と、笑いながら言ってくれました。そして、私は来た時とは反対の、すがすがしい気持ちで、おじさんの家に帰りました。

👍 春休みに、お父さんの実家の、長野県に行ったときのことを書いたのですね。お父さんからパセリ摘みを手伝うように言われ、最初はいやいやながらやっていたのが、最後はすがすがしい気持ちに変わっていったようすが、とてもくわしく書かれています。また、みんなが仕事をしている時のようすも含め、練られた構成に拍手です。
てんとう虫

  土曜日の午後、家でテレビを見ていると、三組の藤島さんがきて、
 「私の家の上の木のある所に行こう。この間、てんとう虫を見つけたから。」
 と言った。少し歩いて行ってみると、どんぐりの木が二、三本見えてきた。藤島さん(ナータ)は、葉のうら側を見て、
 「ほらね、この葉っぱのうらを見てみな。」
 と言った。私は、てんとう虫なんて、あまり見たことがないので、(どういうのかなあ。ナナホシテントウムシというのかなあ。)と思い、
 「見せて、見せてよう。」
 と言いながら、どんぐりの木の葉をうらがえして見てみた。てんとう虫は、赤色で黒いてんてんが七つあった。これこそ、ほんとうの七ほしてんとう虫だ。てんとう虫は、葉にしがみついているようだった。私は、五、六ぴき指先でつまんで、持ってきた直径十センチメートルぐらいの、ボールがたのプラスチックの、とう明な入れ物に入れてあげた。食べるかなと思って、どんぐりの葉っぱも入れた。外から見ると、てんとう虫は、元気そうに動き回っていた。
  家に持っていくと、姉(中二)に、分かり切ったような言い方で言われてしまった。 「そんなにたくさんのてんとう虫、どうするの。まさか、飼うんじゃあるまいね。すぐに死ぬよ。そんなせまいところだから。」私は、(そうかなあ。)と考えた。
  夕方になり、父も帰ってきた。父も、
 「こんなにせまい所じゃ、死んじゃうよ。」
 と、姉と同じことを、あたりまえじゃないか、というように言った。私は、(どうして、みんな同じことを考えるんだろう。死ぬはずないのに。)と思いながら、箱の外に出してやった。虫たちは、私の手のひらにのり、手から手へちょこちょこ、ありんこのように動いていた。一匹だけ、黒っぽい羽を広げて、床の上を飛んでいた。部屋の中なので 飛んでも逃げられない。五分ぐらい自由にさして、また入れ物の中に入れてやった。
  夕食を食べに、となりの部屋に行った。私は、ごはんを口の中に入れながらも、(少し入れ物が小さいので、やっぱり、きゅうくつなのかもなあ・・・。)と気になってきた。母も、気になるらしく、
 「てんとう虫、明日になったら、もとの所にかえしたら。その方がいいんじゃないの。」と、私の方を向いて言った。私は、
 「そうかなあ。」
 と言い、ちょっともったいないような感じがしたが、明日もとの所に返してくることに決心した。けれど、(今日は、まだおしい。せっかくつかまえて、もうはなすなんて。)と思った。そして今夜は、お別れなので、てんとう虫の中に、よぶんにとっておいたどんぐりの葉っぱをたくさん入れてやった。てんとう虫は、あまり葉を食べないようだったので、食べやすいように葉の上にのせてやった。けれど、てんとう虫は、葉にくっついたまま、少しも動かなく、元気がないようだった。心配になり、少し見ていると、葉の上を歩き回り、羽をバタバタさせているのもいた。私は、
 「元気そうだね、てんとう虫。」
 と姉に言った。けれど、姉は何も言わず、そのまま二階へ言ってしまった。父が、
 「あまりさわってばかりいると、てんとう虫だっていやにきまっている。」
 と言った。さっきまでは、父もすぐに死んでしまうと言っていたが、こんなに元気がい 
いものもいるので、もう安心だ。私は、となりの部屋で少し休むと、九時になっていた。
    階段をのぼって上に行こうとすると、姉が上からおりてきた。私がねようとした時、姉の、
 「ちょっときてみて、早く。」
 と言う声が下から聞こえてきた。(なにかなあ。ろくなことではないよ、きっと。)と思い、急いで階段をおりた。
 「このてんとう虫、動かないよ。」
 と姉が言った。私は、
 「てんとう虫だってねるんだから、きっとねてるんじゃないの。」
 と言った。そして私は、そのままねようとしたが、姉はまた、
 「からからで、今度はほんとうに死んだみたいだよ。」
 と言った。それで思いとどまって見てみた。すると、からからなのが、ほんとうのような気がして、不安になった。ふたを開けて、手で外へ出そうとしても、じっとして動かない。「ちょん、ちょん」と手でさわってみても、一匹も動かない。(あれ、ほんとうにどうしたんだろう。)と思い、また、「ちょん、ちょん」と、羽をさわっても動かないのだ。あせっていると、「ブーン」と一匹だけ、黒い羽を広げて飛んでいった。私は、それを見て、(もう平気だ。)と、少し安心した。けれど、安心したのもほんの少しで、今 飛んだてんとう虫も、スーッと下へ落ちてしまった。(どうしたのかな。)と思い、よく見ると、さかさまになり、足だけをばたばたさせて、もがいている。そのうち、足も動かなくなってしまった。さわってみると、からからになって、すでに死んでいた。私は、ドキドキしてきた。(あんなに元気にしていたのになあ。)と思うと、やりきれない。私は、急いでほかの四匹もさわってみた。さわると下へ落ちてしまう。みんな葉っぱにくっついたまま死んでいた。
  せっかくつかまえたのに、姉がいったことが当たり、みんな死んでしまったのだ。けれども、私には、てんとう虫がなぜ死んでしまったのか、どうしても分からなかった。それにしても、五匹もいたのに、死ななかったら、もとの所に返してあげて、仲間たちと仲よく遊べて、どんなに楽しいか。私は、てんとう虫が死んでみると、かわいそうでかわいそうで仕方がなかった。少し小さい入れ物だったので、空気もあまり入らないからなあ、と考えた。てんとう虫も、やっぱり自然の中にいた方が、よかったのだなあ、とも思った。

👍 お友だちと一緒に採ったてんとう虫、飼おうとしたら家族から反対されたことを書いたのですね。てんとう虫のようすを観察したり、家族の人たちが言ったことなど、とてもよく伝わるように書けましたね。全部死んでしまったことから、自然の中の大切さに気づいたのですね。 
 お母さんが がん?

    九月も終わりごろの、ある日のことだった。
    その夜、高二の姉と私は、ひょんなことがもとで、口げんかをしていた。そして、その日は、いつもとちがい、かんたんにおさまらなかった。だんだんひどくなってくる。(いいかげんにもうやめたいなあ。)私は、けんかにあきてきていた。しかし、姉は、さかんに私のことを言ってくる。そんな時であった。
 「あんまりけんかして、お母さんに心配かけないでよ。もし、お母さんが、がんで入院したら、どうなることやら・・・。」
 母が、お勝手から出てきて、うんざりした感じで、私たちに向かって言ったのだった。 私は、その言葉が、心にズキンときた。(お母さん、がんなのかな。まさか・・・。)不安になった。姉は、それでもまだ私に何か言っている。でも、もう私は、完全にけんかなどやる気をなくしていた。そして、部屋にすたすたもどっていった。知らないうちに、目に涙がうかんでくる。その自分を鏡で見てみる。(泣くなんて、弱虫だぞ!)自分に 
言い聞かせた。(でも、お母さんが死んじゃったら、どうなるんだろう。どこに行っても、二度とは逢えなくなっちゃうんだ。そんなのいやだよう。)こう思っているうちにも、涙がポロポロ出てくる。でも、私は、えんぎでもないことを考えるのはやめて、気晴らしに、タンスの中の整理を始めた。
 母は、前からこしが痛いとか言っていたのだ。私が学校へ行っているうちに、内しょで病院へ行ったことがあるらしい。そんなことがあったので、私は、「がん」という言葉を強く感じたのだ。
    やがて、姉が何も言わずに、部屋へ入ってきた。私は、泣いている顔が見られるのがいやだから、下を向いて、くしゃくしゃな洋服をきれいにたたんだ。姉は、気が立っているような感じで、いすに、ドスンと勢いよくすわった。(お姉ちゃん、お母さんががんと言っても、何とも思わないのかね。)私は、おこった。それと同時に、くやし涙まで出てきた。だまって泣きたかったけど、こらえられなくて、ヒックヒックと声を出して泣いてしまった。
    そんな私に気づいたのか、母がお勝手の方から、私の方へ向かって歩いてきた。そして、私の前にすわって、一緒に服をたたんでくれた。
 「なんでそんなに泣くの。くよくよしたって、しょうがないことだろう。」
 母は、やさしく私に言った。
 「お母さんが、そんなかんたんに死んでたまるかい。まだまだ、おまえ達を育てなきゃいけないぎむがあるんだから。でも、いつかは死んじゃうんだよ。お父さんも、お母さんも・・・。順子だって。それは運命だから、あきらめなくっちゃねえ・・・。」
 母は、いつもと人が変わった感じで、声をしずめて言った。聞いているうちに、私は、また涙が出てきた。
 昔は、母が死んじゃうなんて、想像もしていなかった。でも、今は、まんが本のえいきょうかも知れないけど、ある人が悲しく泣いていると、自分もその人になりきって泣いてしまう。それに、昔は、こんなことで泣くなんてことはなかった。姉にしかられてならたくさんあるけど、いろいろ想像して泣くということはなかったのだ。自分でいろいろな想像をしても、(ふうん。)と思うぐらいだった。でも、このごろはちがってきている。次から次へと、いろいろ考えてしまう。(私は、お金の使いすぎだな。洋服だっ て、困るほどなくはないのに、お母さんに買ってもらったり・・・。食べ物だって、むだになる物ばかり買って・・・。)次々と考えがうかんでくる。
 私は、姉にもらった算数の教科書をパラパラめくる。(来年は、私だって中学生だ。でも、こんなこと私にわかるのかなあ。)そして、つづけて考える。(やぱり努力は必要なんだなあ。いつまでもマッチマッチじゃいけないなあ。)私は、だんだん、今まで自分が何をやってきたか、それがどれほどばかだったか、分かってくる。
 「マッチもいいけど、しょう来マッチが何してくれる。おまえに力でもかしてくれるのかい。」
 母が言ったことばが思い出される。
    そんなことがあった日から、母は、私達に、がんのことなど、何も言わなくなった。そのため、なんとなく私も安心して、心も落ち着いてきた。でも、私の知らない時に、
 母と父は、がんのことについて話しているようだった。
  ところが、ある日、私が学校から帰ってくると、母はいつもとちがいニコニコしていた。今までの不安がないように。
 「今日、お母さん、病院行って、いろいろと聞いたら、がんじゃなかったって。でも、あんまり安心できないけど。・・・。」
 母は、あやまるように、私に言った。(お母さん、入院しなくていいんだ。よかった。) 私は、部屋へ行くときは、もう顔がゆがんでしょうがないほどうれしかった。自分の部屋から、聞くとはなしに聞くと、東京のおばあちゃん(私の母の母)に電話で知らせている母の声が聞こえる。
 「私、がんじゃなかったよ。その一歩手前なんだって・・・。」
 私は、いすにすわり、手をつくえの上において、ほっとため息をついた。(そうだ。)私は、おしいれからアルバムを出してきた。(また家族で旅行して、いい思い出つくれたらいいなあ。父母も、姉も、ずうっと元気でいてほしいなあ。)
 私は、こう思いながら、アルバムをめくった。そこには、家族四人でのこぎり山に行ったときの写真があり、四人ともとっても幸せそうに笑っていた。

👍 お姉さんとけんかしていたとき、何気なく言ったお母さんの言葉が 心に突き刺さったのですね。その時のようすがとてもくわしく書かれています。そして、文章のところどころに、お母さんを心配するやさしさがにじみ出ていて、自らを内省する書きぶりには、もう脱帽です。
お父さんの仕事 

  私のうちは、七階建ての大きな建物の一階の、マーケットの中で、八百屋をやっています。二階から上は、マンションになっています。
 お父さんは、東京の東村山の農家で育ちました。お母さんと結こんして、八百屋をはじめて、小平市から小金井市、小金井市から今のお店へ引っこしてきました。
  朝は、六時半ごろお母さんに、
 「ほうれんそうとはくさい、忘れないで買ってきて。」
 など言われて、船橋の青果市場に行きます。
  お父さんは、五百十一という番号をもっていて、市場ではこの番号が名前のかわりになっています。せりの時や市場にいる時のほとんど、「五百十一」とよばれています。自分の買った品物には、どれでも五百十一とマジックで大きく書いておいて、ほかの人のものと、まちがえないようにしているそうです。
    自分のほしいものを買い終わると、車にたくさんの野菜や果物をのせますが、雨の日、屋根の下に車を止められなかったりすると、ぬれながら車につむそうです。お店まで運んでくると、お店のわきに車をつけ、お母さんとおくの方まで運びます。お父さんは、かた手にもやしのふくろを持ち、もうかた方の手にも白菜を二わ持って、すいすいと運んでしまいます。
    私も夏休みなど手伝いますが、もやしの大きなふくろを持つと、外からお店のおくまでの五、六メートルを歩くのもたいへんです。
 「おい、それぐらいもてなくてどうする。」
 など、年中言われます。
    お正月が近づくと、一年の中でも一番いそがしくなります。お客さんが、おせち料理の材料など、いっぺんにたくさん買うので、配達がとても多くなるからです。おそくなると九時過ぎても、まだ帰らないこともあります。でも、お店のいそがしい時の方が、お父さんはとてもはりきって、生き生きして見えます。
 「かきとみかんどっちがいいかしら。」
 とお客さんが聞くと、
 「どっちがいいかしら、なんていってないで両方買っていっちゃってよ。ほら、このかきのおいしそうな色みてよ。」
 と言いながら、お父さんはもうふくろの中に、かきとみかんを入れています。
 「もう、おじさんにはまけるわ。それじゃ、ついでだからかきとみかん買っていくわ。」と、結局両方買っていってくれます。
    お店の外にも、台をおいてそこでも品物を売っています。主に、お店の中で売るのはお母さんで、外に出て売るのはお父さんです。
    お父さんは、冬でも夜の七時ごろまで何時間も外で、お客さんをみたりしています。ですから、足やこしがひえて、年中こしがいたくなるそうです。仕事が終わって、お店から帰ってくると、
 「おい、ちょっとこしの上にのってくれ。」
 とお父さんに言われ、よくこしの上にのって足ぶみをしたりしました。でも、最近はやらなくなって、弟がかたをたたいてあげたりしています。お店がいそがしかった日は、ごはんを食べておふろに入ると、すぐねてしまうこともあります。
    たしかにサラリーマンのお父さんのように、かっこよくはないけれど、毎日よく働いてくれるいいお父さんだと思います。

👍 お父さんの仕事に目を向けて、やや長い間にわたって、その仕事ぶりについて書いたのですね。八百屋さんの仕事は、朝早くから夜遅くまで、大変な事が分かったのですね。外で元気いっぱい、野菜を売っているお父さんのようすが、目にうかぶようです。
 そうじ

  十一月十七日の朝、お母さんが、
 「知美は、げんかんそうじを、毎朝やることをきめたでしょ。」
 と、台所でちゃわんを洗いながら言いました。私は、
 「あっ、そうか。」
 と言って、庭からほうきを持ってきました。
    はじめに、げんかんの戸を開けました。私の家の戸は、よこにガラガラと開ける戸です。開けると、砂がたくさん入っていたので、私は、(どこからやろうかな。)と思って、また、(やっぱりはじっこからはじめよう。)と思いました。私は、くつを片方の手で持 ちながら、くつがおいてあった所をきれいにはきました。それを、何回かくりかえしました。私は、(今度は、げたばこの下をはこう。)と思って、見てみました。私のうちは、 げたばこの下が三十センチメートルぐらいあいています。だから、そこにもはこがおいてあって、その中に私や妹のサンダルなどが入っているので、そこにも砂とかがたまり ます。はきはじめました。すると、思っていたよりもゴミが少なかったです。
    げんかんの中のそうじが終わったので、たまったゴミを見ると、たくさんありました。 私は、(げんかんだけでも、これだけたまるんだな。)と思いました。そして、そのゴミを今度は、外に出しました。私は、(じょうずに外に出せるかな。)と思いました。でも、全部きれいに出せたのでよかったです。
    外に出したので、今度は、ちりとりに砂を入れます。でも、めんどくさくなったので、 (砂だからいいや。)と思って、上の道の所へはいてしまいました。そして、(やっと終 わったな。)と思って、お母さんに、
 「げんかんそうじ終わったよ。」
 と言ったら、お母さんが来て、
 「きれいになったね。」 
 と、にこにこしながら言いました。
  それで、終わりにしようと思っていたのが、もっとやってみたくなりました。今度は、庭そうじをすることにしました。私は、(どのへんにあるかな。)と思いながら、植木だなの後に行ってみました。すると、かれ葉がたくさん落ちていました。私は、(こんな所にたくさんある。)と思って、はきはじめました。はいていると、ほかよりもたくさん、かれ葉がたまって落ちている所がありました。(何の木の葉っぱかな。)と思って上を見ると、くりの木でした。木についている葉っぱも、だいたいが黄色かったり、赤かったりしていました。私は、(これじゃたくさん落ちるはずだ。)と思いました。そこを、力を入れて、ザッザッとはきました。そうしたら、葉っぱの小さい山ができてしまいました。それをちりとりにとって、ゴミを燃やす所に持っていこうとしたら、おじいちゃんが、
 「その葉っぱすてなくていいよ。また、どんどん落ちてくるから。」
 と、まどから言いました。でも、私は、
 「いいよ。」
 と言って、ゴミを燃やす所に入れに行きました。全部終わらせて、すっきりしたかったからです。(やっと終わったな。)と思ったら、少しあせが出ていることに気がつきました。そして、(こんなに寒くても、あせがでるんだなあ。)と思いました。すうっとして、とてもいい気持ちでした。
 「やっとそうじ終わったよ。」
 と、お母さんに言ったら、お母さんは、
 「少しあたたかくなったでしょう。」
 と、にこにこしながら言いました。私は、
 「うん。」
 と言って、とてもすっきりした気持ちでした。そして、(お母さんは、いつも働いているから、働くとどうなるか知っているんだな。)と思いました。ほんとうに、私はほかほかしてきました。
  庭もすっかり、きれいになっていました。

👍 自分で決めた玄関のそうじから始まり、ついでに庭のそうじもしたことを書いたのですね。そうじをしているときのようすがよく書けています。そうじをし終えた後に、体があったかくなって気持ちがいいことに気づいたのですね。気持ちも庭もすっきりしてよかったですね。
くものす

 朝、新聞をとりに外へ出た。戸を開けて外へ出ようとすると、何かが顔にべたっとくっついて思わず、「わあ。」といってしまった。
  よく見ると、戸の所に、白い糸みたいなものがついていた。くものすの糸だった。きのうの夜に、夕かんをとりにいった時は、なかったみたいだったのに、とっても大きなすで、今まで、見たこともないようなくものすだった。
  その糸をつたって見ていくと、自転車の上のブロックべいのかどっこの所で、下から一メートルほどの所に、くものすが広がっていた。よく見ると、自転車と戸の所にも、ちょっとくっついていた。
    くものすは、きのうの夕方から、十三時間でできたんだろうか。でも、作り始めた時刻と作り終わった時刻が、正確にわからない。ほんとうは、もっと短い時間にできたかもしれない。
  朝日で、くものすがピカッと光った。下の方を見ると、植木の所にもちょっと、白いくものすの糸がついていた。自転車のサドルの所にもくっついている。糸はすごく長く、たくさんあった。数えきないほどあった。これが全部、一本の糸でできているのかなあ と思った。くもの糸は、毛糸みたいなあみ目で、色はまっ白で、少し茶色い所もあった。糸は外側よりも、まん中の方が、たくさん重なり合っていた。向こう側が見られないぐらいあみ目のようになって、たくさん、まん中の方に集まっている。この集まった所で、虫をつかまえるんだなあと思った。
  また、わたがしに見えたりして、ふわふわのような感じだった。すのまん中に黒いくもがいた。はらのあたりが黄色で、しまもようになっている。くもは、まん中でじいッとしていた。指でそうっと糸にさわってみたら、細いけどなかなかやぶれにくい感じだった。なぜか、ふつうのくものすじゃなくて、あんまり、ねちゃねちゃしなかった。ぼくは頭の中で、小さな石だったら、のせてもだいじょうぶじゃないかなあと思った。
  くものすは、まん中が少しくぼんで、洗面器みたいになっていた。雨の日だったら池みたいに、上に水がたまってしまうかもと思った。もう一回、今度は、前より強くさわってみたら、スポンジみたいでばねのようだ。すごくよくはずむくものすだなあと思った。ぼくは、そんなくものすを見て、ちょうどトランポリンみたいだなあと思った。このくものすは、スポンジみたいで、ばねみたいで、トランポリンみたいで、とってもか わったくものすだと思う。
  このごろは、だんだん寒くなったので、あんまり虫は見かけないのに、このくものすは、すごく元気のよいようすだった。こんな大きなくものすで、とるはんいが広いから、虫がひっかかりやすく、たくさんつかまえられるからかなあと思う。

👍 朝、新聞を取りに行くとき、偶然見かけたくもの巣のことを書いたのですね。くもやくもの巣のようすがくわしく書かれているので、その時の状況がよく伝わってきます。見たり、触ったり、考えたりしてくもの巣を調べようとしているところが、とてもすばらしいです。これからも自然観察を続けてください。
 弟のひきつけ

  「なんだか隆ちゃんひきつけちゃいそうだな。」
 弟が心配そうに言った。
  ほんとうに私も心配だ。もう八時だというのに、ひきつけたらたいへんだ。母が、頭を冷やすためのタオルをゆすぐとき落ちる、水の音が聞こえる。父が氷をガリガリわる 音が聞こえる。祖母も心配そうに、頭を冷やすのを手伝っている。私と弟の敏行は、することがなく、ただ、ひきつけそうな弟の隆行の寝ている部屋の入り口から見ているだ けだ。そんなことが三分位続いた。
 「紀ちゃん、タオルしぼって。洗面器にお水ためて。氷も入れて冷たくして。早く早く。」 と、母が急いで言った。
  私は、部屋の中へ行ってタオルを受け取ると、洗面所の方へ行った。そして、お水を 出しておいて、台所へ氷を取りに行った。その時も、心配そうに祖母が、冷たいタオルを頭にのせてやってるのが見えた。私は、(こんなに冷たいので冷やして、隆ちゃんだいじょうぶかな。)と思った。
  隆行は四才。これまでにも二回ひきつけている。一回は朝七時ごろ。もう一回は昼すぎ、二階の階段から落ちて。両方、救急車にお世話になっている。敏行は四年生である。タオルを持って行くと、母たちは少し安心したようだった。私は、
 「隆ちゃん、少し落ち着いたみたいだね。」
 と母に言った。母は、
 「うん。少しね。」
 と、言い返してきた。
  しばらく、ようすを見ていた。父も母も祖母もみんな、ふとんの周りにすわっていた。「紀ちゃん、タオル冷たくしといて。今は、落ち着いているけど、いつどうなるかわかんないから。氷も入れて。氷出したら、ちゃんとお水入れといてね。」
 母が優しく言った。私は、タオル二、三本持って洗面所へ行き、母に言われた通りのことをした。部屋の方が、少しさわがしいようだった。私はタオルをそのままにして、部屋の方へ行ってみた。
  隆行は、真っ青な顔をしてふるえていた。八時ちょっとすぎだった。前になった時と同じだった。目は上を向いたままで、体が棒のようで、ぶるぶるふるえている。(タオル、タオル持って来なきゃ。)私は洗面所に走って行った。
 「はい、タオル。」
 母にタオルを渡した。隆行はまだふるえている。母が頭を冷やすと、少し楽になったようだ。
    部屋の中はしんとしている。時計の音が聞こえるくらいだ。隆行は、真っ青になってふるえている。目のひとみが上へ行ったきり、まぶたも閉じられずにいる。体は鉄の棒のようで、頭から足の先まで、力がいっぱい入っているようだ。特に、手に力が入っているみたいだ。母が、隆行の口に手を入れている。舌をかまないように入れているのだ。 歯にはだいぶ力が入っているようだ。母はだいぶ痛そうな顔をしている。祖母は、隆行の頭にタオルをのせたり、タオルを持ち上げたりしている。隆行の容態は、ますます悪くなるようだ。(なんで隆ちゃんだけ、こんなにひ弱なのかな。すぐ熱だすし、一人で救急車に二回も乗って。私だって一回。敏行なんて、乗ったことがないっていうのに。)と私は考えていた。
 「救急車呼ばなくちゃ。お父さん、電話して。早くね。」
 私がぼんやり考えていると、母の急いだ声がした。(ついに、救急車呼ぶほどになっちゃたのか。)と、私は思った。父が電話をしている。
 「もしもし・・・・。」
 「紀子。」
 私の名前が呼ばれた。続いて、
 「タオルしぼって来て。」
 という母の声がした。持っていくと、母が、
 「ちょっと見てて。」
 と、言いながら立ち上がった。私は、祖母と一緒に、様子を見ていた。母の指の代わりに、タオルのはしをかませてある。でも、タオルをすぐおし出しそうになって、私は、
 「お母さん、早く来て、早く。」
 と、大声を出したりした。あばれても、同じように、母を呼んだ。でも、母は落ち着いていた。
 「大丈夫、よく見てて。」
 と言いながら、病院へ行く準備をしていた。保険証などを探しているらしい。(隆行がこんななのに、よくああやってられるなあ。)と私は思った。ちょっと見ててと言われてから、二分位がたった。
 「ううーん。」
 隆行が声を出した。今まで一度も声を出さなかったのに、声を出した。父もこちらに来た。何となく、少しよくなったようだ。でも、まだ体は棒のようにつっぱっていた。
  三分位たった。東急の方から、救急車のサイレンの音が、少し聞こえた。ヨーカ堂の方から回って、こちらへ来るようだ。母が、
 「小さい毛布出して。」
 と小声で言った。父が押し入れから毛布を取り出した。母は、隆行をだき上げた。
 「ちょっと、毛布隆ちゃんにかけて。」
 私は、その通りに毛布をかけてあげた。
  父が、さっきまで母が持っていた荷物を持ち、母が、隆行をだいて外へ出た。私も弟や祖母と一緒に、外へ出た。外はとても寒く、星がたくさん出ていた。救急車のサイレンが、だんだん近くなってきた。
  一分位外で待った。救急車が五号等の前で止まった。救急車はライトをつけていた。赤い電気もつけていた。サイレンは、車が止まったと同時になりやんだ。そして、後のドアが開いた。母が、
 「出てこないで。」
 と言って、父と一緒に救急車の方へ走って行った。私は十五メートル位はなれた所からから見ていた。
  救急車に母達が乗りこんだ。でも、まだ救急車は出発しない。弟が、
 「早く出発しろ。隆ちゃんもっと悪くなっちゃうよう。」
 と、小声で言った。私も、(そうだよう。早く出発すればいいのに。)と思った。
  五分位たった。救急車は、まだ出発しない。私と弟でイライラしながら、救急車の方を見ていた。すると、「ブウーン。」走り出すようだ。車は通りの方へ向かった。でも、また途中で止まってしまった。弟がまた、
 「んもう、また止まっちゃった。」
 と、ぶりぶり怒って言った。
    一分位車は止まっていた。そして、救急車は走り出した。今度は、止まらずに病院へ向かうようだ。赤い電気をつけ、サイレンをならし、走り出した。私と弟は、救急車が 
見えなくなるまで見ていた。救急車が見えなくなってから、私は何となく、泣きたくなってしまった。
    家に入って、時計を見ると、もう九時を過ぎていた。弟は、祖母に、救急車がなかなか出発しなかったこと、途中で止まってしまったこと、などを話していた。祖母は、テーブルの上をかたづけながら、その話を聞いていた。私もテーブルの上をかたづけていた。話が終わると、祖母が、
 「隆ちゃんが帰ってきたら、すぐ寝られるようにしておこうね。」
 と言った。私は、まず、布団がぬれたタオルがのって、びしょびしょだったので、それを取りかえた。次に、すぐに冷たい水が使えるように、水を水差しに入れて、冷蔵庫に入れておいた。こんなことをしているうちに、だいぶ時間がたった。
 「ガチャン、ガン。」
 玄関のドアーが開いたようだ。父達が帰ってきた。母は、だいぶ安心したようだ。隆行も顔色が少し良くなったようだ。母は、まず隆行を寝かせた。それから、いすにこしかけた。弟が母に言った。
 「んもう。なんであんな所で止まってたのかねえ。止まんなくってもいいんじゃないかねえ。そのまままっすぐ行けばいいのに。」
 すると母が、
 「それはね、どこの病院に行くか、連絡とってたの。」
 と、笑いながら言った。弟は、
 「でもさあ、いくらなんだって、あんなに止まってなくてもいいんじゃないか。」
 と、なんとなく怒ったように言った。
    そうしている間に、祖母がお茶を入れてくれた。そのお茶を飲みながら、いろいろな話をした。例えば、救急車に乗って病院へ行く途中、隆行はもうなおっていたこと。前ひきつけた時のことなどだ。母は、笑いながら話していた。でも、その笑いの中には、つかれが出ているのが、ありありと出ている。笑ってはいるが、いすにすわったきり立たず、ぐったりしていた。でも、そこはやっぱりお母さんだ。祖母があとかたづけを始 めると、一緒にやりだした。
    私は、思った。(さすがお母さんだ。どんなにつかれていても、きちんと、やることはやっている。それに、あの時だってそうだ。私が大声を出してびっくりしているのに、 母は、落ち着いていた。三回目のせいもあるかもしれないけど、やっぱり、私に比べても、祖母に比べても、とても落ち着いている。さすがお母さんだ。)と。
    みんなが落ち着いたのは、十一時十五分前だった。

👍 弟がひきつけを起こした時のようすを、生き生きと書き上げましたね。家族全員が心配して、かん病するようすがよく伝わってきます。また、弟を心配するやさしさがずい所にみられ、救急車がなかなか走り出さないときの気持ちも、臨場感が感じられます。そして、お母さんの落ち着いた態度に、母の強さを感じたことがいいですね。
父の苦労話

    「ねえ、本当にないの。」
 と私は、父に聞いた。
 「別にないよ。」
 と父が言った。私は、三日間もこの苦労話を聞くためにねばり続けている。すると母が、「じゃあ、そ開の話でもすれば。」
 と口をはさんだ。
  父は、食事の合い間に話し出した。父は、はじめおどけながら話した。
  父が、そ開したのが、二年生の時だという学童そ開だったそうで、友だちと夜、上野の駅を山形へと向かったと言うことです。
  父は、食事がおわると、リビングルームのいすにこしをおろし、たばこを吸いはじめた。じっと遠くを見ているような目で、何かを一つ一つ思い出していくように話しはじめた。
  今の山形県、上山市(昔は、西ごう村)という所にそ開し、はじめは旅館にとまっていたそうですが、そこもあぶないというので、もっとおくの寺へ移動したそうです。それでも、食事には苦労しなくて、毎日白いごはんを食べていたそうです。けれども、後から聞くと、食用だけれど、カエルやセミを焼いたものをおやつにし、時々、キュウリ一本が出たくらいのものだったそうです。
    まだ二年生で、幼い考えの父は、先生方と買い出しに行ったり、食料集めに山に入り、ささの実を取ったりするのが、とても楽しかったそうです。夏には、ホタルをとり、お寺のお堂に放し、まわりの明かりを消して、ねそべって天じょうを見たそうで、たくさんの子どものとった、たくさんのホタルたちは、チカチカととてもきれいにかがやいて、きれいだったそうです。(みんな楽しい思い出ばかりじゃないか。)と私は思いました。 すると母が、前に父に聞いたらしく、
 「それでもね。お寺のすぐ前が線路だったから、いつもそれをながめては、ああ、これをずっとずっと歩いていけば、家に帰れるんだな。と思ったんだって。ホームシックにかかっちゃたのよ。」
 と言った。目の前にある奥羽本線を見て、家に帰りたいと思った父、三年生の父には、これだけでも苦労話にしてもいいほどだったのかもしれない。三月から十一月までの長い長い間、私でもホームシックにかかってしまうかも知れない。
  時々、父の友だちを、両親や親せきが来て連れていたそうで、その時はいつも、線路の土手に行ってみんなで、その友だちを送ったそうだ。父は、そういう子がうらやましかったんではないかと思う。
    たくさんの苦労話はなくても、三年生の時に、そ開という大変なことをした父には、これを本当に、苦労した話にしてもいいような気がした。

👍 お父さんはきっと苦労話は、子ども達には聞かせたくないと思っていたのかも知れないですね。戦争で疎開したことを、遠い昔のことのように忘れ去りたいという気持ちがあったのでは。でも、ホームシックにかかって、家に帰りたかったことは、大変な苦労話ですね。よくねばってお父さんの話を聞きましたね。よい取材ができてよかったです。 
生きものを飼うこと(一月十四日の日記から)

  今日、四時ごろに家に帰ってきた。
 「ピピ、死んじゃったよ。」
 と妹が言ったので、わたしは、どきっとした。(じょうだんだろう。)と少しの間思ったが、じょうだんで妹が言うはずがない。(もしかしたら、ねこにやられたのか。ピピば っかりやられるわけがない。)と思って、鳥かごをのぞいた。ピピがいない。
 「あの花のそばの、ちり紙の中だよ。」
 と言ったので、庭におりて、そっとちり紙の中をのぞいた。わたしは、「うっ」と思わ 
ず言った。目の周りや口の周りが、へこんでほじくられているようだった。(どうしてだろう。)わたしは、それをそっとそこにおいて、母の所へ行った。
 「お母さんがついていながらごめんね。朝バタバタやってたの、白とピピ。前から仲悪かったんだよね。いつもとちがって、ものすごい勢いだったから、一度やめさせたんだ けどね。それでも、しばらくずっと見ていたんだよ。それから二羽とも、はじとはじの 方に行ったからだいじょうぶだと思って、ちょっと出かけて夕方帰ってきて、鳥かご見 たら、一羽下にたおれてんの。そして、もう一羽の方がそれをつっついてるの。それで、摂子呼んで中の取ってもらったの。その時はまだ、やわらかかったから、たおれて間もなくだったんだね。」
 と母が言った。聞いているうちに、なんか涙がでてきた。
 「オスと取り合いだね。きっと。」
 と母が、静かに言った。わたしが、
 「ピピ、前にねこにやられて、羽の片方おれてんだよ。あれ親子でしょう。」
 「うん。ピピがせっかくうんだのに。」
    わたしは、あとから涙がこみあげてきた。妹の友だちが来ていたので、泣くまいと思っても、あとからあとから出てきた。母が、言った。
 「小鳥とか、理性がないからね。あれが野生だったら、一羽弱い方が逃げていくでしょ。でも、かごの中だから、逃げるところがなかったんだよね。」
    わたしは、なきながら考えた。(前に、紀元前のころ人類が、そんなにいなかったころの映画を見た。その中で、親子が食べ物で争って、子が負け、そこを出て行かなくてはならなかった。また、ある二人の女の人が、男の人の取り合いで、殺し合いをするのがあった。)
 「戦争もこんなもんだね。」
 と母が言った。本当だ。土地を取ったりするような感じだ。
 (かごを二つに分ければよかった。)少し落ち着くと、(今朝、元気だったピピが、帰ってくるとあの世へ行っているなんて。)
  その後、兄が帰ってきてから、おと年死んでしまった、うさぎのミミのそばへうめた。えさも葉も入れて。
  ミミもピピもそうだが、生きものを飼うということは、人形遊びではないことを知らされた。小鳥だって、生きものだから死んでしまう。これから二度と動物が死ぬのを見るのはいやだ。

👍 大切に飼っていた小鳥が死んでしまったことを書いたのですね。学校から帰ってきて、小鳥が死んでいる時のようすを、とてもくわしく書かれています。生きている動物を飼うことは、人形遊びではないということに気づいたのですね。とても大切な視点ですね。
しじみ採り

    「もう、釣りもおもしろくなくなったことだし、しじみ採りでもしないか。」
 と前原君が聞くと、
 「ああ、いいねえ。」
 と、田沢君が、うれしそうにこたえた。
    その場所は、ぼくの家の方から千代田に向かう方の道路である。川はばは、一メート ルぐらい。その川は、印旛沼に流れている。いろいろタイヤなどが、川のそばに転がっ ている。みんなは、全然いないと思うにちがいない、みょうな所である。でも、その川 では、タイヤなどのガラクタの中に、入っている場合もある。
    まず、前原君がはじめに入った。
 「水は冷たくない。」
 と、ぼくと田沢君が聞くと、
 「そんなに冷たくない。」
 と、言い返してきた。ぼくと田沢君も入ってみた。(もう、五月だからかな。)
    ぼくが、はじめに、カラス貝を採った。その時は、うれしくてたまらなかった。何か ぼくは、最初はカラス貝ばかり採れていた。カラス貝の大きさは、四、五センチメート ル位である。色は、黒とこげ茶が混じっているようだ。中には、こげ茶だけのものもあ る。何回も何回も、カラス貝を採っているうちに、いる場所が分かった。
    カラス貝は、タイヤなどのガラクタの中、それに土のやわらかい場所にいる。カラス 貝の中には、大きいカラス貝と小さいカラス貝がいることもある。それは、だいたい家 族ではないかと思う。カラス貝は、何個か集まっている。
    それに比べて、しじみは、砂や土の中にいる。大きさは、一、二センチメートル位。 色
は、黒と黄が混じっていて、とてもきれい。中には、カラスなどの鳥に食べられてし まって、中はからで穴があいているものもある。しじみは、小さいけれどもたくさんい る。
    どんどん進んでいくと、とても流れの速い所に来た。そこで手を広げておくと、何か 水の流れにのってくる。それはみんな小さく、大きいものは流れてこない。
    もう少し前の方に進んでいくと、ズボンの中に、さい布がないのに気がついた。しじ み採りをしているうちに、落としてしまったんだと思い、前に採った方から順々に探し てみた。でも、もうないと思った。
 「ねえ、そっちの方にあった。」
 と聞くと、
 「ないよ。」
 と、言い返してきた。もう、絶対にないなと思って、また水の中に入った。すると、す ごい大きいカラス貝だなぁと採りだしてみる。ぼくのなくしたはずのさい布があった。 五百円さつはぬれていたが、かわかせばだいじょうぶ。その時は、とびあがるほどうれ しかった。
    もう、十二時近かったので、上へあがった。田沢君は、あまり採れなかったようだ。  それも当たり前だ。田沢君は、はじめてこの場所へしじみ採りに来たからだ。それに、 採れる場所もよく知らない。
    車で通りかかった人にも、あみですくったくちぼそとしじみを、何個かあげた。くち ぼそは、黒と銀が混じっているようだ。だぼはぜのような魚と、たなごもあげた。たな ごは、七色のように光っている。たなごは、あげたくなかったけれども、ほしいという のであげてしまった。ぼくは、カラス貝を二十五個採ったと思った。ぼくが言ったとお り、ぴったり二十五個であった。みんな合わせて、六十個位採った。ぼくが、二十五個 で前原君は、三十個位、田沢君が、五個ぐらい採った。今日は、よく採れた方だった。
    しじみの食べ方は、おつゆにして食べると、とてもおいしい。まず、水の中に一、二 日ほど入れておく。砂をはくので、何回かとりかえてあげる。
    今では、その川もきれいであるが、タイヤなどのガラクタが、何個か捨ててある。も うゴミなどを捨てれば、すぐに水はきたなくなってしまう。水をきれいにすることは大 変だが、水をきたなくすることは、だれにでもできる。一日一日、川の水はきたなくな っているだろう。これから十年たつと、この川は、どうなっているだろうか。

👍 最初は友だちと釣りをしていて、飽きたのでしじみ採りに切りかえたのですね。川の中には、いろいろな生き物がいるのですね。また、貝を採りながら、タイヤなどのがらくたで川がよごれ、環境が悪くなっていることにも気づいたことがいいです。財布が見つかってよかったですね。
モズ(ある日の日記から)

    「マーちゃん、ちょっときてごらん。」
 と、二階から母の呼ぶ声が聞こえてきた。なんだろうと思い、急いでいくと、
 「ほら、あの鳥が、とかげをくわえているわ。」
 と、となりの家の屋根の上を指さした。
    見てみると、アンテナのところに、灰色をした、親鳥らしい鳥が「ギーギー」と鳴いていて、しばらくしてから、屋根のかげに入ったかと思うと、そのとたんに「ピーピーーピー」という、かわいらしいにぎやかな鳴き声が聞こえてきた。やはり、さっきの鳥は親鳥で、ひなのために、えさを取ってきたことがわかった。
  母は、
 「モズね。あの鳴き声は。」
 と、言った。ぼくは、
 (へえ、よくしってるなあ。)
 と、思った。
    ひなは、だいたい四羽ぐらいいるんじゃないか、と思った。
    母は、
 「モズはね、冬の前に、虫を木の枝の先にさして、えさをたくわえておく習性があるのよ。いつか、裏の梅の木に、からからになったとかげがささっていて、気持ちがわるかったわ。」
 と、言った。
    小鳥でも肉食だから、冬のえさの心配もするのだなあと感心した。
    しばらくして、親鳥がまたえさをさがしに「ギーギー」と鳴きながら飛びたっていった 。

👍 お母さんの声にふと心を動かし、もずの姿をじっと見つめたことを書いたのですね。もずの色・声をよく観察して、お母さんの話もよく聞き、自分なりに考えて書いたのがよいです。ほんのささいなことでも題にして、すてきな文章が書けるのですね。
六年作文集

 手をあげられた私(ある日の日記から)

    金曜日の朝、先生が、自分に自信を持つこととかいうようなことを言った。それを聞いて私は、
  (私は、いつも手をあげないなあ。)
 と思った。
    一時間目は、国語だった。先生が、
 「自分の話し方の反省を、手をあげて言ってください。」
 と言った。
    私は、どうしようかと迷った。その間に、加藤さんたちが発表していった。私は、加藤さんをみて、少しドキドキしたけれど、思い切って手をあげた。そのうち先生がさしてくれた。
    発表したらホッとして、となりの席の町田君に、
 「ねえ、書いて丸もらったんでしょ。手あげなよ。」
 と言った。
    町田君も、私みたいに迷っていたけれど、手をあげた。私もとなりの席の人も手をあげたので、あとの人の意見を聞いたりした。
    二時間目は、算数だった。算数の時間も、加藤さんをみて発表した。なんか一時間目に発表したので、楽に発表できた。
    私は、
 (一時間目に発表できたのは、加藤さんのおかげだなあ。)
 と、思った。これからも、もっと手をあげたいと思った。

👍 最初は、自信がなくなかなか手をあげらなかったのですね。でも、友だちのよいところを見習って、思い切って自分も発表してみようと思ったのですね。気持ちの変化がよく表現されています。
 見せかけだけでない母

  私の母は、おと年から、千葉の銀行へパートでつとめている。その銀行は、母が若いころ働いていたところ。朝は、毎日、せんたくやそうじを終わらせて、九時ごろ家を出て、四時半ごろ帰ってくる。
  母は、だいたいの日つかれて帰ってくる。両方の手で目をこすりながら言う。
 「目がつかれちゃうよ。昔は計算だってそろばんだったのに、コンピューターでしょ。」
 コンピューターをたたく手つきをしながら話す。
 「一つまちがえると全部とりけしてやらないとだめだから、大変なんだ。なれるまで一 
苦労だな。」
  こんな日もある。私が母より早く帰っていて、母は帰ってくると、重い荷物をドサッとおろして、
 「ああ、つかれた。おなかすいた。」
 と、ため息をついて言う。私は、(そんなに急いで帰ってこなくても、由季ちゃんとできるから、もっとゆっくり帰ってくればいいのに。)とつくづく思う。それから、エプロンすがたに着がえて、「会社の昼食がまずい。」とか、「量が少ない。」とか言って、あんパンなど買って食べる。私は、母がどんどん仕事をおしつけられているのを知っていたので、(仕事をたくさんおしつけられるんだったら、食事もきっちりと出せ。)といつも思う。(お母さんは、大変なんだな。)と思うので、妹と、四時ごろになったら雨戸を 閉めたり、帰って来たらせんたく物をとりこんだり、時間があった時は、たたんでしまったり、ふとんをしいてあげる。時々、(宿題がいっぱいあるのに。)とか、(あれやっていないから、急がないといけないないのに。)とか思って、さぼりたくなる。けれど、頭の中に、つかれて帰ってくる母のすがたがうかんできて、お願い、お願いと言っている。すると、自然に、(これはやらなくてはいけない。)と体が動く。
  時々私は、(こんなにやってるんだから、何か買ってきてくれないかなあ。)と思う。そんな日は、何も言っていないのに、
 「アイス買ってきたから、ごほうび。」
 と言って、私と妹の分が買ってある。
  私は、母が、(本当につかれているのかなあ。)と思う時がある。それは、テレビを見ている時だ。たとへば、すもうを見ている時なんか、自分が応えんしている人が出ると、あぶない時は、
 「わあ、あぶない。あぶない。それ押せ。がんばれ。」
 などと興ふんする。野球を見ていても、
 「やった。その調子で、みんなとっちゃえ。」とか、失敗すると、
 「ああ、バカだな。もっと前にいなきゃ。」とか、私と妹が二階にいてもよく聞こえる。
  私は、(本当につかれているのかな。)と思う時と、(つかれているのに、どうしてあんなに無理するのかなあ。無理することないのに。)と思う時がある。例えば、パン作りをしたり、テニスをしたりすることだ。
  パン作りの時なんか、手首がいたい時にこねたり、テニスをやってこしがいたくなったのに、あきずにやったりする。
  私は、そんな母を見ていて、(もしかしたら、仕事のつかれを、そういうことをして忘れようとしていて、それだから、いたさなんか感じないのかな。)と思った。
  母が休みの日は、いつもよりのんびりしていて、朝食が終わると新聞を読んでいる。たまに友達をよんで、おしゃべりをしていたりする。その時は、私が学校から帰ってきて、「ただいまあ。」と言っても無視する。
  その日、天気がいいと、ふとんをほしておいてくれることがある。ねた時、太陽のにおいがする。それと同時に、お母さんのにおいもする。
  私は、母を見ていて、(なぜ働くのかな。)と思う時がある。
 「ねえ、どうして働くの。」
 と聞くと、
 「菜生ちゃん達も、やることがないとつまらないでしょ。それに、お母さんは、のんびりやるより忙しい方が好きだから。」
 と、にこにこしながら言う。
  こんなことを言うこともある。夏休みが近づくと、
 「ああ、あと三十万ぐらいあれば、ロサンゼルスに行って、おみやげをたくさん買って来てあげられるのに。」
 と、ロサンゼルスにいる弟の所へ行きたがっている。私が、
 「お父さんに借りれば。」
 と言うと母は、
 「借りられるけど、自分のお金の方が使いやすいでしょう。人のだと返さなければいけないから、ひかえめになってしまって、使いにくいでしょう。」
 と、その時は楽しそうに手まねをしながら言う。
  私は、(お母さんが働いていて、ただいまと言っても返事が返ってこなくてさみしいな。けれど、お母さんにだってまだまだ夢があるんだから、私と妹でその夢をぶちこわすのはいやだ。お母さんの夢に対して、私はしてあげられることなら、手助けしてあげたい。)と思った。
  その思いを忘れないようにしようと決めた。そして、もっともっと仕事を続けて、夢を実現してほしいと思った。

👍 お母さんの常日ごろの生活ぶりをみて書いたのですね。「見せかけではない母」の題名にふさわしく、お母さんの生き方をよくとらえ、お母さんへの人間理解を、事実に基づきながら展開しているのがいいですね。疲れているお母さんのお手伝いを進んでしたり、夢を実現させてあげた いと思ったり、とてもお母さんへのやさしさがにじみ出ています。
親とはなれてすごした半年

  「ただいま。」
 と、つかれた声で、お父さんが会社から帰ってきました。
  着がえてから、つかれたと言いながら、こたつに入りました。
  私は、作文の宿題があったので、お父さんのとなりに入りました。そして、つかれた様子のお父さんに聞きました。
 「むかし、苦労した話ってある。」
 お父さんは、少し考えてから、
 「戦争があったころならね。」
 と言いました。私は、お父さんが戦争の経験があるのは知っていましたが、くわしくは知らないので、その話を聞いてみたくなりました。それで、
 「じゃあ、戦争のころのこと教えて。」
 と言いました。
  お父さんは、ひと息入れて、話し出しました。
 「戦争が始まって、小学一年生になってすぐに、群馬県館林のおじいさんの所へあずけられたんだよ。その時、お父さんとお母さんと、わかれをつげて、東京から群馬県の館林へ、一人で汽車に乗って行ったんだよ。」
  お父さんやお母さんとわかれる時のかなしさを、もう一度思い出しているようにゆっくりと話してくれました。私は、(へええ、一人で東京から群馬へ行ったのか。すごいなあ。)と感心して聞いていました。お父さんは東京に住んでいて、戦争がはげしくなったため、いなかへひなんしたのです。
 「おじいさんの家へ行けば、朝六時起床、それからすぐに庭そうじというスケジュールがあって、とてもらくはできなかったよ。朝六時起床というのは、つらかったなあ。だけど、ねむくても、毎日、きちんと六時には起きていたよ。」
  お父さんは、いつものようにビールをのみながら、遠いむかしを思い出しているような目つきで言いました。私は、メモを取りながら、聞いていました。
 「それから、ごはんを食べて、つぎはぎした服なんか着ていったものだよ。あと、今の中学生がかぶっているようなぼうしと、ランドセルをしょって、げたをはいたかっこうで、学校へ行ったんだよ。朝食は、白さいのつけもの、みそしるに、麦を入れたごはんぐらいだったかな。」
  お父さんは、よく思い出しながら話してくれました。そして、少しの間、考えているようにだまりこんでしまいました。(今の朝ごはんと比べてみると、ずいぶん差があるなあ。)私はそう思いました。
 「学校のこととかはどうだったの。」
 と聞くと、
 「あ、そうそう、今のように、遠足や運動会などの、特別な行事はなかったんだよ。」
 と、お父さんは話し出しました。(むかしは特別の行事がなかったのなら、しょっちゅう勉強ばかりだったのかなあ。)私はそれを聞いて思いました。
 「それで、授業中に先生がろうかで、『空しゅう警報。空しゅう警報。ただちに防空ごうにひなんせよ。』と、大きな声が聞こえると、今まで静かだった教室やろうかがざわついて、どんなことがあろうと、すぐに授業を中止し、急いで防空ごうへひなんしたんだよ。その時の先生は、いつも勉強を教えてくれる姿とはちがって、命がけで、声がかれるほど、大声をはりあげて生徒をひなんさせてくれたんだよ。」
  お父さんは、しんけんな顔で話してくれました。私は、(そうか、それじゃあ、生徒はもちろんだけど、先生は、空しゅう警報になると、ひっしだったのだな。むかしは、昼間の間は、生徒一人一人の命を、学校があずかるといっていいくらい、学校全体がしんけんだったのだな。)と思いました。
 「昼食は、麦をまぜたごはんに、つくだににうめぼしぐらいのお弁当だったよ。たまには、パンももっていったけど、黒パンでおいしくなかったんだ。でも、そのころは、ぜいたくいえなくて、しかたなく食べたんだよ。」
 「家へ帰れば、みんな遊ぶひまなんかなかったんだよ。おつかいや、せんたくの手伝い、子守りなどが待っていたからね。お父さんは、家へ帰れば、すぐに畑仕事の手伝いをしたんだよ。あせまみれになってがんばったんだ。畑仕事の手伝いが終わって帰ってくれば、今度は、おふろの水くみをして、おふろをたいたんだよ。おふろは、まきでたいたんだ。それを考えてみれば、今の子は幸せだよ。」
  お父さんは、むかしのことを、よく思い出してくれました。私は、(むかしは、みんなお手伝いしたけど、今の私たちは、あまりお手伝いしないもの。その差があるなあ。) 
と、つくづく思いました。
 「夕食は、さばのみそにと、さといものにっころがしに、みそしる。あと、麦を入れたごはんで終わりだったよ。麦のごはんなんて、口の中でぼそぼそして、のどにつまってなかなかのみこめなかったんだよ。でも、栄養をとるため、がまんして食べなきゃいけなかったんだ。」
  海外からの物の輸入がまったくなくなり、国内の生産も少なくなったので、いろいろな物が不足し、今まで経験したことのない食生活をしたそうです。お米は、配給せいどのため、お金があってもお米が手に入らなくて、とても困ったそうです。
 「夜ねる時は、今までかわいがってくれたお父さんやお母さんの、一つ一つのしぐさを思い出して、一日も早く東京へ帰れることをいのって、その日を待っていたんだよ。そして、一日一日をいっしょうけんめい働いたりしたから、つかれを次の日にのこさないように、ぐっすりねたんだ。でも、時々は、ねているときに、東京の自分の家のゆめを、いろいろみたんだよ。」
  お父さんの顔は、小さいころを思い出しているように、ほほえんでいました。私は、(ゆめみるほど、お父さんやお母さんが、こいしかったのだな。)と思い、お父さんの苦労が、よくわかりました。
 「一番苦労したのは、おなかいっぱい食べれなかったことだよ。今のように、おいしいクッキーのおやつなんかもなかったよ。でも、食べ物がないこともしりながら、おじいさんやおばあさんに、『おなかすいたから、何かちょうだい。』と、ねだったこともあるよ。でも、もうこんなことは、二度と子どもにあじあわせたくないと、だれの親でも思っているよ。」
  お父さんは、戦争は、もう二度と、おこってほしくないというように、教えてくれました。
  私は、今までお父さんが戦争を経験したのは知っていたけれど、こんなに苦労したということは、はじめてわかりました。そして、こんな小さな小学一年生のときのことをよくおぼえているということは、いかに戦争がこわいかということで、それをお父さんの話によって、今までよりもっとよくわかりました。

👍 お父さんが昔経験した、戦争のころの苦労話を聞いたのですね。当時の大変さが、とてもくわしく書かれています。食べ物が少なく、いつもお腹をへらしていた、お父さんの子どものころのようすが、   よく伝わってきます。戦争のことがよく分かってよかったですね。戦争ほど残こくなものはないですね。 
農民運動をしたおじいちゃん

  私は、お母さんに、昔の話を聞きました。
 「ねえ、お母さん、昔の苦労したこと教えて。作文に書くんだ。」
 と聞くと、お母さんは、台所のテーブルにこしをおろし、きくの花をむしって、
 「そうねえ、そういえば、薫、知ってる。ちゃんと、おじいちゃんとおばあちゃんがのっている古い本があるよ。」
 と言いました。
 「へえ、本があるの。見たぁい。」
 ときり出すと、お母さんは、きくの花をむしるのをやめて、今度は、洋間へ行って、一さつの本を取り出しました。
  本をめくりながら話しはじめました。
 「おじいちゃんは、農民運動といって、農家の人を差別しないように、運動して有名だったのよ。だから、この本におさめられたんだよ。そのため、お母さんと、おばあちゃんは、国ぞくと言われていたのね。国ぞくっていうのは、国のためにならない人ということ。それで、おばあちゃんがお買い物をしに行くと、お店の人が『もう、みんな売り きれたよ。』といって、食べ物を、なかなか売ってくれなかったのよ。」
  お母さんは、うらめしそうに、うちの犬のタクを見ていました。
 「ねえ、その先教えて。」
 私が言うと、タクをだいて話し出しました。
 「だから、お母さんの妹とお母さんは、子どもだったから、他人のうちへあずけられたの。今でも、育ててくれた人を『お母さん』とよんでるわ。おじいちゃんは、農民運動で何度もろうやに入れられたの。」
 と言って、タクをなで回しました。
 「何でろうやに入れられたの。そんなにわるいこと。」
 と聞くと、
 「ううん、その時は、けいさつや兵隊さんがえらくて、農家の人がせっかく作った米など、みんなとってしまって、ね。おかしいでしょう。農家の人が作った米を、全部もっていって、農家の人は、が死した人がたくさん出ていたの。だから、おじいちゃんが真っ先に運動したの。この時代は、えらい人と、いなかの人を差別する時だから、けいさ つにさからう人は、みんなろうや入り。ひどかったのよ。それで、おばあちゃんは、ど んなに心配したでしょうね。そのうち、おじいちゃんも、年をとって亡くなって、おばあちゃんも亡くなったの。お母さんは、子どものころ、すごくさびしかった。友達がい なかったから。その時、どんなにおじいちゃんをうらんだかわからないけど、今考えると、おじいちゃんは、えらかったんだなあって思うよ。」
 と言って、タクをひざからおろし、本を取り出して、ページをめくっていました。
  それから、次の話をし出しました。
 「この本には、おじいちゃんのことも、おばあちゃんのことも、たくさんのってるよ。作者の人は、おばあちゃんが病院のふ長さんの時、おばあちゃんがやさしくしたらしいの。だから、書きのこしてくれたのね。おじいちゃんのことがよく出てるわ。今でも、その人から、毎年、手紙がくるわ。今度、機会があったら会ってみる。」
 と聞かれたので、私は、
 「うん。」
 と、返事をしました。
  その本を書いた人に、なぜおじいちゃんのことを書いたか聞きたかったからです。
  それにしても、お母さんたちは、(食べ物のことだけじゃなく、たくさんたいへんな
 ことがあったんだなあ。)と思いました。

👍 お母さんから話を聞いて、おじいちゃんやおばあちゃんの苦労話を書いたのですね。農民運動をして、大変だったようすがよく伝わってきます。話をするお母さんの仕草もよくとらえています。今の時代からは想像ができないできごとが、昔はあったという社会のことが分かってよかったですね。すばらしいです。
おばあちゃんの苦労
   
  私のおばあちゃんは、明治生まれで、今年で七十三さいです。
  土曜日の夜、ごはんを食べ終わってから、ちゃぶ台の前にすわっているおばあちゃんに、
 「今度作文を書くから、おばあちゃんがむかし苦労したことを話して。」
 と、言っておばあちゃんの前にすわりました。おばあちゃんは、
 「そう、じゃあ話してあげるよ。」
 と、にこにこして話し始めました。
 「おばあちゃんの子どものころの話からするね。」
 と言って、少し考えてから、
 「おばあちゃんの家は、むかし農家だったんだよ。」
 と、話し出しました。
 「それでね、おばあちゃんはね、子どものころ、学校へ行きたくても、家の手伝いがあって、学校へあまり行けなかったんだよ。」
 と、ゆっくりと言いました。
 「家の手伝いって、どんなの。」
 聞きたくなって、私が聞くと、
 「お昼ごはんのおむすびを小さい手でにぎってね。それをかごでしょって、四キロもはなれた田んぼに持っていったんだよ。あれは、十二才のころだったかな。」
 と、言いながら、おばあちゃんは、手でおむすびを作るまねをしました。
 「それからね、田んぼまで行くとき、線路道を歩いていってね、歩きながら、汽車が来るか来るかと心配しながら行ったんだよ。」
 と、つづけて言いました。私は、(今は、みんな学校へ行けるけど、むかしは行けなくて、それだけ苦労していたんだな。)と思いながら聞きました。そして、
 「あとは。」
 と聞きました。おばあちゃんは、
 「あと、そうだねえー。」
 と言いながら、少し考えるようにしていました。そして、急に思い出したように、
 「あっ、そうそう。むかしは、うちでも蚕をかっていてね。蚕を育てるのも手伝ったんだよ。」
 と言い出して、ひと息つけました。それから、
 「桑畑から桑を両手いっぱいに持ってね、坂を上ったり下ったりしたんだよ。たいへんだったよ。まだおばあちゃんも小さかったからね。」
 と、桑を両手いっぱい持ってるかっこうをしました。
  そこで、おばあちゃんは、ちょっと間をおいて、少し笑い、
 「それから失敗したこともあったんだよ。」
 と言いました。私は、早く聞きたくて、
 「どんなこと。」
 と、すぐに言いました。おばあちゃんは、
 「それはね、蚕に食べさせる桑をとっている時、夜の十一時ごろだったかな。ねむくてねてしまったんだよ。それが見つかっちゃって、おばあちゃんの親に、桑の木でおしりをたたかれたんだよ。」
 と、桑を持ってたたいているようにしました。もうあのことは忘れないという感じに、私には見えました。
  私は、もっと聞きたくなり、さきをさいそくしました。おばあちゃんは、今度は、戦争のころの話をしてくれました。
 「お父さんを産んでから、戦争が始まってね、いなかにそかいしに行ったんだよ。それで、おじいちゃんもおばあちゃんも、戦争のことを心配しながら仕事をしてね。たいへんだったよ。」
 と言いました。
 「おじいちゃんは戦争に行かなかったの。」
 と、私が聞くと、
 「おじいちゃんは、せいが低かったから、戦争へは行かなかったんだよ。でも、やっぱり心配だったよ。」
 と言いました。
 「戦争中は、食べ物、着る物、お金、なんにもなくてね。苦労したよ。知美のお父さんも、まだ小さかったけど、やっぱり苦労したんだよ。それにね、戦争で使うからといって、おなべやキセルなんかみんな持って行かれてね。」
 と、むかしを思い出しているように言いました。私は、(今は食べ物がなくなる心配がないからいいなあ。)と思いました。
 「戦争が終わると、そかいから東京へ帰ってきてね。いろいろな苦労があったけど、一番苦労したのは、お便所のくみとりをしたことだったよ。それが大変でね。死ぬ苦しみをしたんだよ。」
 と、はずかしそうに言いました。
  そして、話は、終わりにむかいました。
 「それから、だんだんくらしがよくなってきてね。お米も食べられるようになったんだよ。でも、それは、配給だけどね。」
 と言いました。それから、
 「戦争はもうぜったいにやってほしくないよ。」
 と言って、おばあちゃんは、ため息をつきました。そして、
 「もう、あんな苦労はしたくないよ。」
 と、最後に言いました。
  そんなおばあちゃんを見ていると、私たちには、いやな思いをさせたくないんだと言いたそうに、私には見えました。

👍 おばあちゃんの苦労話を聞いて書いたのですね。農家で育った話から戦争のときの話まで、とてもくわしく聞いて、おばあちゃんの 苦労がよく分かるように、まとめることができましたね。聞いているときのおばあちゃんのようすや自分の気持ちなどもしっかり書けていて、とても興味津々で聞き入ってることが分かります。                    
 ゲームウオッチと私

  今年の夏、ゲームウオッチが流行していたころのことでした。
  慎ちゃん(兄、中一)が、八月三十一日がたん生日なので、お父さんに、
 「ゲームウオッチ買って。」
 と、言っていました。(私のたん生日は二千円だけど、お兄ちゃんだけ六千円なんてずるいな。)と、私は思いました。それで、お母さんにそのことを話すと、
 「そんなことしないわよ。慎ちゃんに二千円出してもらうから。」
 と、お母さんが言いました。
 「でも、四千円だすんでしょう。」
 と言うと、ちょっといやな顔をしながら、お母さんは私に二千円くれました。
  慎ちゃんは、「ドンキーコング」を買うと言っていました。
  それから二、三日たった日、慎ちゃんが買いにいくと言いました。それで、(私も買 おう。)と、思いました。
  その日は、台風が来ていて、すごい風でした。でも、私は、(みんなが持っているんだ。)と思うと、とてもほしくなり、慎ちゃんと二人で買いに行きました。慎ちゃんは、もう「ドンキーコング」と決めていたのですが、私は、うすうす(「ハンバーガーショップ」にしよう。)と思っていました。テレビのせんでんが楽しそうだったからです。イトーヨーカドーに着きました。エスカレーターで、三階まで行きました。慎ちゃん が「ドンキーコング」を買って、レジの所にいる間、私は、ゲームウオッチを売っている所で、(どれにしようかなあ。これにしようかなあ。でも、こっちもおもしろそうだ し。)と思っていました。
 「早くしろよ。」
 と、慎ちゃんが急がすので、まよったけれども、思い切って「ハンバーガーショップ」 を買うことにしました。
  家に着くと、お母さんが、
 「麻美も、買ってきたの。」
 と、少しがっかりしたような声で言いました。それで、私は、(お母さん、さんせいじゃなかったんだな。)と思いました。それで、私は少しがっかりしたけど、すぐにやり始めました。
  「ハンバーガーショップ」というのは、お客さんがいて、注文したのがすぐ消えてしまい、その注文されたのを覚えておいて、その品物の所に行って、持ってくればオーケーになるという遊びです。注文の品を忘れてしまい、でたらめにやったりすると、「ブーッ」といって、右に女の人の泣いた顔やらがでます。
  その日、私は、正午から四時ごろまでやっていました。四時までやっていたので、大部うまくできるようになりました。
  そして、次の日からは、毎日十回ぐらいはやりました。それが、しばらくつづきました。でも、日がたつにつれて、だんだんやる回数はへってきました。だんだんあきてきたのです。
  今では、慎ちゃんの「ドンキーコング」の方がよくなりました。それは、「ドンキーコング」は二面だし、いい音だし、アラームがついているし、おすところは四方向になっているからです。それは、タルが転がってくるので、それをとんで、ぶつからないようにして、コングの乗っているのを取るというものです。私が、この「ドンキーコング」ばかりやっていたので、ある日、慎ちゃんに言われてしまいました。
 「ハンバーガーショップは、もうあきたの。」
 お母さんにも、
  「どうして買ったの。」
 と言われてしまいました。それを聞いて、私は、口には出さなかったけど、(だって、みんな持っていたし、テレビのせんでんでは、おもしろそうにやっていたからだよ。)と、思いました。 
  でも、私はやっぱり「ハンバーガーショップ」を買ったことをこうかいしました。(今になってこうかいしてもおそいなあ。でも、今度は、犬の方がほしくなっちゃったなあ。)と思いました。今、私の家にいるマルチーズのモコはおすだから、今度は、マルチーズのめすを飼って、赤ちゃんを産ませたいからです。
  今、私は、時々お手伝いをして、お金をためて犬を買おうと思っています。「ハンバーガーショップ」のように、すぐあきてしまうものより、犬の方がずっとあきないと思うからです。モコは一年から飼っているけど、今でもあきないからでもあります。

👍 お兄ちゃんと一緒に、ゲームウオッチを買いに行ったときのことを書いたのですね。自分が買ったゲームが飽きてしまって、買ったことを後悔しているようすがよく伝わってきます。でも、すぐに飽きてしまう物と飽きない物のちがいが分かってよかったですね。             
となりのおばさん

  私は、おばさんを、とってもこわい人だと思っていました。それは、こんな事があったからでした。
  おばさんというのは、となりの家の女の人です。三十すぎの人です。私は、志津に一年生に入る前にひっこしてきたのですが、初めておばさんにあったのは、第一回目におこられた時でした。それは、一年生の時でした。私は、自転車を買ってもらって、うれ しくてうれしくて、家の前をぐるぐるまわっていました。そして、私は、つかれたので 家の中に入りました。その時は気づかずにいたのですが、また外に出た時に気がつきました。おばさんの家の前に、置き場所をまちがえて、自転車を置いてしまったのでした。 「どうして人の家の前に置くの。自分の家の前に置けないの。」
 と、おばさんにおこられたというより、きつく注意されました。私は、(少しの間置いただけなのに。)と思い、また自転車に乗ろうと思っていたけどやめて、自転車を家にしまったのでした。これが、一回目におこられたことです。
  それだけではありません。こんなこともあったのです。それは、二年生の終わりのころのことでした。私は、弟と、家の前でボールを投げて遊んでいました。そして、ボールがおばさんの家に入ってしまいました。おまけに、はちまでわってしまったのです。そのボールは、浩が投げた球でした。私と弟の浩は、おっかなびっくりあやまりに行くことにしました。よびりんをならすと、おばさんは、ふつうの顔で出てきました。(あっ、こわそうな顔してないから、そんなにおこられないな。)と思って、
 「ごめんなさい。おばさんの家のはちをわってしまいました。」
 と、浩と声を合わせて言いました。すると、おばさんの顔が、急にこわくなったようでした。
 「どうして家の前でボール投げなんかするの。だから、うちの庭に入ってはちがわれるのよ。」
 おばさんは、浩の方を見ず、私の方をじっと見ておこりました。私は、ずっと下を見て 
いました。そして、(自分たちが悪いと思ったからあやまったのに、あんなにおこることないのに。)と、少しはらがたちました。
  でも、私は、大きくなるにつれて、この考えが少し変わってきたのです。こわいとばかり思っていたおばさんにも、ちがうところがあることに気づいてきたのです。
  それは、四年生の時でした。私は、浩とすわってアイスを食べていました。そして、浩が急に後ろから「ドン」と、私のせ中をおしました。そのとたん、私は、アイスを地面に落としてしまいました。そのところを、おばさんが見ていたのです。私は、(なにか言われるかな。こわいなあ。)と思いました。よくおこられたり、何か言われたりしていたからです。けれど、おばさんは何も言わないで、家の中に入って行きました。よかったと思って、浩にもんくを言っていると、しばらくして、おばさんがさっき落としたのと同じアイスを持って出てきました。私は、(どうしたんだろう。)と不思議に思いました。おばさんは、こっちに向かってきます。そして、
 「もうアイス落としちゃだめだよ。これをあげるから食べな。」
 と、やさしく言ってアイスを二本くれました。私は、こんなことから、おばさんにやさしいところもあるのだなあ、と思ってきたのでした。
  私は、その時、前にお母さんから聞いた話を思い出しました。聞いた時はあまり思わなかったのですが、その時、強く思い出したのです。それは、おばさんに子どもがいないという話です。それは、私がおばさんにおこられたことをお母さんに、知らせた時の事です。私がお母さんにそれを言うと、
 「あのおばさんはね。子どもがうみたくてもうめない、かわいそうなおばさんなんだよ。」と、お母さんが、ごはんを食べながら言ったのでした。
  私は、(それで、私たちにアイスをくれたりするのだなあ。それに、悪いことすると、おこったりもするんだなあ。)と思ったのです。
  こんな事も思い出します。
  五年生になってからのことです。
  一年生ぐらいの子が、ころんでしまって、ずっとその子は泣いていました。その泣き声を聞いて、おばさんが、不思議そうに家から出てきました。おばさんが、その子を見て、ちょっと首をひねり、それから、家の中へつれていきました。(どうしてつれていったのかな。)と思って見ていると、バンソウコウをはって赤ちんをつけた子どもの手をひいて、おばさんが出てきました。
  私は、こんな事から、(おばさんは、こわい人だと思っていたけど、そうではないんだな。子どもがいないので、私たちをおこったり、親切にしてくれたりして、さびしさみたいなものを、なくしていたのかもしれない。(私は、考えまちがいをしていたんだなあ。)と思ってきたのです。

👍 となりのおばさんについて、長い目で観察してきたことを、組み立てを工夫して、上手にまとめましたね。おばさんの事、自分の気持ちの変化に着目して、事実を積み上げながら、とても分かりやすく書くことができました。そして、となりのおばさんについての人間理解が深まりましたね。
おりるのがたいへんだった木登り

  土曜日の日、森田さんと、みかんさんと、私で、自然公園に木登りに行った。木の枝にロープがあったので、それをもって上がった。
  みかんさんは、五、六回で、上に登った。次に、森田さんが登った。私は、何回やっても登れなかった。私は、(あたしだけ、どうして登れないのかな。)と思った。二人が、木の上から下りてきて、私を下からおしてくれた。
  枝と枝の間に、足をかけて、体を上にもち上げる。私は、歯をくいしばって登った。上に登ると、景色はいいが、下を見るとこわくて足がふるえてきた。高さは、四メート ル位で、太さは、体ぐらいだ。さっきまで、わくわくしていた気持ちが、(早く下りたいよ。)という気持ちに変わってきた。(よしっ、下りよう。)と思った時、私は下り方 をわすれていたのだ。私は、あせってしまった。そして、みかんさんに、
 「ねえ、どうやって、下りたらいいの。」
 と聞いた。すると、
 「そこのロープをつたわって下りたら。」
 と言ってくれた。
  私が、下りようとしたら、また、みかんさんが、
 「気をつけなよ。落ちて、うちどころが悪かったら、死んじゃうから。」
 と言った。私は、さっき以上に、足がふるえてきた。(とび下りようか。でも、足のほねでも折れて、歩けなくなったら。)私は、だんだん不安になってきた。そう考えているうちに、泣きたくなってしまった。私は、(ようし、ロープをつたわって下りるぞ。) と思った。しかし、どのような順番で下りたらいいのかわからない。(どうしよう。)私は、考えた。そして、(登ったときの逆の順番で下りたらいいんだ。)と考えついた。
  まず足を下ろして、体を下ろして、ロープにつかまる。そして、ゆっくり下りる。その間、私は、(神さま、どうかけがをしませんように。)と思っていた。下の方に来て、足を思いっきりのばした。足の先が何かかたいものにあたった。よく見ると、地面に足が着いていた。(やった。)私は、心の中でさけんだ。もう、うれしさでいっぱいだった。(かゆい。)私は、何だか足がかゆい。よく見てみると、かにさされて、ふくれあがっていた。さっきまでしんけんに下りていて、気がつかなかったのが、下りてしんけいを 休ませていたので、気がついたのだ。私は、かにさされたところを、思いっきりかいた。 でも、とまらない。だから、つめで×印を書いた。やっと、かゆみがとまった。(ほっ、これで一安心。)と思った。
  一安心してまわりを見ると、とんぼがとんでいた。つかまえようとして、とんぼを追いかけていたら、さっきまで砂場で遊んでいた小さい子が、私たちのまねをして、木に登ろうとして、ころんで泣いているのを見つけた。私たちは、
 「あんな小さい子が登れるのかなあ。」
 と言っていた。
  私は、運動しんけいがとってもわるい。(私が、やっと登れた木なのにあんな小さい子が登れるのかなあ。)と思って、じっと見ていた。その子たちが登っていた時も、みかんさんは、
 「また登りたいなあ。」
 と言っていたけど、私は、
 「やだあ。もう、登るのは。」
 と言った。なぜかと言うと、もうこわくて、あんな所登りたくないと思ったからだ。
 (木登りはとくいだから、一ぺんぐらいで登れるぞ。)と思っていた私が、今は、(もういやだ。木登りなんか。)と、思うようになってきてしまった。(私は、弱虫なのかな。)と思った。

👍 お友だち三人で木登りをしたときのことを書いたのですね。登るとき、下りるときのようすと気持ちの変化がよく書き表されています。とてもこわい思いをしたので、もう二度と登りたくないという気持ちが、とてもよく伝わってきますよ。お疲れさまでした。     
カギをなくして

  夜、家族でおばさんの家へ遊びに行く時、げんかんで、
 「かおり、カギ持ってきて。」
 と、お母さんが私に言いました。私は、
 「うん。ちょっとまってて。」
 と言って、二階へ行くかいだんを、ドタドタとあがって、自分の部屋へ入りました。
    手さげのひもの所を見たり、ランドセルの中を見たり、つくえの下やベットの下を見たりしましたが、カギはどこにもありません。(しょうがない。お母さんになくしたことをあやまるしかないな)と思いながら、そっと下へおりていきました。
 「あった。」
 と、お母さんが急に言ったので、びくっとしながら、
 「なくしちゃった。ごめんなさい。」
 と、ふるえる声で言いました。
 「なんでなくしたの。これで二度目じゃない。」
 「ごめんなさい。」
 また、小さな声で言ったら、
 「もう一度さがしてきなさい。見つかるまでおばさんの家には行かせませんよ。」
 と、こわい声で言ったので、たいへんだあと思って、急いでまた、二階へ上がりました。お父さんと弟は、車の中で待っています。お母さんは、二階へ上がってきて、
 「なくした時のことを、もう一度よーく思い出してみなさい。」
 と言いました。
    わたしは、きのうのことを一つ一つ思い出してみました。たしか、きのうは、お母さんが出かけるのに、私のカギを持っていったんだ。たぶん、それっきりなくなっちゃったんだと思い、
 「お母さんが使ってからなくなっちゃったんだよ。お母さんが悪いんじゃないか。早くいっしょにさがしてよ。お母さんがなくしたんだから。」
 と、どなって言ってしまいました。お母さんは、不思議そうに、
 「お母さんは知らないよ。きのうは、借りてから、すぐ返したわよ。」
 と言いました。でも、
 「知らないよ、そんなこと。」
 と、お母さんが言ったことなど無視して、ふてくされながらさがしました。下では、お父さんたちが待っていると思うと、余計にイライラしてきました。二階の弟の部屋から、お父さんの部屋のタンスやふとんの下、つくえの上、下の部屋の思い当たる所など、お母さんもいっしょに見てくれましたが、ありません。 
    それから、自分の部屋の机の引き出しの中やタンスの引き出しなどをさがしましたがありませんでした。お母さんも部屋のすみずみまで、ひっしでさがしていました。
    もう、あきらめてさがすのをやめようとしたとき、(あっ、そうだ。きのうお母さんからカギを返してもらってから、どうしたんだっけ。)と、きのうのことを思い出し、記憶をたどっていきました。そのときお母さんが、
 「きのうはいていたズボンのポケットの中、見てみた。」
 と、かん高い声で言ってきました。わたしも同じように思っていたので、
 「わかった、今見てみる。」
 と、急いで階段を下りて、下にある洗たく機のあるところに行ってみました。洗たく物はまだ洗ってなくてそのままになっていました。そして、その中に入っていたズボンのポケットを調べました。左側のポケットにはありませんでした。(どうか神さま、右側 のポケットにはありますように。)と、いのるような思いでそっとポケットに手を入れてみました。その時、何か固い物に手がふれました。(あった。よかった。)とてもうれ しく思って。お母さんに大きな声で、
 「お母さん、あったよ。ズボンの中に。」
 お母さんも、少し安心したように、
 「あって、よかったね。これからは、なくさず大事にするんだよ。」
    わたしは、気を取り直してお母さんと一緒に、お父さんたちが待つ車にもどりました。弟が何か文句を言っていましたが、無視して後ろの座席にそっと座りました。

👍 家族で出かけるときに、玄関のカギがないことに気づたのですね。その時のようすが、とても生き生きと書かれていて、かおりさんの気持ちもとてもよく伝わってきます。やっぱりなくしたものは、その時のようすを振り返って、思い出してみることがよいのですね。
 上海でのお母さんのくらし

    土曜日の夕方、わたしが、作文の宿題があるのを思い出し、
 「お母さん、作文の宿題で、お母さんの子どものころの苦労を、聞きたいんだけど。」
 と言うと、お母さんは、すぐに話し出してくれました。
 「そうね、お母さんは子どものころ、上海という所にいたのよ。」
 ばんごはんのしたくをしながら、手をいそがしそうに動かしながら、話してくれました。
 「それから、中国もあぶなくなったので、大連というところにそかいしたのよ。そのころ、おじいちゃんは、日本の仕事をしていたので、大連では女だけの家になっていたのよ。」
 わたしは、(女だけの家なんて、心細かったろうな。)と思いました。
 「あっ、そうそう、ある日の夜。お母さんたちが本を読んでいると、まどの外でゴソゴソと音がしたの。それで、(あっ、ロシア兵が来たかな。)と思って急いで電気を消してねたのよ。その夜、とつぜんね、ガチャガチャとドアのかぎをこわして、もう一個くさりもしてあったんだけど、それもちぎっちゃって入ってきたの。」
 お母さんは、こわかったことを思い出したように、少し声を大きくして話しました。そして、お母さんは、つかれたように一息ついていました。しかし、わたしは、つい、
 「それで、それで。」
 とせかしてしまいました。早く先を聞きたいからです。お母さんは、ちょっと間をおいて、
 「それでね、おばあちゃんを連れていこうとしたの。でもね、昔、お母さんたちはお金持ちだったから、子どもの着物やうで時計を、全部あげちゃってね、ロシア兵を帰らしたのよ。」
 と、ゆっくり思い出しながら話してくれました。
    わたしは、さっきから気にかかっていたことを聞いてみました。
 「お母さん、ロシア兵ってなあに。」
 「ロシア兵というのは、ロシア人の兵隊さんよ。」
 「それで、ロシア兵は、どんな人をつかまえて、どこへ連れていくの。」
 「それはね、むすめさんを自分たちの基地に連れて行って、働かすのよ。あっ、そうそう、その日は、となりのむすめさんを二人連れていったのよ。」
 と、お母さんは、やはり思い出すように話しました。わたしは、(なんてむごいひとなんだろう。)と思いました。お母さんは、顔をしかめて、
 「あのころ、とってもこわかったわ。」
 と、つぶやくように、ほうちょうの手を止めて言いました。
 「そのころね、おばあちゃんは、着物をぬうのを教えたりして、お金をためていたのよ。それでね、お母さんたちは学校から帰っても、だれもいなくて、小学校一、二年でね、ごはんをたいたり、おつゆを作ったりしていたのよ。」
 「それからは、もうないの。」
 「そうね・・・。あっ、そういえば、日本へ帰る時は、何も持って帰れなかったのよ。お金、洋服などはもちろんね。なぜかというと、日本が負けてしまったからよ。」
 「ふうん。」
 「それからね、海にはばくだんとか、いろいろなしかけがしてあってね、一つ二つと船がちんぼつしていったの。お母さんたちは、うきわとかしてかん板に出て、ちんぼつしても大じょうぶなようにしていたの。二つの船の間をうまあく、ぬけていったのよ。だから、無事についたの。ちんぼつした船に乗っていた人は、みんな死んで、助かったのは、その船に乗っていた人だけよ。」
 「ふうん、ほんとうに。」
  お母さんは、わたしに何も言わなかったけど、本当は、わたしに、(もう自分のようないやな思いは、させたくない。)と、思っているような感じでした。それにしても、(お母さんの子どものころは、たいへんだったなあ。)と、思いました。
    お母さんは、話し終わってからまた、すぐに、ごはんのしたくの続きをし始めました。

👍 戦争のころのお話を、お母さんから聞いたのですね。細かなところまでよく聞きましたね。中国での生活は、とても大変だったことでしょうね。お母さんの話しぶりや言った言葉が、く わしくていねいに書かれていて、とてもすばらしいです。戦争は二度と繰り返したくはないですね。    
がけのぼり

    「木村さあん、あそこのぼってみよう。」
 とわたしが言って、二人でがけまでかけて行きました。わたしが先頭になってのぼってみたら、一回で上まで着きました。続いて木村さんものぼってきましたが、大きなしりもちをついて、「ズルズルー」と音を立ててすべり、下まで落ちてしまいました。けれども、木村さんはあきらめません。またくじけずにちょうせんして、のぼってきました。しかし、また「ズズズズズー」と一番下まで落ちていきました。わたしはたまらなくなって、大きな声でわらってしまいました。木村さんはおこって、
 「たけ田さんてそういう人だったのか。」
 と言いました。わたしは、わらいながら、
 「そんなこと言ったって、これを見てわらわない人はいないよ。」
 と言いました。木村さんは、まだ負けずに上ってきます。けれども、またまた落ちてしまいました。それを何度も何度もくり返して、やっと木村さんが上ってくると、もう木村さんの洋服は、まっ黒でした。そして、ため息をつきながら、
 「命びろいした。でも、下りるときどうしよう。」
 と言い出したのです。わたしは、あきれてしまいました。
 「あんなにうまく下りてたじゃない。」
 と、わたしは言い返しました。すると、木村さんは、
 「あれは、下りてたんじゃないよお。」
 と言いました。木村さんは、下りたそうでしたが、わたしは、がけづたいにどんどん進んでいきました。時々、「キャー」と木村さんがさけんで、変なところに足をつっこんでしまう時もありました。そうかと思えば、わたしが、
 「キャー、変な虫のたまごがついた枝、持っちゃった。」
 と、言う時もありました。横のがけは、今にもくずれ落ちてきそうです。そして、やっと目的地が見えてきました。遠くで見たときは、その目的地がすぐ上れそうな、かんたんながけに見えたのですが、だんだんそばに近づいてくるがけを見ると、(心配だなあ。上れるかな。)という気持ちが、こみあげてきました。
    やっと、目的地に着きました。二人とも、あせびっしょりです。木村さんが言いました。
 「ええ、こんなところ。わたしのぼれないよ。」
 それでも、わたしは一人で、次のがけにちょうせんしました。ちょうど木の根っこがでていたので、そこをぎゅっとにぎりました。そして、ちょっとへこんでいるところへ足をかけて、横にずれました。そこまではよかったのですが、そこからが問題です。少しへこんでいて、足をかける場所はあるのですが、手でつかむ木の根っこが、一本もありません。やっと見つけて、にぎったと思ったら、力をいれたとたん、「プツッ」と音がして切れてしまったのです。(これでもうおしまいだ。もどるしかない。)と思って、もどろうとしましたが、もどれないのです。(しょうがない。一番上まで上ってやるぞ。)と思い、土につめを立てて、ひっしで上り始めました。なんだか、こわくてこわくて、しょうがありませんでした。そして、やっと上に手がとどきました。その後は、うでではい上がりました。
    ほっとして下を見ると、下から上を見たときは、それほど高く感じなかったのに、上から下を見たときは、下から見たときの倍も高く感じました。木村さんは、
 「もう、先に下りてるよ。」
 と言って、ゆるい坂を見つけて、先に行ってしまいました。わたしも今上ってきた所は
 とてもじゃないけど、下りられないので、ゆるい坂を見つけて下りました。下で待っていた木村さんは、あせだらけの顔をふきながら、何度も何度も、
 「ああ、命びろいした。」
 と言って、わたしの顔を見ました。それで、わたしも木村さんに向かって、
 「とってもつかれたね。」
 と、顔を合わせながら言いました。

👍 がけのぼりをして遊んだことを書いたのですね。がけを上るときのようすやその時の会話や気持ちが生き生きとしていて、とてもていねいに書かれているので、すごく臨場感のある作文に仕上がりましたね。いっしょに遊んでいた友だちの心のようすも、ユーモアを交えて、上手に表現することができましたね。                           
自分の仕事を誇りとしている父
 
    「いらっしゃいませ。」
 日曜日の朝の八時。店の方から父の声が聞こえてきます。お客さんが見えたので、父は仕事の開始なのです。
    父の仕事は理容師です。母もいっしょにやっています。父が理容師になりたかったのは、独身の頃からだったそうです。独立してやる事が夢で、いろいろ苦しい修行をつんで、やっと資格をとり、母といっしょにやり始めたと言っています。
    夜の食事の時には、修行していた時のことをよく話してくれます。同じ話をくりかえしても、昔のことを思い出すように、食事の手をやすめてまで、身ぶり手ぶりで得意になって話してくれるので、とても楽しいです。
 「お父さんが十八才の頃だったかなあ。秋田で大雪の降る日だった。でも休まずに、遠くのとこやさんの店まで行ってね。そこで修行つんだんだよ。そこのお店では、とってもきびしくって、何人もやめてしまった人もいたんだよ。」
 父は、わたしや妹の顔を見て話します。わたしはそんなにやめていく人がいるのに、よくがまんできたなあ。ほんとうにこの仕事を、自分のものにしたかったんだなあ、と思いながら父の顔を見ていました。父は、また続けて話してくれます。
 「お父さんだって、そりゃあ何度、やめちゃおうかと思ったか知れないよ。でも、夢があったからなあ。今みたいに、ハサミもカミソリも上手に使えるようになりたくてね。」 話しながら父は、おはしをハサミみたいに持って、切るまねをしたり、顔をそるまねをしたりもします。
 「お父さんの仕事は、だれにもまねできないね。」
 と私が言うと、
 「だれだってね、自分の仕事に誇りをもっていれば、すばらしいことなんだよ。」
 父はそう言いながら、自分でうなずいています。理容の仕事はサービス業だから、お客様への言葉づかいや心づかいも、とても大事だと父は言っています。わたしも、本当にそうだなあと思います。
    父も母もいつもお客さんが来ると、明るい声で、にこにこしながら、応対しています。やさしく、髪がたをたずねたりして、すぐに仕事に取りかかります。タオルを首にまき、その上にビニールの大きいのをかけ、髪を切り始めます。左手で髪にくしをあて、右手に細長いハサミを持ち、まるで頭をなでているように、シャキシャキとすごい速さです。ハサミをどう持っているのか、よく分からないほどです。見る見るうちに肩の所が、髪 の毛でまっ黒になってしまいます。それをはけでさっと落とし、新しいビニールをかけ、 用意してあった湯で、シャンプーします。
    今度は、石けんのあわでまっ白になった首のところを、カミソリでさーっさーっとそり始めると、見ている私までが、首をちぢめてしまいそうになります。でも、白いあわがとれて気持ちいいだろうな、と思うほど、きれいになります。こんなに切れるカミソリで、よく途中で引っかかったりして、お客さんの首にきずを出さないなあ、と感心してしまいます。
    顔をそり始めると、もっとおどろくことがあります。左手の人さし指と中指を使い、眉のところや目のまわりなど、見ていてもどきどきします。ほおなどもさーっさーっと、ひと息でそってしまうという感じです。鼻のあたまは、ただなでているにしか見えません。終わると、お客さんの顔が、一皮むけたように色白くなります。湯気の出ているタオルを顔にのせてよくふいてやり、またくしでとかしては、最後の仕上げをしています。
    やっている時に、新しいお客さんが入って来ても、手を休めずに、にこにこしてむかえています。終わると、父はお客さんの顔を満足そうに見ながら、
 「まい度ありがとうございました。」
 と言います。お客さんは、とても気持ちよさそうに帰っていきます。

👍 理容師であるお父さんの事について書いたのですね。お父さんの人がらや仕事ぶりがとてもくわしく書かれていて、今のお父さんの姿が、目の前に浮かび上がってくるようです。話を聞いているときにも、自分の気持ちを入れながら書いているのがとてもいいですね。
ミジンコ取り

  五月十二日、高橋君と根本君とお楽しみ会の練習をしようとしたら、有坂君が休みだったのでできませんでした。そしたら、高橋君が、
 「ミジンコ取りにいこうよ。」
 と言いました。外に出たら、根本君が自転車に乗ってやって来ました。それから、ぼくの家の横で、少し遊びました。つまんなくなったので、田んぼにミジンコを取りに行くことになりました。
    田んぼに着いたら、さっそくミジンコを取り始めました。田んぼにざるをつっこみました。洋君が、
 「とれないなあ。」
 と言いました。ぼくは、洋君のやるのを見ていました。そして、(こりゃ取れないな。)と思いました。
    ぼくも田んぼの中にざるを入れました。そしたら、土ばかり入っていました。ミジンコは、小さくって見えにくいと洋君が言っていたので、ぼくは気をつけてざるの土をチョボチョボずつ、少しずつ出していきました。でも、いませんでした。だから、(洋君の言った通りだなあ。)と思いました。洋君が、ミジンコがザリガニのしっぽについているのを見たことがあると言ったので、ザリガニをさがし始めました。
    そこには、ザリガニがあまりいなかったので、二つめの田んぼに行きました。そこに入ったら、小さくて黒っぽいカエルがいました。ぼくがカエルをつかまえようとしたら、
 後ろ足が田んぼの中に、ズボンと入ってしまいました。その田んぼは、もう田植えが終わっていました。その時ちょうど、田植えをしていた人が、べんとうを食べていたので、ぼくは、その人に悪いなあと思いました。
    それから、池の方に行きました。その池に行く道は、ぬかっていました。ぼくは、(すべるといやだなあ。)と思いながら、二、三歩歩きました。すると、根本君が、
 「そこはぬかっているから、別の道から行こうよ。」
 と言ったので、もどってみたら前足がすべって、足が大きく開いてしまいました。そしたら、またがさけそうでした。でも、(おしりが、下につかないでよかった。)と思いました。
 池に着いて、また、さっそくミジンコを取ることにしました。ざるでも取ったけど、手づかみでも取れるので、手づかみで取りました。池に手を入れたら、ぬるかったです。池の中には、石がうまっていました。その石をどかして取りました。でも、ザリガニはいませんでした。ぼくは、ミジンコがぜんぜん取れないので、つまらなくなってしまいました。だから、洋くんと根本君に、
 「もう帰ろうよ。」
 と言ったら、洋君が、
 「もっとやろうよ。」
 と言いました。ぼくは、
 「あそこまで行けたらいいよ。」
 と、池の中央のことを言いました。そしたら洋君は、池の周りにゴロゴロしていた石を重ねて、本当にわたってしまいました。ぼくは、(帰れないなあ。)と思って、がっかりしてしまいました。
 その池を出て、また田んぼに出ました。またそこで、ミジンコを取ろうとしたら、田んぼの仕事をしていたさっきのおじさんとおばさんに、にらみつけられたので、ぼくはぞうっとしました。洋君は、ゆうゆうとざるを田んぼにつっこんでやっています。そして、おじさんとおばさんが、にらんでいるのも知らないで、ざるをつっこんで大声で、
 「ほら、いるよ、いるよ。」
 と言いました。ぼくは、(やばい、もしおこられたらどうしよう。)と思い、
 「もうやめた方がいいよ。おばさんがにらみつけているから。」
 と言いました。でも、まだやっているから、無理やり引っぱって道に出ました。そして、また一つ目の田んぼに行ったら、洋君が、
 「あ、ヒルだ。」
 と言ったので、ぼくと根本君が行きました。行ってみたら、ナメクジみたいで緑色で、腹の方が黄色でした。そして形が細くなったり、太くなったりするので、気持ち悪くなりました。洋君が、
 「ヒルにかまれると血をすわれるよ。」
 と言ったので、ぼくはすぐよけました。そしたら、根本君が、家から持ってきたざるを田んぼに入れて、ヒルをつかまえました。そして、道路に持って行ってヒルをすてました。三匹つかまえて道路に出しました。
    帰りに五十円でドクターペッパーを買って、三人で分けて飲んで帰りました。

👍 これまたお楽しみ会の練習で集まってみたら、ひょんな事でミジンコ取りに発展しまったのですね。ミジンコを取っているようすや田んぼで田植えをしているおばさん達のようすが、とても分かりやすく書かれています。洋くんはよほどミジンコが好きなんですかね。
 こわかった下水道たんけん

  今日、緒方君とお楽しみ会の練習をしようとしました。そして、緒方君をよびました。それから、車田君ちに行きました。大石君ちにも行ったけど、大石君はいませんでした。三人では、げきの練習はできないから、しかたなくやるのをやめました。
 「つまんないから、下水道たんけんに行こう。」
 と、ぼくが言いました。下水道のある近くに自転車を止めて、かぎをかけて、下水道かんの前に行きました。へんなにおいが「プーン」としてきました。それに、洗たくの水やらあわが流れてきたりしました。そのにおいをかいで、みんなは、
 「くせえにおいだな。」
 と、言いました。水の量は、ちょろちょろ流れているだけでした。
  下水道には、A地点とB地点とC地点とがあります。かく地点でカーブしています。ぼくは一回たんけんしたことがあるからよく知っているけど、車田君や緒方君は、知らないようです。ぼくが、
 「A地点とB地点とC地点があるけど、どこまで行く。」
 と、たずねました。すると、車田君たちが、
 「まず、A地点まで行こうぜ。」
 と言ったので、まず、しのび足で入りました。頭を下げて、足を開いて歩きます。手は横にふって歩きます。「ボチャッ。」という音が急にしました。そして、何かが落っこちてきました。ぼくが、(なんだろう。)と近づいてみると、カンが落ちていました。また、 少し歩き出すと、「トコトコトコ。」という音が聞こえてきました。でも、自分たちの足 音だったのでのでよかったです。
    そのうち、きたないゴミが、いっぱい出てきました。カンやら紙やら、ビニールやら、いろいろな物でした。ぼくは、(みんな、ものすごくよごしてるな。)と思いました。
    ぼくが、
 「もうすぐA地点だぞ。」
 と、言いました。すると、すぐ、
 「もうすぐA地点だぞ。」
 と言ってきたので、なんだかこわくなりました。ひやあせが出てきました。でも、緒方君が、
 「あれは、やまびこだよ。」
 と言ったので、安心しました。
  A地点まで、三メートル、二メートル、一メートルと近づいてA地点に着きました。A地点に来ると、少し安心しましたが、まだ心ぞうがドキドキしていました。すると、またへんな音がしました。(あの音は、ドブネズミの声かな。)と思いました。緒方君に、
 「へんな音聞こえなかった。」
 と、聞きました。すると、緒方君は、
 「べつに聞こえなかったよ。」
 と、言いました。ぼくは、(そうかな。たしかに聞こえたんだが。)と思いました。
  少し休んでから、B地点に行く用意をしました。ぼくが、
 「行くぞ。」
 と、言いました。そして、B地点に行く一歩を歩き出しました。A地点までは二十メートル位、B地点までは百メートル以上もあります。もうこわくて、足がなかなか進みません。こわいので、ぼくがわざと、
 「まいごになったらやばいから、手をつなごうぜ。」
 と、言いました。ぼくは、「フッ。」と息をふきました。すると、少し安心しました。そして、また、トコトコと歩きました。
  ここまで来ると不思議に、さっきくさかった下水道のにおいも、そんなにしなくなり 
ました。ぼくたちは、ライトを持っていなかったので、行く先が見えませんでした。でも、がんばって行くと、向こうに光がさしていました。そこを目がけて行きました。下を見てみると、まっ暗なので、こわかったです。こけが下にはえていました。こしも、 だんだんいたくなりました。ぼくは、(こわいよ、こわいよ。)という思いが強くなって きました。そして、緒方君と車田君の手を強くにぎりました。そして、もっと早く走り ました。でも、足がなかなか動かなかったです。それでも、とことこ行くと、B地点 の光が強く見えました。
 「もうすぐ、半分行くぞ。」
 「だいじょうぶか。足もとに気をつけろよ。」
 と、ぼくは二人に言いました。
  やっと、半分位になりました。そこで、ぼくはへんなことに気がつきました。(ものすごく長いなあ。)と思ったのです。(A地点までは少しだったのになあ。)ぼくは、あせりました。そして、(あと、五十メートル位かな。)と思いました。そして、さっきよりもっと早く歩き出しました。すると、「ザーザーザー。」という音が聞こえてきました。 (何の音だろう。)と思いながら歩きました。もっと、「ザーザザ。」とものすごい音が 聞こえてきました。でも、まだまだでした。もっともっと走っていくと、もっともっと 音がはげしくなりました。だから、ものすごいスピードで行きました。でも、ものすごいスピードで行くと、三人とも手をつないでいるのであぶないから、少しスピードを落 としました。すると、何だか、さっきのこわかったこともわすれて、むねがわくわくしてきました。
  B地点まで三メートル、二メートル、一メートルになりました。B地点に着くと、ぼくは、(やった。)と思いました。すごくうれしかったです。ほっとすると、こわさより、せぼねがいたくなってきました。
    ぼくは、緒方君をおいて、さきにかけて行こうとしました。C地点に行こうとすると、「ザーザザ。」という音が、もっとはげしくなりました。それで、C地点に行く勇気はなくなってしまいました。ぼくが、
 「C地点に行こうか。」
 と言うと、車田君は、
 「なんかこわいよ。」
 と言ったので、やめました。ぼくは強がりで、
 「行こうよ、ねえ。」
 と言ったけど、二人は、
 「やっぱり行きたくないよ。」
 と言いました。
  帰る時は、緒方君をおいて行こうとしましたが、かわいそうなので、また手をつないで帰りました。ものすごいスピードで帰りました。行きよりも、帰りの方が、短いように思いました。
  ぼくは、外に出ると、ため息をつきました。次に、車田君が出て来ました。緒方君も出て来ました。外からは、いいにおいがしてきました。それに、おなかもすいてきましきました。もう、すっかりばててしまいました。

👍 お楽しみ会の練習をしようと集まったところで、思わぬ展開になってしまったのですね。下水道たんけんは、とてもくわしく事の成り行きが書かれているので、こわさとドキドキ感が、とてもよく伝わってきます。無事帰かんできて何よりでしたね。
ひいおばあちゃん

    「リリリーン」
 と、電話がなりました。母が急いで、電話の受話器をとりました。私は、(だれからだろうな。)と思いながら、電話の所へ走って行きました。
 「お母さん元気だった。ええ、うちはみんな元気よ。」
 お母さんの声がします。(ああ、おばあちゃんだ。)私はすぐに相手がわかりました。お 
母さんは、なお話し続けました。いとこの話、ひいおばあちゃんの話でした。
  話が終わると、私に、
 「十二月に、ひいおばあちゃんの八十八才になったおいわいをするのよ。」
 と、うれしそうに言いました。ひいおばあちゃんは、お母さんのおばあさんです。新がたに住んでいます。私は、新がたの家にはたくさん行ったことがあるけど、ひいおばあちゃんは、部屋にもぐりっきりで、どんな人かほとんど知りません。それで、いつもふしぎに思っていたのでした。それで、(ちょうどいい。この機会に、お母さんに聞いてみよう。)と思いました。
  七時半ごろ食事が終わりました。
 「ねえ、お母さん、ひいおばあちゃんのこと話して。」
 私が言うと、母はすぐに話し始めてくれました。アイロンかけをしながら、話してくれました。
 「ひいおばあちゃんのお母さんはね、ひいおばあちゃんを産んで、一年目になくなったそうなの。」
 「なんで、ひいおばあちゃんのお母さん、死んじゃったの。」
 ふしぎになり、聞いてみました。
 「お母さんは、まだ生まれていなかったから、わからないわ。」
 「それから、ひいおばあちゃんは、お父さんだけで育てられたの。でも、お父さんも、ひいおばあちゃんが二十才ぐらいのとき、死んだらしいのよ。どんなにさびしかったかしらね。」
 母の話を聞いていると、一人で畑仕事などがんばっている、ひいおばあちゃんの様子が、うかんできました(私がもしひとりぼっちになったら、すごく大変になるだろうな。) と思いました。
 「二十二才で結こんしたの。そして、子ども、今のおばあちゃんね、を産んだの。」
 「ところがね、そのころ、ひいおばあちゃんは水泳をしたらしいの。それで、耳に水が入って、耳が聞こえなくなってしまったのよ。だから、今も、どんなにおしゃべりがしたくても耳が聞こえないから、あまりしゃべれないのよ。」
 「しばらくして、戦争、ひいおじいちゃんは海軍へ兵隊となっていったの。その時のひいおばあちゃんは、どんなに不安だったかしらね。それに、日本でも、たくさんぶきなどをつくるからといって、おなべなどを兵隊が取りに来たりしたそうなの。ひいおばあちゃんは、そんなことでも苦労したのね。それでも、やがて戦争が終わって、ひいおじいちゃんが、無事に帰ってきたの。」
 「でもね、それから五、六年たってかな。ひいおじいちゃんがなくなってしまったそうなの。原因はよく分からないけどね。戦争の時、たまにあたったり、悪い病気をしたのがもとらしいの。ひいおじいちゃんが死んだら、家族に男の人は、だれもいなくなってしまったの。それで、女の人たちだけでは、広い田や畑をやっていけなかったから、それからずっと今も、人に田や畑をかしているの。」
    私は、聞きながら、(男の人たちがいたら、土地をかすこともなかったのになあ。)と思いました。母も少しつかれたような顔をしていました。でも、母は、しばらくしてお茶を飲んでから、つかれた顔も見せず、また話してくれました。
 「お母さんが小学校のころは、ひいおばあちゃんは、はたおり機を持っていて、はたおりや着物を作る仕事をしていたの。でも、それだけでは、くらしをささえていけないから、お金をためて、げんかん先に小さなタバコ屋さんを開いたの。近所の人たちは、もう山の下ら辺に買いに行かなくてよくなったから、よく買いに来てくれたの。それでやっと、くらしがもつようになったのよ。佳子がその時代に生まれていたら、苦しかった事、さびしかった事などが、今よりもっとわかったと思うわ。」
  お母さんは、今度はにこにこした顔つきで言いました。私は、(そんなものかなあ。)と、少し考えてしまいました。母は私の方を見て、(何を考えているのかな。)と思っているようでした。
 「お母さん、もっと聞かせて。」
 私が、先をねだると、
 「はい、はい。」
 お母さんは返事をして、今度はあみ物を出しました。そして、手を動かしながら話し始めました。
 「でも、ひいおばあちゃんのこしは曲がり、目は悪くなり、はたおりも着物も作れなくなってきたの。おばあちゃんがかわりにやろうとしたけれど、ひいおばあちゃんが、止めたのよ。でも、おばあちゃん、着物は作れたから、まあよかったわ。それに、あとでおばあちゃんもひいおばあちゃんに、はたおりも教えてもらえるようになったのよ。それで、今まで通りにくらせるようになったと言うわけよ。」
    私はここで、一番聞きたいと思っていたことを聞きました。
 「ふーん。でも、今はほとんど、ひいおばあちゃんは奥の部屋にいて、たまにしか、えんがわに出てこないのはどうして。」
 「それは、耳が聞こえないから、あまりおしゃべりできないし、年よりになるとやる事がないらしいのよ。だからなんだそうよ。」
 お母さんは、きちんと答えてくれました。
 「お母さん、もうつづきはないの。」
 と、私は聞きました。それは、聞いていくうちに、私もその場所にいるような感じがして、ひいおばあちゃんの気持ちもわかってきて、おもしろいというか、そんな気持ちになってきたからです。
 「もう、このつづきはないけど、ひいおばあちゃんが一生けん命がんばってくれたから、お母さんもここまで育ったんだよ。」
    これでお母さんの話が終わりました。私は、(ひいおばあちゃんは、大部苦労しているんだなあ。これからも長生きしてほしいな。)と思いました。
    八十八才のお祝いには、みんなで赤いちゃんちゃんこをおくり、プレゼントもするそうです。私たち子どもは、部屋のかざりつけをします。私は、今からその日を楽しみにしています。

👍 お母さんのお話の内容を、上手に取材してメモに取り、ひいおばあちゃんのことをとてもくわしく書くことができましたね。数々のひいおばあちゃんの苦労話が、生き生きと書かれていて、当 時の生活のようすが、とてもよく伝わってきます。これからのひいおばあちゃんの米寿のお祝いが、とても楽しみになりましたね。 
 男の子     ※名前の一部を変えて掲載します。

  私は、今まで、男の子は、暴力をふるってばかりいるので、女の子の気持ちなんか、少しも分からないものだと、考え続けていました。私が、こんなことを考え出したのは、一年生に入学して、間もなくの事でした。
    その時、私の一番の友だちの有子ちゃんと、春美ちゃんが、男の子の大切にしている 花だんに、ざっ草がはえていたので、取ってあげたり、水をやったりしてあげたのでした。それなのに、次の日、花だんは、メチャクチャにあらされていたのでした。根を切られていたり、くきがおられていたり、花をくつでふまれていたり、たくさんありました。それで、男子の何人かが言い出したのです。
 「きのう、有子ちゃんと春美ちゃんが、花だんのところで、何かやっていたの見たよ。」 「うん、ぼくも見た。きっと、有子ちゃんと春美ちゃんがやったんだ。」
 と、言ったのでした。男の子たちは、続けて、
 「有子ちゃん、春美ちゃん、あやまれよ。」
 「そうだ。あやまれ、あやまれ。」
 と、言いながら、同時に、手と足が、有子ちゃんと春美ちゃんの方へ動きました。有子ちゃんと春美ちゃんが、いくら、
 「ただ、お水をあげていただけだよ。」
 と言おうとしても、その前に、男子たちの手や足がきて、たたいたり、けっとばしたりして何も言えませんでした。 私とほかの女子も、
 「やめなさい。」
 「みんなおさえて。あそこのなわとびでしばっちゃお。」
 と言って、何人かの人が、なわとびを持ってきて、しばりつけたりして、なんとか終わりました。
    その日は、それでよかったのですが、次の日になって、有子ちゃんと春美ちゃんの机に、大きく「かだんあらし」と書いてあったのです。有子ちゃんと春美ちゃんは泣いてて泣いて、一日中泣きやみませんでした。私たち女子は、有子ちゃんと春美ちゃんが、花だんをきれいにしていたのを見ていました。何のしょうこもないのに、勝手にはんにんにされてしまったのです。私は、有子ちゃんと春美ちゃんが、とってもかわいそうで、がまんできませんでした。そこで、私が、ある日、男の子たちに、
 「有子ちゃんと春美ちゃんは、花だんの手入れをしていただけなんだからね。」
 と言って、続いて、ほかの女の子たちが、
 「そうよ、有子ちゃんと春美ちゃんは、悪くないわ。」
 と言ってくれました。男の子たちは、女の子にばかにされたようだったのでしょうか、とつぜん、先生の木刀を持ってきて、私の頭や、ほかの女の子たちの頭を、休みなくたたいてきました。そのいたい事、その日は、頭にこぶを作って帰りました。
 こんな事から、男子というのは、暴力しかふるえなくて、人の気持ちなんて、少しもわからない人たちだ、と考え始めたのでした。それは、今でもあるのです。
    二年生の時も、貝塚君が小刀を持っていて、それをおなかの方へもってきて、おどかしていた事があった時なんか、(やっぱり男子は、何をしたって、ほとんど暴力を使うんだから。おどかされた方の気持ちを、考えずにやっているんだから。やっぱり男の子は、人の気持ちなんて考えてはくれないんだ。)と、思ったものでした。今でもまだ消えないのです。
    でも、この頃は、男の子は、暴力だけふるうという考えが、うすくなってきました。そうなったきっかけは、五年生になってしばらくした時のことでした。
    緒川君が、五年生の三組の人にいじめられていた時、青柳君を先頭に、関根君、梅田君、森田君らが、緒川君のかたきをとりにいって、ほうきでぶたれたり、ほかにいろいろな物でぶたれても、だれもこわがったりしなかったのです。戦う人は、みんな勇ましく、勇気のある人たちです。なぜかと言うと、一人のために、けがをするかもしれないのに、勇気を出しきって戦っているからです。みんな、一人があぶなくなると、みんなで助け合ったりして、とてもチームワークがとれていました。でも、暴力はいけないと思いましが、正ぎのための暴力は、暴力らしくみえないのです。最後に、先生におこられましたが、私は心の中では、とってもうれしかったです。一人のために、何人かの人たちが、一生けん命戦ったからです。
    山本さんの事もそうでした。やはり、五年生の三組の人に、
 「山本菌、山本菌だ。にげろ。」
 「おおい、山本がきたぞ。」
 「本当に山本がきたのか、きったねえ、にげろ。」
 と言われているところに、貝塚君が通ったのです。貝塚君は、何をしていいかわからなかったのか、急いで教室に入ってきました。教室から貝塚君の声がしました。
 「先生、山本さんが、五年三組にいじめられているよ。」
 と先生に言うと、先生は、注意しに行ったようでした。
  こういう男の子のよいところは、もっとあります。それは、私が手首をけがしている時でした。学校の荷物が重くて、困っていたとき、ちょうど武井君が、自転車に乗って、通りかかりました。武井君は、私の手首を見て、
 「荷物、運んでやろうか。」
 と言って、運んでくれたりしたのでした。また、それだけではありません。理科の実験のため、川の水をとりに行った時でした。ついでに、生きものをとりたい、とりたいと思っても、なかなかとれません。しばらく行くと、斉藤君と藤枝君、武井君に会いました。何もとれないでいると、斉藤君と藤枝君が、
 「何とか、とってやるよ。」
 と言って、どろの中に手を入れて、ザリガニをとってくれたり、田んぼの中に手を入れて、ドジョウやメダカをとってくれたりもしました。
  私が、何かわすれた時、関根君や山田君は、すぐかしてくれました。まだ、ほかの人にも、たくさん親切にしてもらいました。前にも、こんな事があったのでしょうが、今は、前より気がつくようになってきたのです。
  私は、こんな事から(男の子は、暴力ばかりふるっていると思ったけれど、そればかりではなく、友だちを助けたりするいい心もあるんだなあ。親切なやさしい心もあるんだなあ。今までずっと、悪いところばかり見ていたけれど、少し考え直す必要があるな。)
 と、思ってきたのでした。

👍 男の子の見方が、だんだんと変わってきたことを書いたのですね。一年生から今までのことを振り返って、事実に基づいて気持ちの変化がていねいに書かれているところが、とてもすばらしいです。よいことに目を向けていくと、いろいろと気づくことがあるのですね。理由をはっきりさせて、とてもよくまとめています。         
 けしょう品を作っているお父さん

  ぼくのお父さんは、今三十七さいです。
  しょく業は、けしょう品を作っているのです。名前は、セザンヌ化しょう品です。
    この志津に引っこしてくる前は、マーナコスメチックスという会社の、二階に住んでいました。
    ぼくは、夏休みとかに、お父さんの仕事を見たことがあります。ぼくのお父さんの仕事は、そう庫から化しょう品の粉を運んできたり、運んできた粉を少しずつ取って、てんびんに乗っけて重さをあわせたりすることです。その粉を機械に入れて、化しょう品を作っています。
    ときどき、機械に入れて作っている時、つまることがあります。つまった時は、ねじまきを持ってきて、ねじをとってなおしています。機械は、たて三メートルぐらいで、 横四メートルぐらいです。大きいから、なおすのが大変なのです。
    なおしている時、手を何かで、切ってしまったことがあります。家に帰ってきて、服を着がえて、ビールを持ってきた父さんが、
 「今日はつかれたよ。急に新しい機械が入ってきて、運んでいく時つかれたよ。それから、機械をなおしていたら、手を切ってしまったよ。」
 と言って、きず口を見せてくれました。見てみたら、七センチぐらい切れていました。こんなことを言うこともあります。
 「そうそう、今日、新しい人が入ってきたよ。それに、お父さんより、せが高いし。若いやつが入ってきたから、今まで一番若かったんだけど、だめになっちまったよ。」
 と言いながら、ビールを飲んでいました。
    ときどき、会社から内職を持ってくることがあります。そういう時は、ぼくたちも手伝っています。化しょう品をはこにつめたり、シールをはったりするのです。日曜日になると、持ってきた内職を会社へ持っていくので、ぼくもつれていってもらいました。
    中に入ったら、新しい機械があり、中のようすもいろいろ変わっていたから、ぼくは なつかしくなって、三十分ほど見ていました。そして、二階に上がり、ぼくが前住んでいたところを見てみたら、今と比べるとせまっくるしいです。
    ぼくの通っていた小学校にも行ってみたら、全然変わっていませんでした。
    また、会社にもどりました。会社の中に入って、お父さんは何をするのかなあと思ったら、仕事を始めました。やったのは、ずれているはこを、ちゃんとならべてなおしていたことです。
    会社から出て、駅へ向かいました。駅に入って、キップを買って電車に乗りました。 お父さんが、
 「また明日も会社か。たいへんだ、こりゃ。」
 と言いました。お父さんは、いつの間にかねていました。ぼくは、(つかれたんだなあ、お父さん。)と思いながら、外を見ていました。
    志津に着いて、ぼくが起こしてあげました。お父さんが、
 「善昭、また行こうな。」
 と言いました。
    そして、ローズタウンの入り口に来たときに、お父さんにタバコを買いにたのまれたので、ヨーカドーに買いに行きました。すぐ、エレべーターの近くの、自動はん売機の所に行って買いました。それから、(お父さんの化しょう品、売れてるかなあ。)と思って、レジの近くの化しょう品売り場へ、行ってみました。売れているか見てみると、一番売れていたのが、おしろいでした。
    ぼくは、時々、ヨーカドーに見に行ってます。

👍 お父さんの仕事のことについて書いたのですね。仕事場に行った時のようすやお父さんの言動をよくとらえて、くわしく書いているところがいいですね。とても仕事で大変なお父さんを心配したり、思いやったりしているやさしい心づかいが伝わってきます。化粧品で一番売れているのはおしろいなんですね。
二学期のよごれ (十二月二十七日(木)の日記から)

  今日、長いすにひっくり返って、本を読んでいると、お母さんが、
 「桂子、絵の具のケース洗いなさいね。」
 と言った。私は、(めんどくさいなあ。)と思って、ひっくり返ったままのしせいで、本をながめながら、
 「洗ったよ。」
 と言った。お母さんは、
 「あら、いつ洗ったの。」
 と言った。私は、(そら、きた。)と思ったけど、なおもひっくり返ったままで、
 「夏休み」
 と、短く答えた。お母さんは、ちょっとあきれたようだったけれど、
 「今は、何休みですか。」
 と、先生のようにたずねた。私は、
 「冬休みでえす。」
 と、いばって答えた。
 「二学期のよごれは、冬休みにおとしなさい。」
 と、お母さんは言ったので、私はしぶしぶ立ち上がって、絵の具のケースを洗いに行った。洗ざいのにおいが、とても気持ちよく、私は、さっき、めんどうだと思ったのをわすれてしまった。よごれたケースにあわがつくと、あわがなくなるまでに、よごれもなくなってしまう。    
    「キュッ、キュッ」と、みがいているうちに、とてもきれいになった。水をかけてゆすぐと干しに行った。二学期のよごれは、全部とれた。

👍 絵の具のケースを洗うように、お母さんから言われた時に書いた日記なのですね。最初は、めんどくさがっていたのに、いざ始めてみると、洗剤のいい香りときれいになっていく絵の具のケースが、私をいい気分にさせてくれるようすがよく伝わってきます。
大そうじ(十二月三十一日(月)の日記から)

   「桂子、桂子、桂子。」
 お兄ちゃんが、よんでいる。(前にもこんなことがあったなあ。急いで行ってみたら、お兄ちゃんは、ベットにねていて、「まくらとって。」って言って、私にとらせたなあ。)
 そう思って、行ってみたら、
 「桂子、お兄ちゃんの部屋そうじするから、おまえにも特別に、手伝わせてやろう。」
 って、お兄ちゃんが言った。私は、(えらそうに。私、宿題があるのになあ。)と思ったけれど、だまって手伝った。
 まず、ソファーとテーブルを、私の部屋の入り口に近い所に運んで、かけぶとんや毛布は、ソファーにつみ上げた。それから、ベットを客間に入れて、クリーナーをかけた。
 「おい、桂子。特別にガラスをふかせてやろう。」
 「おい、桂子。いい子だなあ。そうじ機、おまえの所へしまってこい。いやじゃないよなあ。」
 お兄ちゃんは、次々と、私に仕事をいいつけた。私は、そうじ機をしまって、(近道しちゃおう。)と思って、毛布やふとんの積んであるソファーをよじ登って、そこからろう下まで飛びおりて、お兄ちゃんに、しかられた。
    やっとすんだら、お兄ちゃんに、軽くヘッドロックをされた。でも、それが、お兄ちゃんの「ありがとう。」のかわりのようなものなのだ。

👍 お兄ちゃんは、よっぽど妹がかわいいのだろうね。とっても仲のよい感じが、お兄ちゃんの言葉から伝わってきます。最後に軽くヘッドロックをされて、お兄ちゃんの気持ちが分かるのがすごいです。この時期はお兄ちゃんも高校受験へ向けての追い込みなんですね。 
すばこ作り(十二月二日(日)の日記から) 

  今日、昼から夕方まで、お父さんと私で、小鳥のすを作りました。
    はじめに、強くてかたいボール紙やテープ、はさみ、小刀などを集めました。そして、図書室で借りた『動物の飼い方』の七十四ページの図を見て、形を整えながら、長さを計ったり、テープをはったりしました。私は、だいたい手伝いだったので、あまり苦労はしなかったけれど、特に、テープをはるのがむずかしかったです。時々、
 「それは、こうやったらいいんじゃなぁい。」
 と言ったり、
 「うん、それはそうやったらいいね。」
 と言ったりしました。はじめのうちは、(どんなのができるかな。)と思っていました。でも、いつのまにか夢中になってしまったので、そういうことはわすれてしまいました。そして、その部屋は、ごみだらけになっていました。
    やっと、できあがりました。約二~四時間もかかってできました。そのすは、ボール紙でできていて、とてもがんじょうです。それに、とても重くて、長方形の形をしています。そして、外につるしてあったかごをげん関に持ってきて、つぼすや止まり木などをはずしました。その時、チーちゃんやピーちゃん(文鳥)は、ばたばたとあばれて、今にも落ちそうでした。私が、
 「かわいそうだよ。」
 と言ったとき、弟が小鳥をつかまえました。そして、つぼすをのせてあったプラスチックの輪の上に、今作ったすをのせました。そして、もとのようにしました。小鳥をかごの中に入れました。
  これでできあがりです。でも、なかなか、すに入ってくれません。それで弟が、
 「ぼくが、すの中に入れるよ。」
 と言ったので、一わずつ入れてもらいました。頭が入ると、自分から入っていきました。そして、みんな、
 「入いっちゃった。」と言って、さわぎました。でも、すぐにチーちゃんの方が出て来ました。ピーちゃん(メス)は、すが気に入ったのか、おくの方に行って、なかなか出てきません。そして、時々、頭を出してのぞきにきました。そのかっこうが、とてもおもしろいので、みんなで大わらいをしました。私は、(もう、すがきにいったのかな。たぶん、すの中にわらが入っているからだろうな。)と思っていました。そんなことを 五回も六回も続けているうちに、お父さんが、言いました。
 「自分から入っていくかな。」
 と言ったので、自分から入っていくか見ていました。なかなか入らないので、ああやったり、こうやったりしました。でも、入りません。
 「これならどうかな。」
 と言って、お父さんがやってみました。でも、小鳥たちは入りませんでした。そして、あきらめて、手を洗いました。
    少しして見てみると、チーちゃんが入ったり、出たりしていました。私は、(よかったなあ。)と思いました。

👍 飼っている文鳥の巣箱を、お父さんと一緒にリニューアルしたのですね。新しい巣をつくるのに、とても大変だったようすがよく書けています。はじめは、新しい巣になかなか入ろうとしなかった文鳥も、最後は気に入ったようで、少しホッとしましたね。
 ハムスター(十二月十三日(木)の日記から)

  昨日、お父さんにヨーカドーで、ハムスターを買ってもらいました。
    メスのハムスターで、とってもおてんばですが、とってもかわいいです。
    名前は、前から決めていた『星美』という名前で、名前のとおり、星のように美しいんですが、おてんばすぎてこまるんです。
    今日の朝、学校に行く前に、私は、
 「星ちゃん、星美ちゃん、行ってきますよ。」
 と言うと、いっぱいもり上がった新聞の中で、(ごそごそ)と音がしただけで、出て来ませんでした。
    そして、学校から帰ってきて、
 「星ちゃん、ただいま。」
 と言っても、また(ごそごそ)と、音がするだけでした。私は、あきらめて勉強したり、そろばんをやったりしていました。
    九時ごろになったら、やっと出て来て遊び出したので、私は頭にきて、
 「星ちゃん、どうして出てこなかったの。だめじゃない。」
 とおこりました。星ちゃんは、頭をペコペコ下げるので、(あやまってるのかな。)と思い、おかしくなりました。

👍 お父さんに買ってもらったハムスターのことを書いたのですね。新聞紙の中にいて、なななか出てこなかったり、そこから出てきて、あやまっているようなかっこうをしたりしているハムスターが、とても愛おしいのですね。かわいがってあげてください。
              
              
        
 耳鼻科 (十一月二十一日(水)の日記から) ※氏名は仮名です

  今日、耳鼻科に行った。
 (こんでるかな。)と思いながら、階だんを上って行った。
    入ってすぐに中を見たら、いっぱい、すごく多くこんでいた。
    私は、すぐ受付に行き、
 「福田ですけど、今来ましたからお願いします。」
 と言って順番を待った。部屋の中は暑くて、暑くてたまらなかった。本を見ていたら、「福田さん、福田祥子さん。」
 と呼ばれた。私は、ドキッとして「はい。」と返事をし、しんさつ室へ入って行った。
    しんさつ室は、もっと暑かった。いつもは、ドキドキして待っているけど、このごろは、ぜんぜんドキドキしなくなった。前の人が終わって、(次は、私の番かな。)と思いながらすわっていた。すると、
 「福田さん。」
 と呼ばれた。私は、「はい。」と言って、先生の前にすわっった。いつもと同じ事をして、「どうもありがとうございました。」と言って、帰って行った。
  帰ると中、お母さんに会った私は、
 「お母さん、どうしたの。」
 と言うと、「うん、結果を聞きに来たの。」と言って、中に入って行った。
  受け付けに行って、
 「福田祥子の母ですけど、ちょっと結果を聞きたいんですけど。」と言うと、
 「はい、分かりました。ちょっと、お待ち下さい。」と、言われた。私はドキドキしてついて行った。
    先生とお母さんが、何か話していた。私は、(行ってみよう。)と思い、お母さんのそばに行った。先生が、
 「それでは、すわって。ますいをやってみますから。」と言った。
  私は、びっくりぎょう天して、(でも、死なないからいいや。死ぬよりましだ。)と思いながら、口を開けた。
   苦い薬をのどの中にぬられた。そして、ガーゼで下をおさえて、「ええええええ。」と言った。気持ちが悪くなった。でも、それで終わりだった。先生は、
 「イボができていなかったからよかった。声たいをおさえるきん肉が、はれているだけだから、治りますよ。」
 と言ってくれたので、私は、(ホッ、よかった。)と思った。そして、安心してお母さんと家に帰った。

👍 耳鼻科に行って診断をしてもらった時のことを書いたのですね。十一月の終わりの頃なのに、病院の中は混んでいて暑かったのですね。お母さんに見守られて診断を受けているようすと、そのときの気持ち、また結果を聞くときのようすがよく伝わってきます。
               
              
そうじ(十一月七日(水)の日記から〕

    昨日から今日までのうちに、そうじが楽しくなってきた。
    それは、そうじをする所をたくさん見つけたからだ。
    私が一人でやっていると、高須さんと柏原さんも、いっしょにやってくれたのでとても助かった。
    今日は、そうじ場所に行くと、ほうきがないのでさがしていると、田ばた君達が持っていたので、私たちは、
 「やめてよね。ほうき決まってるんだから。」
 と高須さん達が言った。それでも、だめなので、私は走って追いかけ、やっとほうきを取り返すと、田ばた君は、
 「ずるいよな。おれの知らないうちに、決めるなんて。」
 と言っていたけど、知らんふりをして私たちはそうじをした。
 女子三人は、三分ぐらいたつと 、
 「みゆき、ゴミ取って。」
 と言うようになった。そうじが終わって、はん長が、
 「ならんで、番号。」
 と言ったとき、私と田ばた君で番号の取り合いでけんかをした。でも、そうじの時間は、 とっても楽しかった。

👍 学校の掃除の時間のようすを書いたのですね。やるところがたくさんあって、掃除が楽しくなってきたのはいいことです。やっ ぱり、ほうきではく掃除は人気があるのですね。掃除が終わったあとで、番号の取り合いでけんかをしたことは笑えますね。 
五年作文集

 話しずきな母

    わたしの母は、近所の人々とだいたい年令が同じぐらいですが、顔を比べてみると、私の母が一番わかいです。
    わたしは、色が黒い方ですが、母は真っ白です。わたしも白くなりたいんですが、母は、「健康的な色がいいんじゃない。」といって、わたしの気持ち一つも分かっていないみたいです。色が白いわりにまた、お化しょうをかかさずしています。
    目が大きく、顔中に広がっているみたいで、顔にほくろは、一つしかありません。
    夜は、おそいわりに朝早く起きます。父は、会社に行くのが人より早く、六時にでるので、それまで食事の用意などします。兄とわたしは、朝起きるのがだめで、とくに冬なんて寒くて、おふとんの中にもぐっています。そんな時、
 「早く起きてマラソンしてらっしゃい。」
 と、さわやかな顔でいいます。
    会社から父が帰ってくるのが、早くて八時半ごろです。母は、早い時もおそい時も帰ってくるのをまっています。父は、
 「先にねていなさい。」
 というのですが、母はいつまでもまっています。時々、ぐあいが悪い時は、ことわりの手紙を書いて、先にねます。そんな父と母は、いたわりながら生活をしているみたいです。
    わたし達が、レストランで食べたりするけれど、うちの母が作ったのが世界で一番おいしいです。朝や夜、家庭で食べる時は、だれかから、
 「おいしい。」
 という言葉が必ず出ます。
    おしゃべりがすきで、わたしと歩いている時、知り合いの人と会うと、最低十五分は話します。電話でもペチャクチャ、ペチャクチャ最低二十分は話します。時々、おもしろいできごとの話や、母の小さいころの話をしてくれます。そんな時でも、時計を見ると、いつのまにか三十分はたっています。それに、お客さんが来て、帰るときは、
 「あら、もう五時半なの。中西さんと話すとすぐ時間がたってしまうわ。」
 といいながら、帰ります。
    動くのがすきで、目があいていると、そうじ、せんたく、ぬいものなどして、きれいずきなので、いつも部屋はすっきりさっぱりです。
    そんな母のね顔は、夢の中でも動いているみたいで、いつも夢をみているみたいです。母は、めんどうをみるのがすきで、困っている人がいると、そうだん相手をしています。ですから、近所づき合いもいいのです。おいしいものができたら、すぐ、
 「のりか、これおいしくでき上がったから、となりに持って行ってあげて。」
 といいます。
    そんな母にわたしは、見習うことがたくさんあるので、いいと思ったら、見習うようにしたいと思います。

👍 とてもおしゃべりが好きなお母さんなんですね。お母さんの日ごろの生活のようすがとてもくわしく書いていて、どんな人なのかとてもよく伝わってきます。おそうじが好きで、お料理が上手なお母さんは、家族の自慢ですね。そんなお母さんに一度会ってみたいという気持ちが湧き上がってきます。               
ねこやなぎ

川の向こうがわに、
ふきのとうが一つ出ていた。
こおりがはっていないので、
わたっていけなかった。
ふと見たら、すぐそばに、
わたしのせいぐらいの
ねこやなぎがあった。
皮をやぶって、
豆つぶぐらいのねこやなぎが六つ。
手にさわったら、ねこの毛のように、
すべすべしていた。 
ベッドにしたら、
気持ちよくねむれるだろう。

👍 ふきのとうやねこやなぎ、どちらも春を感じさせますね。すべすべのねこやなぎの毛でできたベッドは、寝心地最高かも。         
 
わたしの家には、ももがあります。       
四月にはいると               
まんかいになります。         
ピンクと白のまざった花。     
わたしはまい年花を見て       
春だなあと思います。         
この間の日曜日に  、                 
お買い物に行った時に
だれかがつくしとオオイヌノフグリを   
持っていました。
ほしいなあと思いました。
もしかして、   夏に足をふみいれているのかも                             
おたまじゃくしがいました。                         
かえるのなき声もしました。

👍 春は、いろいろな生き物もみられるのですね。しだれももの花は、とてもきれいでしょうね。 
春をみつけましょう (テーマ)
                                                                             
  いまは、春です。                                      
  春休みの時、                                    
  どぶの近くで、                                       
  つくしの小さいのを                                
  見つけました。                           
  すぎなも                                  
  見つけました。                               
                                                           
  今は、春です。                             
  ひばりもげんきにとんで                                                   
  いました。                                         
  アブラナは、花がかれて                     
  たねを作りかけています。                              
                                             
  今は春です。                                          
  この前、スズランのめが                         
  でていました。                                                          
  春は、                                                  
  植物の入学式かな。                           
                                                           
  冬の間、さむがって、                                
  外にでなかった人が、                                        
  出てきたようで、                          
  人が多くなりました。

👍 春は、いろいろな植物がみられるのですね。植物の入学式という表現は、とてもすばらしいですね。春は植物と同じように人も多く出てくるのですね。      
私のおじいちゃん

  私のおじいちゃんとおばあちゃんは、私の家の近くにすんでいます。年は、七十才ぐらいだと思います。せが高くて、色が黒くて、いつも私たちが学校から帰る時、水をまいている人が、おじいちゃんです。(きっと、みんなもしっているだろう。)
  おじいちゃんは、スポーツが大好きです。学校のマラソン大会やクラスたいこうなども、いろいろ見に来ます。そして、いつも、
 「むかしは、いつもおじいちゃんは一等だったぞ。」
 といばります。
  テレビですもうやマラソンや野球をみると、むちゅうです。特に、高校野球が大好きです。それで、よく私たちをスポーツを見につれていってくれます。
  高校野球が始まると、千葉の天台球場や、千葉公園へ、毎日見に行くのです。暑くても、寒くても見ています。私たちが、
 「寒いよう。」
 と言うと、おじいちゃんは、
 「寒くない、寒くない。静かに見ていなさい。」
 と言います。夏のしあいの時は、
 「アイス買いたい。」
 と言うと、おじいちゃんは、
 「あとで、あとで。」
 と言います。それで、私たちは、いっしょうけんめいに言いました。そして、やっと買っていいと言いました。
  おじいちゃんは、アイスを買ってきても、少しずつしか食べないで、野球ばかり見ています。このように、おじいちゃんは、あまり何もしないで、野球ばかりで、私はつまらなくなるときがあります。特に多く見に行くところは、「印旛高校」や「八千代高校」 などです。私のおうえんしているところは、印旛高校です。
  おじいちゃんは、おうえんしているところが勝つと、私が、
 「帰ろう。」
 と言っても、
 「まだまだ。」
 と言って、なかなか帰ろうとしません。それと反対に、おうえんしたところが負けると、さっさと帰ってしまうのです。ですから、時々あきれます。だけど、つれて行ってもらうのが楽しみです。
  毎年行くと、おじいちゃんは、
 「今度は来ない。」
 と言います。だけど、そんなことを言って、毎年来るのです。夏は野球、冬はマラソンです。よく見につれて行ってくれますが、私は時々こう思います。(おじいちゃんてさびしいのかなあ。いつもつれていってくれるから。それにいつも家の中ばかりにいるから。きっとそうだろう。)と思います。
  私は、これからも、おじいちゃんにさそわれたら、喜んで行こうと思います。私のおじいちゃんは、見かけは元気なおじいちゃんですが、なかみはさびしがりやなおじいちゃんです。

👍 おじいちゃんはスポーツが好きなんですね。特に高校野球が大好きなんですね。暑いときでも、寒いときでも、夢中で応援しているようすがよく伝わってきます。そんな元気なおじいちゃんでも、さびしがりやなところもあるのですね。おじいちゃんのことをよく観察して、やさしい思いやりの気持ち書いているのが、とてもすばらしいです。        
 大すきなおばあちゃん

  ぼくのおばあちゃんは、北うらわという所に住んでいます。年は、六十さいぐらいで、とても元気にくらしています。
  それで、おばあちゃんのしている仕事は、畑仕事です。ぼくに、
 「畑仕事に行くかい。」
 と、さそって行きます。ぼくは、ついて行って、おばあちゃんの仕事をしている所を見ています。だいこんをとったりしているおばあちゃんは、とても元気そうです。
  でも、そんなおばあちゃんも、とてもひどい病気にかかったことがあります。うらわから電話があったときはびっくりしました。お母さんは、お父さんに家をまかせて、急いでうらわに行きました。それから、ぼくたちは、日曜日になると、おばあちゃんの家へ行くことが多くなりました。病院までは、とても遠いので、車で行きます。
  ベッドにねているおばあちゃんを見ていると、もう病院なんかへっちゃらのようでした。それから、三ヶ月ぐらい、日曜日がくれば、おばあちゃんの家へ行っていました。
  でも、今では、元気になって畑仕事をしています。おばあちゃんが、ぼくの家に来ると、ぼくは山へ行こうとねだります。山へ行くと、めずらしい花があるので、おばあちゃんは、それをとって家に持って帰ります。うれしそうな顔をしています。そんなおばあちゃんも、さびしそうな顔をしているときがあります。ぼくたちが、うらわから帰る時に、おばあちゃんは駅に見送りに来ます。ぼくたちが電車に乗ると、おばあちゃんはプラットホームから手をふります。電車がどんどん走ります。家に着いて、おばあちゃんに電話をかけると、うれしそうな声がします。たぶん、顔も、うれしそうにしているのでしょう。
  ぼくは、やさしいおばあちゃんが大すきです。

👍 おばあちゃんは、畑仕事がすきなんですね。でも、おばあちゃんが病気になって入院したときは、とても驚いたことでしょうね。日曜日ごとにお見舞いに行ったりして、とても大変でしたね。おばあちゃん   のようすや気持ちなどもくわしく書かれていて、とてもいいです。                   
私のおばあさん
  
  私のおばあさんは、福島県に、お母さんの兄弟のおばさんと、おじさんと住んでいます。八十四才になります。年をとっているので、歩く時に、
 「よいしょ、よいしょ。」
 と、声をかけて、手をこしにやって、せ中をそらして歩きます。前は、お姉さんが三人、その下にお兄さんが一人いて、にぎやかだったのですが、もう大きくなって、東京などに働きに行っていません。それで、さびしいのか、自分の子供たちの所をまわります。
  おばあさんは、一年か二年に一回しか来ません。お母さんの兄弟は、たくさんいるので、おばあさんは、いろいろな所をまわっていくのです。私の家にまわってくるのは、一番さいごです。
  おばあさんは、来るたび来るたび、
 「来年は、これないっぱい。」
 と、一人言を言います。そんな時、私は、
 「きょ年だって、そんなこと言って来れたんだから、今度だってぜったい来れるよ。」
 と言います。そう言うと、おばあさんは、にこにこしてよろこびます。おばあさんは、家に、一ヶ月から二ヶ月くらいいます。
  そんなある日のことでした。学校から帰って、
 「おばあちゃんは。」
  と、お母さんにきくと、
 「ねているよ。だから、ねているところにいかないでね。」
 と、注意するように言いました。
  でも、私は、それをきかないで、そうっとおばあさんのねている部屋に入りました。いつも学校から帰ってくると、本を読んであげることにしているから、(ねていなかったら読んであげよう。)と思ったのです。すると、おばあさんは、ふとんに入って、横になっていました。
 「もう死んでもいい。のこすことなくじゅうぶんだ。」
 などと、おばあさんは、ぶつぶつ言っていました。そして、ため息をしおわった時のように、息をはきました。
 「どうしたの。おばあちゃん。」
 私がきくと、
 「いや、なんでもない。」
 と、あっちを向いてしまいました。
 「じゃあ、あたし本読むからきいていてね。」
 と、私は言いました。そして、私は、きのうのつづきの『お母さんのたから物』という本を読んであげました。そのうちに、おばあさんの方から、「スースー」と、ね息がここえてきました。おばあさんは、ねむってしまったのです。私は、「ククッ」とわらってから、「パタン」と本をとじて、部屋から出ました。(おばあさん、どうして心細くしていたんだろう。)と、私は思って、お母さんに聞いてみました。すると、
 「さびしいのよ。おばあちゃんは。」
 と話してくれました。私は、(そうか。)と思いました。あまりよくわからなかったけど、少しはわかりました。「さびしいのかあ。」私は、それから、よくこんな一人言を言うようになりました。
  私のおばあさんは、こんなように心細いおばあさんです。私は、これからも、おばあさんが来た時は、いつも本を読んであげようと思っています。

👍 おばあさんは、毎年家にやってくるんですね。自分の子供達の家に泊まって、ようすをみにくるのが生きがいなのかも知れませんね。どんなおばあさ 
んなのか、きちんと構成を考えて組み立てて書いたことで、とても分かりやすくおばあさんのことが伝わってきます。おばあさんに本を読んであげたり、お母さんにおばあさんのことを聞いてみたりして、おばあさんを大切に思い、やさしく接するようすがくわしく書かれていてとてもすばらしいです。
      
 東京空しゅうとお父さん

  わたしは、お父さんに戦争の時の話を聞きました。
  それは、まだお父さんが中学三年(十四才)の時のことでした。昭和二十年の四月十八日でした。その時は、まだ京成電車の電気も、今のように明るくなく、一りょうに電球一つくらいのわりあいでしかついていなかったので、中はいつもうす暗かったそうです。そのうす暗い電車に乗って、お父さんは、東京のかま田の親せきの家へ、用があり、とまりに行きました。
  そして、夜、十時ごろのことでした。お父さんは、何かの物音で目をさましました。お父さんは、(なんだろう。)と思って、その家の人がねている所に行きました。
 「何かあったんですか。」
 お父さんが、そう言った時、空しゅうけいほうのサイレンが。「ウー、ウー」と、うるさいほどなりひびきました。お父さんたちは、びっくりしました。
  わたしは、空しゅうけいほうのサイレンなど、テレビなどでしか聞いたことがないので、一度本物のサイレンの音を聞いてみたいなあとよく思うけど、その時の人たちにしては、悪い知らせと同じで、聞きたくはなかったんだろうと思います。
  お父さんは、足にゲートルをぐるぐるまいて、にげるしたくをすると、外にいそいで出ました。わたしは、ゲートルって何だろうと思ったので、お父さんに聞いてみました。
 「ゲートルってなあに。」
 と聞くと、お父さんは、
 「足にまく今の包帯の様な物だよ。」
 とおしえてくれました。
  外に出ると、B29が一機飛んでくるのが見えました。そして、そのB29がしょういだんを落としていき、そのしょういだんが、空中でばくはつしたのを、お父さんは見ました。お父さんは、びっくりして、いつも学校でくんれんしていた様に、道路にふせました。
  わたしは、それを聞いて、(よくそんなに早くふせられたな。学校でいつもくんれんしていたせいかな。)と思いました。わたしは、運動しんけいがにぶいので、とてもじゃないけど、そんなに早くはむりだろうなと思います。
  一しゅん、辺りが暗くなり、またパッと光りました。おきて見ると、まわり中火の海、お父さんのとまっていた家も、一しゅんにして燃えだしていました。お父さんは、家についた火を消そうと思い、バケツを持ってきたけど、その時は、もうとても消せないと思いました。お父さんは、家へ急に帰りたくなってしまいました。そして、火の中をにげだしました。
  にげると中でも、次々と飛行機が飛んできます。そして、しょういだんを落としていきました。しょういだんの後からは、ばくだんが次々と落ちてきました。そして、多くの人が死んでいきました。わたしは、それを聞いてびっくりしてしまいました。そんなにばくだんを落とされたら、東京中火の海になり、みんな焼け死んでしまうんじゃないのかしらと、想ぞうしただけでこわくなってしまうのに、よくお父さんは、そんな中をにげられたなと思います。
  かま田の町は、火の海でした。お父さんは、道路のわきにあるぼう空ごうに入ったり出たりしながら、家に向かってにげていきました。六ごう川の土手までにげてきて、にげながら、ぼう空ごうの中で、お父さんは、もうこれで自分も死ぬのか、兄弟にも、お母さんにも会えなくなるのかと思いました。けれども、その時の学校での先生のおしえで、戦争でいつ死んでもお国のためと思って、あまり悲しくなかったそうです。わたしは、死んでもお国のためと思ってがまんしろなんて、むちゃくちゃおしえる先生だなと思いました。
  次の日の朝は、六ごう橋で会った親切なお母さんと、体の弱いお兄さんに助けられて、その人の家がもし焼けのこっていたら、いろいろとごちそうしてくれると言われて、つれていってもらいました。わたしは、(なんて親切な人たちだろう。やさしいなあ。)と 思いました。ところが、そこへ行ってみると、その人の家もすっかりあとかたもなく焼けていました。わたしは、その人たちは、家がないのにどうするのかなと思いました。
  その人の町会の人たちが、焼け出された人たちに、おにぎりを一こずつくれました。そのおにぎりを、お父さんも一つもらって食べ、上野まで大通りを歩きました。その間中、日本の兵隊さんや戦車が、「ゴーゴー」と行き来していたそうです。
  川ぞいを歩いていると、小さな子どもや大人たちの死体が、たくさんみぞや川の中にプカプカとういていました。わたしは、それを聞いて、せ中に氷水をかけられたみたいにゾッとしました。とってもこわくなってしまいました。死体が川にうかんでいるなんて、思っただけでゾッとします。
  お父さんは、押上から京成電車に乗って、やっと夕方、家に着きました。その日の太陽は、夕焼けのようなまっ赤な太陽だったそうです。
  わたしは、この話を聞いて、戦争ではたくさんの人が死んだんだな、わたしは、こんな時に生まれなくてよかったな、たくさんの人が死んでしまう戦争なんてやってはいけないなと、はっきり思いました。

👍 お父さんから戦争のときのお話を聞いたのですね。お父さんのお話をよく聞いて、とてもくわしくまとめることができましたね。戦争で大変だったお父さんの体験が、とても生き生きと伝わってきます。お父さんのお話を聞いて、二度と戦争はくり返してはいけないとの思いが、とても強くなったのですね。
            
             
                                    
 ねえちゃんのおつかい

  ずうっと前、お母さんに、おつかいをたのまれました。ぼくは、おつかいに行くのがいやだったので、勉強するまねをして、
 「今、勉強してる。」
 と、言いました。お母さんは、
 「あら、そう。」
 と、へんな顔をして言いました。でも、そう言って向こうへ行ってしまいました。ぼくは、ほっとしました。そして、プラモデルをいじっていました。
  三十分ぐらいすると、またお母さんがぼくのへやに来ました。そして、
 「もう、おわった。」
 と聞きました。ぼくは、
 「そんな早く勉強できると思ってるの。」
 と言って、また勉強のまねをしました。
  五分たったら、またお母さんがきて、
 「まだなの。」
 と、大きな声で言いました。
 「まだ、公もんの宿題もやってないし、学校の宿題だってあるのに。」
 と、大きな声で言いかえすと、お母さんが、
 「あれ、きのうやったんじゃないの。」
 と、うたがうように言いました。じつは、学校の宿題はもうおわっていたのです。ぼくは、それで、
 「あっ、あ、あれね。」
 と、こわごわ言いました。すると、お母さんは、
 「それじゃあ、行ってきてね。」
 と言いました。ぼくは、
 「そのつづきだってば。」
 と、うそをつきました。
 「それじゃあ、ねえさんにたのむからいいわ。」
  お母さんは、へんな顔をして行ってしまいました。ぼくは、(なんだよ。ねえちゃんにたのむんだったら、はじめっからたのめばよかったのに。)と思いました。
  お母さんは、となりの中学三年生のねえちゃんのへやに行きました。行ってきてと言う声が聞こえてきました。ねえちゃんは、
 「直樹にたのめばいいじゃないの。」
 と、行きたくなさそうに言いました。お母さんは、
 「ねえさんでしょう。」
 と言いました。ねえさんは、
 「わかったわよ。」
 と、へんな言い方で言いました。ぼくは、それを聞いて、なんかほっとしました。ねえさんが、
 「なにかうの。」
 と聞くと、お母さんは、
 「ベーコンよ。」
 と言いました。それを聞いて、なんだそんなものだったのかと、心の中で思いました。
  ねえちゃんが、家を出てしばらくして、ぼくは、お母さんの所へ行って、
 「やっと終わったよ。」
 と言いました。お母さんは、
 「長かったねえ。」
 と言いました。ぼくは、
 「う、う、うん。」
 と言って、自分のへやへもどりました。
  二十分ぐらいして、ねえちゃんが帰ってきました。
 「何円で、いくらおつり。」
 と、お母さんが聞くと、ねえちゃんは、
 「ベーコンなんて売ってなかったから、肉を買ってきた。」
 と言いました。お母さんは、うたがったように、
 「ほんとになかったの。」
 と聞きました。ねえさんは、
 「うたがわないでよう。それじゃあね。」
 と言って、自分のへやに向かって行きました。
 「もんく言うんだったら、わたし今度から行かないからね。」
 という声がして、ねえさんは、「バターン」とわざと自分のへやのドアーを強くしめました。
  ぼくは、なんだか、ぼくがいけばよかったなと思いました。お母さんは、ちょっとおこったようでした。そして、台所へ行ってしまいました。ぼくは、何かお母さんの所へ行きたくなくなりました。でも、行きたい気もちもありました。
  ぼくは、しらないような顔で行きました。そして、
 「どうしたの。」
 と聞こうとすると、
 「なんでもないわ。」
 と、お母さんは言って、下を向いてサンドイッチをつくっていました。ぼくは、それを見て、わるいなと思いました。今度からは、たのまれたら、すぐ行こうと、心の中でしみじみ思いました。ああいうことは、もうしたくないと思いました。

👍 お使いをたのまれて、ことわったことを後悔したのですね。お母さんとお姉さんとのやり取りが、とてもていねいに書いてあり、そのときのようすがよく分かります。自分が悪かったと思い、お母さんを思いやるやさしさが、最後ににじみ出ていますね。 
             
               
 あけっぱなし

  二週間ぐらい前、わたしが学校から帰ってきてからのことでした。わたしは、だいたい三時すぎに、ものおきから家のカギをとってあけました。いつもそこにカギがおいてあるのです。その日も、そこにカギはおいてありました。
  カギをあけ、入ってみると、いつもの家の中よりなんだか、ようすが少しへんでした。 いつもは、風などふいてこないのに、その日は、風がふいているのです。中のドアがバタンバタンと動いているのです。わたしは、びっくりして、声がでなくなりそうでした。どんどん中へ入っていくのがこわくなってきました。わたしのお母さんは、働いています。いつもは昼は家にいません。(お母さんがいるなら、仕事のバックがあるはずだ。)
 わたしは思いました。そして、バックをさがしました。でも、バックはないのです。
  わたしは、思いきって、げんかんに一番近いおうせつまに入って行きました。
 「お母さん。」
 と、部屋の方を向いて言ってみました。でも、お母さんはいません。
  わたしは、ふしぎに思いました。いつものお母さんは、そんなことはしないからです。お母さんは、いつもドアをきちんと閉めていくし、わたしやお兄ちゃんが、あけっぱなしで行こうとすると、
 「こら、ちゃんと閉めていきなさい。どろぼうでも入ったらどうするの。」
 と、きつくしかります。
  わたしは、つづいて、となりのお父さん、お母さんの部屋に行ってみました。そして、「わあ、何だ。」
 とどなってしまいました。まどがあけっぱなしになっているのです。そこから風が入ってきていました。(どろぼうでも入ったのかな。それとも、お母さんがさらわれちゃったのかな。)わたしは、こんなことを思いました。そして、さっきよりもっとドキドキしてしまいました。
  ドキドキしたので、外へとび出していきました。でも、家のことやお母さんのことが、心ぱいでたまりません。そこで、わたしは、こんなことを忘れているのに気がつきました。それは、友だちとあそぶやくそくをしていたことです。なんでこんな日に、わたしはやくそくをしたのだろう、と思いましたが、でも、気持ちがすぐにかわりました。それは、自分の家で、お母さんをまっているのがこわいからです。すぐに、ランドセルをおいて、あそびに行きました。
  そして、三十分たって家に入って、そろばんのじゅくに行こうと、バックをとりに行きました。(お母さんきているかな。)ほうぼう見てみましたが、まだお母さんは、帰っていません。ふしぎでたまらないし、こわいので同じ組の青柳さんの家に行って、いっしょにそろばんに行きました。 
  そろばんに行っても、気にしていました。おかげで、かけ算は十一問しかできませんでした。先生に、
 「石塚さん、今日はおかしいですね。」
 と、言われてしまいました。(早く帰りたい。)と、心の中は、それでいっぱいです。先生が、
 「はい、今日の一ぶおわり。」
 と大きな声で言いました。わたしは、かいだんを、一だんとばしで、走っていきました。そろばんじゅくから家までは近いので、思いきって走りました。
  家のドアを開けると、お母さんは、帰っていました。夕ごはんのじゅんびをしていました。わたしは、お母さんの所にかけて行きました。そして、だきついて泣いてしまいました。
 「なに泣いているの。」
 お母さんは、ふしぎそうに言いました。
 「だって、学校から帰ったら、あけっぱなしになっているんだもん。」
 「それはね、しけっちゃうからよ。かんたんに言うと、風通しね。」
  お母さんは、サラダに入れるレタスをあらうのをやめて、わらいながら言いました。わたしは、よかったよかったと、大きな声でさけびたくなりました。そして、お母さんからはなれ、お母さんの方を見て、
 「どろぼうか、お母さんがさらわれたのかと思ったんだから。」
 と、わらいながら言いました。わらいながら見ていると、お母さんは、台所のすみの方へ行って、しくしく泣き出してしまいました。
 「お母さん、どうして泣いてるの。」
 お母さんのそばへ行ってきくと、
 「だって、お母さんのこと、そんなに心ぱいしてくれるんだもん。ありがとう。」
 と、泣きながら言いました。
 「まあね。」
  そして、二人でいっしょにわらってしまいました。本当によかったです。
 「もうすんだんだから、夕ごはん手伝って。」
 と、お母さんは、泣きやんで、わらいながら言いました。わたしは、
 「わかった。」
 と言って、やさいにマヨネーズをかけました。そして、お母さんの方を向いて、
 「よかったね。」と言いました。

👍 学校から帰ってきたら、いつもとちがう家のようすにおどろいたのですね。まわりのようすと、自分が言った言葉、思ったことをきちんと書 いているのがいいです。また、このできごとを通して、ふだん見せないお母さん姿を見たのですね。前よりもお母さんを好きになったことでし ょうね。お母さんも心配されて、とてもうれしかったことでしょう。 
 お金を集める日

  「ああーっ。どうしよう。」
  今日は、カーネーションのお金を集める日です。なぜ、私がさけんだかというと、そのお金を忘れてしまったからです。
  きのう、先生が、
 「明日は、お金を集める日なのでわすれないように。」
 と言ったばかりでした。私は、今から家にとりに行こうか、それとも、だれかに借りようかな、と困ってしまいました。
  さい初に、お金をかしてと言ったのは、梅津さんのところです。でも、あいにく梅津さんは、お金を持っていませんでした。私は、どうしようかなと、またまた困ってしまいました。その時、梅津さんが、
 「そうだ、高井さんにたのんだら。」
 と言ったので、私は、
 「うん、そうする。」
 と、ついつい言ってしまいました。私は、さっきは、はりきっていたけど、(なんだか高井さんにわるいな。でも、お金なきゃ先生におこられるな。)と、おろおろしていました。そしたら、梅津さんが、
 「ねえ、早く言わないと先生におこられるよ。今日は、集める日でしょう。」
 と言ってくれました。それでも、不安で、もうなきそうになってしまいました。また、梅津さんが、
 「ねえ、早く言った方がいいよ。」
 と何回も言ってくれるんだけど、私には言う勇気がいつのまにかなくなっていたのでした。わたしは、(困ったな。高井さんにはめいわくかけたくないし、でも、お金なきゃ先生におこられるし。)と、いつのまにか思っていました。
  私は、(やっぱり家にとりに行こう。)と思ったので、急いでげたばこに行って、タッタッタッタッとかけて、学校の校門に来ました。
  その時、ふと思い出しました。(先生にきょかがないと、学校から出られないんだ。でも、お金はいるし、どうしよう。)と考え込んでしまいました。(まあ、いちおう教室に帰ってじっくりと考えよう。)と思ったので、また、タッタッタッタッとかけて、またげたばこに来て、教室に帰りました。 私は、「困ったな。」を、たくさん言っていました。私は、「んーんーんーんー。」とうなって、気がへんになりそうになりました。
  私は、お金が手さげの中に入っていないかなといっしょうけんめい、何回も何回もさがしていました。でも、いくらさがしても、見つかりませんでした。(足もとにおっこちてないかな。)と思ったので、さがしたけどやっぱりありません。(よし、思いきって言おう。)と思って、言おうと思うんだけど、言うことができないのです。(いくじなしだな。)自分を思ってしまいます。でも、私はついに、
 「高井さん、お金かしてくれる。」
 と言いました。高井さんが、
 「何円。」
 と言ったので、私は、
 「三十円。」
 と言いました。高井さんは、お金を気持ちよくかしてくれました。私は、(早めに借りた方がよかったな。でも、高井さんて、やさしい親切な人だなあ。)と思いました。
👍 集金のお金をわすれて、どうしようかと、いろいろ考えている心の中のようすが、とてもよく書けています。ちょっとした勇気があれば、そんなになやまなくてよかったことに、最後に気づいてよかったですね。これからは、忘れないようにしようね。              
 五年生とけんかしたこと

  おとといのことでした。
  昼のそうじの時、そうじのはん長の小林さんが、
 「今日は、中嶋くんと門馬君が、スコップで、あっちがつまっているからやって。」
 と言いました。ぼくは、
 「うん。」
 と言って、そうじ場所へ行きました。下の運動場のトイレふきんのみぞそうじが、ぼく たちのやる場所です。
  ぼくが行くと、もうみんなみぞそうじをやっていました。みんながやっているのを見 ていると、(かんたんそうだな。)と思いました。でも、やってみると、それほどかんたんではありませんでした。
 「重いな。」
 と言いながらやっていると、門馬君が来ました。
 「小林さんが言ったんだけど、そのスコップこうたいで使えだって。」
 と言いました。ぼくは、
 「あと一つあるだろ。」
 と言って、小林さんのそうじしている方へ行きました。
  桜井さんが、
 「ここにあるだろ。ばか。」
 と、門馬君に言いました。そして、ぼくと門馬君がそうじをしていたら、「ザッザー」と、小石や砂がとんできました。ぼくたちのそうじ場所のとなりの、坂になっている道 の方からとんできたのです。ぼくは、さい初は、わざとじゃないと思って、しらんぷりしてそうじをしていました。でも、それからも、何回も小石や砂がとんできました。ぼ くには、それがわざとやったように見えました。
  ぼくと門馬君は、思わず、「カアーッ」ときて、一人の五年生の男の人に言いました。
 「なんだよ。」
 と、どなりました。五年生も負けずに、
 「うるせいな。」
 と言ってきて、口げんかになってしまいました。
  あたりはしいんとなってしまいました。聞こえるのは、ぼくと五年生と門馬君の声だ けでした。五年生が、
 「このやろう、死ね。ばか。」
 と言ってきました。ぼくは、
 「門馬、こんなアホにつきあっていると、そうじがおくれるぞ。しらんぷりしろ。」
 と、門馬君に言いました。門馬君は、
 「うん、わかった。」
 と言いました。そして、二人してまたみぞそうじを始めました。それからは、五年生が何か言っても、しらんぷりしていました。
  ぼくたちは、スコップをみぞに入れてどろをとりました。その時でした。「バチャ、バチャ」と音が聞こえたので、そっちを見ると、五年生がせっかくとったどろを、足で けとばすように、みぞに落としていました。ぼくは、思わず、
 「なんだよ。なおせよ。」
 と、言ってしまいました。
  五年生は、おこったみたいでした。
 「このやろう。」
 五年生は、ぼくの頭をたたいたり、足をけったり、竹ぼうきの先でたたいたりしてきま した。
 「やるなら、やれ。やんないなら、そうじしろ。」
 と、ほかの五年生が来ました。
  門馬君は、そうじをしていました。そこへ、小林さんが来て、
 「やめなよ。そうじの時間だから、あとでしな。」
 と言いました。でも、五年生は、
 「やだ。あやまったら、そうじやる。」
 と言ったので、小林さんは、帰っていきました。ぼくが、
 「言い方が悪いのか。」
 と言うと、
 「もうおそい。」
 と、五年生が言いました。そして、またまた、たたいたり、けったりが始まりました。ぼくは、悲しくなって、目になみだがたまって、なきそうになってしまいました。
 「あやまればいいんだろ。」
 それでも、門馬君は、そうじをしていました。ぼくが、
 「ゴ・メ・ン・ナ・サ・イ。」
 というと、五年生も、竹ぼうきではきながら、
 「ごめん。」
 と言いました。ほかの五年生が、
 「ちゃんとあやまれよ。」
 と言ったら、
 「うるせいな。あやまったよ。」
 と、その五年生は言いました。
  小林さんが、先生たちをよびだしてきました。ぼくは、この時、(かっちゃん(門馬 
君)、えらいな。五年とけんかしてまでがんばったんだから。)かっちゃんは、前にそうじをしていた時に、同じように五年生に、いやがらせをされたというのを、かっちゃんから聞いていたからです。
  先生といっしょに来ていた森塚君や古山君も、
 「だいじょうぶ。」
 と、言ってくれました。ぼくは、うれしかったです。五年生は、帰っていきました。帰って行くところを見ると、「ばか。」と言いたい気持ちでした。

👍 おそうじの時間に、五年生と争ったことを書いたのですね。その時のようすが、とてもよく伝わってきます。五年生にたいしての言葉づかいが、そのきっかけになったのですね。自分が悪くないのに、思わぬ展開になってしまったことが、細かくていねいに書かれていて、とてもおもしろいです。 
藤崎さんがこわい本ばかりほめたこと

    六月一日の朝、学級文庫の本には何を持っていくかとてもまよいました。そのけっか、「お母さんはま女」という、一番気に入っているのにしました。
    そして、その本を持って学校に行きました。学校のしょうこう口で上ぐつをはいていると、藤崎さんに、
 「何の本持ってきた。」
 と聞かれました。わたしは、にこにこして、
 「これ。」
 と言って、本を見せました。そしたら、
 「なぁんだ、そんなの。」
 と言われてしまいました。わたしは、(あたしが一番気に入っているんだから、みんなも気に入るだろう。)と思っていたのに、藤崎さんにバカにされたように言われたので悲しくて、それ以上しゃべらないで教室に行きました。そして、カバンの中の物を出しながら、(あ~あ、この本みんなにきらわれたらいやだなぁ。)と思いました。そして、 図書係の川島君にわたしてから、藤崎さんの所に行って、
 「じゃあ、マーちゃんは何を持ってきたの。」
 と聞きました。
 「あたし、持ってこなかった。」
 と言いました。(なぁんだ。)と思いながら、
 「なんで、あの本だめなの。」
 と聞きました。
 「だって、こわい本持ってくるとおもったんだもん。」
 と言われました。そして、学級文庫の方へ行ってしまいました。それから、だれかのこわい本を持ってきて、「この本かりたいね。」とか、早川さんと話していました。たしかに、おもしろそうな本でした。だけど、わたしの本をきらっていたので、見るのがいや だから、藤崎さんたちからはなれました。そして、川島君にことわって返してもらってから、もう一度、ピラピラッとめくってみました。楽しそうなまほうの絵がいっぱいのっていました。(こんなにいい本なのに・・・。)と思いました。藤崎さんは、やっぱりこわい本のことばかりほめていて、こわくない本なんか見向きもしていませんでした。 わたしから見たら、こわい本が、本の国をしはいしていて、こわくない本が、「けらい」みたいに見えました。わたしは、こわくない本のみかたです。でも、心のおく深くで、(こわい本を持ってくればよかったなぁ~。)と、反省していました。でも、それに対して、心の中心で、(あたしは、こわい本なんかより、こわくない本を多く読もう。ぜったいに。わたしはこわくない本のみかただもん。)と思い直しました。本当に、みじめだったからです。でも、藤崎さんに、「そんなの。」と言われたので、わたしはしょんぼりしていました。そして、自分のつくえの近くを、うろうろしていました。
    ふと、気がつくと、藤崎さんがスキップしながら、わたしの方へ来ました。わたしの前へ来ると、藤崎さんはまゆ毛を下げて、にこにこして、
 「さっきはごめんね。」
 とあやまってきました。わたしはその時、つい、合わされてしまった感じで、
 「もういいよ。」
 と言ってしまいました。でも、心の中では、(こわい本ばかりがいいんじゃないんだ。)と思っていました。

👍 学級文庫にする本を、みんなが持ち寄ることになったのですね。最初にお友だちから言われた言葉は、たいへんショックだったことでしょうね。こわい本と自分が持ってきた本をめぐる心の変化が、とても よく伝わってきます。そして、最後には、自分が持ってきた本は、ま ちがいではなかったと思うところが、実にすばらしいですね。 
 弟のかぜ

    この前の日曜日のことです。
    お父さんと、お母さんが、どこかへ出かけたので、その間、弟のけんじと電車のもけいで遊んでいました。でも研治は、ちっとも線路を組み立てないから、ぼくが、
 「なわとびでもする。」
 と聞くと、研治は、あんまり乗り気ではないような顔で
 「うん。」
 と言いました。でも外に出て、なわとびをしました。だけどつまんなかったので、五分ぐらいで家にもどりました。
    そしてしばらくすると、研治が急いでべん所へ言ったので(おしっこがいっぱいたま っていたのかな。)と思ったら、急にべん所の方から変な音が聞こえてきました。だか らぼくは、(研治はかぜぎみだし、かぜをひくとよくはくから、またはいたのかな。)と思ってべん所へ行ってみると、べん所の中にはいていました。ぼくが研治に、
 「研ちゃん、はいちゃったの。」
 と聞いてみると、わるいことでもしたような顔で、何も言わずに、首をたてにふりました。研治は、ズボンとくつ下をよごしていたので、着がえさせながら、
 「ちゃんとべんきの中にやろうとおもったんだけど、間に合わなかったんだね。」
 と聞くと、
 「うん。」
 と小さい声で言いました。
    そして、ふとんの所へつれていって、ねかせました。そうしたらぼくは、(そういえば、ぼくがかぜをひいたときは、いつもお母さんがはきそうな時のため、ふとんの横に せんめんきをおいといてくれるなあ。)と思い出しました。だからぼくも、おふろ場からせんめんきを持ってきて、研治の横におきました。そして、
 「またはきそうになったら、このせんめんきの中にはきな。」
 と言いました。そして、三十分ぐらいすると、研治が起きてきたので、
 「だいじょうぶ。」
 と聞くと研治は、
 「うん。」
 と言ったので、いっしょにテレビを見ていました。
    それから一時間三十分ぐらいすると、お父さんとお母さんが帰ってきました。ぼくが、
 「研治、はいちゃったよ。」
 というとお母さんは、あんまりびっくりしないで、
 「あらそう。前からそんなかんじだったからねえ。」
 と言いました。
    ぼくと、研治と、お父さんで夕ごはんを食べているとき、お母さんは、べん所の方で 何かしていたので(何しているのかなあ。)と思った時、べん所の水を流す音が聞こえました。だから、(研治がはいた所をそうじしてるんだなあ。)と思いました。

👍 弟がかぜぎみで、吐いてしまったことを書いたのですね。弟にたいする思いやりの気持ちが、とてもよく伝わってきます。弟に対する言葉かけや帰ってきたときのお母さんの言動が、とてもていねいに書かれていて、かぜぎみの弟を見守るようすが、よく表現されています。        
 ふじの葉のふえ

    休み時間に、しょう子ちゃんと体育かんのうらのふじだなへ行きました。本当は、ふじのつるで、ぶらんこをしたり、ぶらさがってあそんだりするために、ふじだなに来たんだけど、しょう子ちゃんが、
「ふじのはっぱで、ふえできるのしってる。」
といいだしたので、ふじの葉のふえで、あそぶことになりました。
 私は、ふじの葉でふえをふけるなんてしらなかったので、
「ふじの葉でふえなんかふけるの。うそでしょ、どうやってやるの。」
とききました。しょう子ちゃんは、
「まず、ふじのはっぱを一つとってふくんだよ。」
 といいました。私は、
「ほんと。」
といって、そばにあったふじの葉を一つとりました。しょう子ちゃんも、たれているえだから一つとりました。
    しょう子ちゃんがさきに、ふじのはっぱをくちびるにあて、ゆびでおさえてふきました。「ピープーピーピー」と、高い音でなりました。私もまねして、とった葉をくちびるにあててふきました。くちびるがふるえて、手にじんじんつたわってきました。「ブーブーブー 」と、ひくい音がしました。私は、
「なんで、しょう子ちゃんと同じ音がでないんだろう。」
といったら、しょう子ちゃんは、くすくすとわらっていました。私は、(きっと、私のふきかたがわるいんだ。もう一度やってみよう。)と思って、もう一まいとりました。またさっきと同じおとがしました。また、しょう子ちゃんが、くっくっとわらいました。 私は、
「そんなにわらわないでよ。はじめてなんだから。」
と、少しはずかしくなっていったら、しょう子ちゃんは、
「うん。」
といいました。何回やっても同じ音なので(へんだなあ。)と思いました。しょう子ちゃんが、
「あとね、なるべくまあるいはっぱのほうがいいんだよ。」
と、思い出したようにいいました。私は、
「しょう子ちゃん、それを早くいってくれればいいのに。」
と、もうしょうがないんだから、というかんじでいいました。
 私は、さっそく、まあるい葉をさがして、さっきと同じようにふきました。こんどは、 「ピーピーピー。」となりました。私はうれしくなって、大きな声で、
「やっとなった。草ぶえっておもしろいね。」
と、しょう子ちゃんの方を向いていいました。私は、二、三まいふいてから、
「ふじのはっぱがかわいそうだから、あと一回で終わりにしよう。」
と、ひとりごとのようにいいました。はっぱを一つとろうとしてひっぱったら、二、三 
こくっついてきちゃったから、しょう子ちゃんに、
「しょう子ちゃん、こんなにとっちゃった。ひとつあげようか。」
といったら、しょう子ちゃんは、つるでぶらんこをしながら、
「いい、いらない。」
といいました。しょうがないので一人でふきました。長細い葉とまあるい葉とばらばらなので、いろんな音がしました。たとえば、「ブーブービー。」 とか「ピーピーブーブー。」となったりしました。私は、
「しょう子ちゃんもふけば。」
といったら、しょう子ちゃんは、だまってぶらんこをしていました。
「しょう子ちゃんは、もうめずらしくないか。いつもやってるんでしょ。」
と、さっきより大きな声でいいました。しょう子ちゃんは、今気がついたように、
「うん。」
といいました。私は、(はっぱの形がちがうと、いろんな音がするな。でも、ふじの葉で草ぶえできるなんて、しらないっていう人、私くらいだろうな。)と思いました。
    その時、チャイムがなったので、ちょうど一つのこっていたふじの葉をふきながら、 教室へ入りました。

👍 ふじの葉で、音をならす遊びを、お友だちに教えてもらったのですね。葉っぱの形で音が変わるなんて、おどろきました。ちょっとした学校の短い休み時間のできごとが、こんな風に、すばらしい作文になるのですね。自然物を使った遊びを、これからも見つけてくださいね。  
 お父さんは、いつも大へんなんだな

 お父さんの仕事の場所は、東京のきんし町というところにあります。仕事場が遠いので、朝、五時二十分ごろ行きます。駅からは仕事場まで、あまり遠くはありません。駅からバスに乗って、ガラス工場のとなりに、お父さんの工場があります。名前は、「酒井たいねつ」といいます。
  お父さんのやる仕事は、前まで、かぶせる仕事をしていました。でも今は、つくる仕事です。お父さんは、長年やっているので、つくる仕事のはん長みたいなものをやっています。年下の人のめんどうをみたりしています。つくる仕事というのは、サラッサラの黒いすなを、くすりでカチカチにかためて、正方形のかたやまるいかたや、なかには二メートルぐらいの正方形のかたにします。それから、ペンキで色をぬったりする仕事です。いつも日曜日になると、私は、
 「ねえ、お父さん。今日、会社あるの。」
 ときいてみると、
 「ちょっときりつけてくるから。夕方ごろになったら、帰ってくるから。」
 と、遊ぶのもことわっているようなかんじです。(あーあ、お父さんひまじゃないのかあ。じゃあ、今日も、つまらないなあ。ラジオでもゆっくりきこおっと。)と思います。わたしは、ラジオをきいてのんびりしていても、お父さんは、それだけたいへんなんだなあ、と思います。
 この前、お父さんの仕事を、お母さんと、おねえちゃんと、私で見学しにいきました。お母さんは、何回もいったことがあるようなので、工場の中をせつめいしてくれました。お父さんを見ると、うすぐらいところにさぎょうぎを着て、いっしょうけんめいねじを回していました。おねえちゃんと私は、
「見ててもつまらないから、わたしたち手伝ってあげるよ。」
と言うと、
「じゃあ、本だなのヤマザキのふくろのとなりに、手ぶくろがあるからね、手ぶくろをして、ふといねじをさがして。」
 と、お父さんが言ってくれました。ねじをさがすのが、楽しくってたまりませんでした。
   仕事が終わるとお父さんは、手ぶくろをとって、手をあらいにいきました。私たちは、お父さんのあとをついていくと、かいだんを上ると、そこにロッカーがありました。ロッカー室みたいなところの中に、かいだんがあったので、おねえちゃんと、お母さんの三人で、下りていきました。そこは、おふろ場です。おふろ場は、とても広いです。かいだんを上がって、また上がると、食どうがありました。私は、(お父さんは、こんな所で、お昼を食べて、働いているんだなあ。)と思いました。

👍 お父さんの仕事場を見学し、お手伝いをしたりしてとてもいい勉強になりましたね。お父さんの仕事のたいへんさがよく分かったことでしょうね。お父さんの仕事の内容や職場のようすが、たいへんていねいに書かれていて、お父さんの現実の姿がよく伝わってきます。 

8月28日から再掲載いたします

おこってしまった おかあさんが 家をとび出してしまったこと

  ずっと前、ぼくがテレビを見ていたら、お母さんが、
 「しゅくだい、やりなさい。」
 としつこく言ったので、ぼくはおこって、
 「うるさいなあ。」
 と言って、お母さんをおこらせてしまった。でも、ぼくは、自分が悪いとは一つも思わなかった。そして、お母さんが、
 「なんです、その言いぐさは。」
 と言って、頭にきたので、けんかになってしまった。
    お母さんは、その日、きげんが悪かったとみえて、もうれつないきおいで、ぼくをせめたてた。
 「なんで、そんな口きくの。テレビを見るひまがあったら、しゅくだいでもやっていなさい。」
 とぼくをしかった。ぼくは、なんであんなおこるんだと思って、
 「なんで、そんなにおこるんだよ。そんなにおこらなくてもいいじゃないか。えっ、どうなんだよお。」
 と、お母さんにまけないくらい、どなりつけてやった。そして、ぼくは、
 「自分のきげんが悪いだけだろう。やつあたりするなよな。」
 とおこりつづけた。そしたら、お母さんも、口をとがらせて、
 「じゃあ、なによ。それが親にたいしていう言葉なの。」
 と言い返された。今度は、ぼくが、
 「親だろうと、命のおん人だろうと、悪いと思ったら、言ったってかまわないだろう。」
 と言って、やり合った。今度はお母さんが、
 「おまえは、わがままなのよ。」
 と言った。ぼくもお母さんも、すごくおこっていて、すごいけんかになってしまった。
    そのとき、お母さんが、ぼくのことをぶとうとしたので、よけて、ぎゃくに、ぶちかえしてやった。そしたら、お母さんは、
 「親をぶったわね。」
 と、ぼくをにらみつけて言った。ぼくは、
 「自分がはじめに手を出したんだろう。なにいってんだよ。」
 と、ぼくもにらみつけて言った。そしたら、おかあさんは、
 「家、出ていきなさい。」
 と、大きな声で言った。
 「いやだね、自分が出て行けばいいだろう。」
 と言ってやった。そうしたら、
 「出て行くよ。」
 と言って、とび出して行ってしまった。
    一分ぐらい頭にきて、テレビを見ていたけど、心配になって、外へさがしに行った。まず、ぼくの家のそばにある、とげぬきじぞうに見に行った。そして、あたりをキョロキョロ見回すと、おばあさんと子どもしかいなかった。そして、こんどは、商店がいにそって歩いていった。でも、お母さんは見つけられなかった。
    ぼくはそのときはじめて、(自分が悪い、早く帰ってきてくれ。)と思った。そしたら、 お母さんらしき人を発見した。ぼくはいそいで、お母さんらしき人の後に行った。そして、
 「おかあさん。」
 とよんだ。一つもお母さんらしき人は、こっちを向いてくれない。今度は、前より大きな声で、
 「おかあさん。」
 とよんだ。そうしたら、こっちを向いた。顔を見たら、ぜんぜんべつの人だった。ぼくはガクッときて、ものが言えなくなった。そして、
 「すみません、人ちがいでした。」
 と言って、また、さがしにかかった。
    お母さんのような人が、前の方に歩いていた。ぼくは、(こんどこそ、ほんとうのお 母さんだ。)ときめつけるようにした。そして、今度はその人の前に行き、顔を見た。 そしたら、やっぱりぼくのお母さんだった。ぼくは、お母さんに、
 「帰ってきてよ。たのむよ。ぼくが悪かったからさあ。」
 と言うと、お母さんは、きげんが少しなおった言いかたで、
 「今度から、親にたいして、そんな言いかたをしなければ、ゆるしてあげる。」
 と言った。ぼくは、
 「うん、わかったからさあ。」
 と言った。そしたら、お母さんが、
 「じゃあ、家に帰ろう。」
 と言って帰った。
    家に帰って、もう一度よく考えてみた。考えたすえに、ぼくも悪かったけど、お母さんも少しは悪いと思った。

👍 お母さんに宿題をやりなさいと言われて、反こうしたことから書かれていますね。お母さんとの口げんかのやり取りが、とてもくわしく 書かれていて、そのときのようすが生々しく伝わってきます。お母さんが出て行ってしまって、心配してさがしに行くところに、やさしさがにじみでて出ています。売り言葉に買い言葉には、要注意ですね。
おこられたこと
    わたしは、三年生になった時から、うらの畑に、なまごみをすてにいっています。
    なぜごみやさんには、ださないか、そのりゆうは、畑のこやしにするからです。
 ある日、お母さんが、
 「めぐみ、なまごみすてて来て。」
と、言いました。わたしは、(夜、畑に行くのこわいなあ。)と、思いました。だって、 畑のとなりに、ささの葉があって、風にゆれて、いつもさわさわと、ゆれてるからです。 でも、わたしは、
「はーい。」
と、言いました。
 外は、さむくて、しもがはっていました。わたしは、思わず、
「さむいよう。」
と、言って、なまごみをもって、家を出ました。ささの葉が、いつものように、さわさわゆれていました。わたしは、おっくうがって、畑の中を通って、なまごみをすてました。    
    次の日の夕方、おかあさんが、おち葉をうらの畑に、すてに行きました。
    夜になり、なまごみをすてに行こうとした時、お母さんが、
「おっくうがらないで、せんろがわから行って、畑の中を通らないで。空豆のめを、二、 三本おっちゃっているよ。また夏に、空豆をいっぱい食べられないよ。」
と、言われてしまいました。
 その日から、わたしは、ずっとせんろがわを通ってすてました。

👍 生ごみを捨てにいくようにお母さんにたのまれたのですね。冬の寒い日の夜のようすが、よく書かれています。ちょっとおっくうがって、  いつもとちがう場所に捨てたことが、ばれてしまったのですね。でも、おこられてからは、気持ちを入れかえることができたのですね。

3年生の作文掲載中!

人の命
 今日、ぼくががっこうから帰ってくると、やけに家の中がしんとしていました。しごとばには、お父さんとお母さんが、しごともせずに話していたので、ぼくが、お父さん とお母さんに、
「どうしたの。」
と聞くと、お母さんが、
「今日ね。お母さんの知っている人が、死んだの。」
と、言ったので、
「え、ほんとなの。」
と聞き返しました。でも、よく考えてみれば、きのう、お母さんの知っている人が、じこにあったとか言っていたのを思い出しました。ぼくは、なぜその人がじこにあったのか聞きました。おかあさんは、
「知っている人の車がね、しょうめんしょうとつをして、前のガラスがわれて顔ににあ たって、顔がメチャメチャになって、きのう病院へつれていかれ、今日死んだのよ。」
と、かなしい声で言いました。ぼくは、そのじこをそうぞうするだけでも、こわくなりました。ぼくはお母さんに、
「その人何才なの。」
と聞いたら、
「女の人で二十一才よ。」
と、言いました。ぼくは、びっくりしました。(まだそんなにわかいのに、死んでしまうなんて。)と、思いました。(人の命ってなんでそうかんたんに、ほろびてしまうのだろう。)と、ふしぎに思いました。
 お母さんが、
「きよたか、おまえもね、せっかくかみ様がくださった命を、だいじにするんだよ。」
と、言ったので、ぼくは、
「うん、だいじにするよ。」
と、言いました。でも、まだ人が死んだなんて思い出すと、こわくてたまりません。だから、少しこのことをわすれようと、外へなわとびをしに行きました。なぜかお母さんの知っている人が死んだということが、頭からはなれません。ぼくは、なわとびをやりながら、(人の命って、かんたんにほろびるものだなあ。よし、ぼくは、ぜったいに自分の命をまもるぞ。)と、一人言を言ってなわとびをやめ、くもった空を見つめました。

👍 学校から帰ってみると、家の中がいつもとちがうようすに、気がついたのですね。お母さんの知っている人が、交通事故で死んでしまったことを聞き、とてもショックを受けているようすが伝わってきます。命を大事にというお母さんの言葉が、とても身にしみているのがわかりますよ。最後に、くもった空を見つめたと言う表現が圧巻ですね。    
いんこがとんでいて、つかまえようとしたが、
  なかなかつかまえられなくて、やっとつかまった

  冬休みが終わって、ちょっとたってから、川松くんと松下くんとようちゃんとよしおちゃんとかっちゃんであそんでいたら、インコが、「バサバサバサ。」 
と、小さな音でとんできて、あき地へおりました。ぼくが、
「インコだ。」
と、言ったので、みんないそいで見に行きました。そしたら、インコが、「バサバサ。」と、とんでいってしまいました。けれども、近くの家に止まっただけで、にげませんでした。みんなそっとそっと歩きました。ぼくが手で、 
 「えい。」と、やったら、また「バサバサ。」と、とんでいきました。(しぶとい鳥だなあ。)と、思いました。  
  今度は、よしおちゃんちの物おきに、とんでいきました。ソローソローと行って、やっとインコの近くにきました。ようちゃんがとろうとしたけど、とれませんでした。今度は、「バサ。」と、はねただけでした。次は、ぼくがとりました。もう、何回もやってつかまらないから、つぶすようにとりました。「バサバサバサ。」まただめでした。そして、またあき地にもどりました。ようちゃんが、  
 「そうだ、あみをもってこよう。」
と、言いました。ようちゃんが、あみをもってくる間に、(もう、にくたらしいから、やけくそだ。)と、思ってつかまえようとしたら、また、「バサバサ。」今度は、かべの方にとんでいきました。そして、ようちゃんがあみをもってきました。ちょうどその時、かべに、「ドン。」と、たいあたりしました。その間に、ようちゃんが、とろうとしたけど、「バサバサバサ。」と、あわててにげていたようです。また、あき地にいきました。みんなかけ足でいそい でいって、ようちゃんが、「えい。」と、やった時でした。やっとあみに、入りました。つかまったのです。
 みんなで、どうしようか考えました。みんな、よしおちゃんちでかってもらおうということで、さんせいしました。だれのかというと、みんなのです。みんなでつかまえたからです。  
  名前を考えました。いろいろな意見が出ました。ピンコとか、ようことか出ました。そしたら、川松くんが、
「チッチがいい。」
と、言いました。みんなさんせいしました。色は、体が白で、頭が、青色です。車田くんが、  
「このままだと、えさがないから死んじゃったかもしれないなあ。」
と、言ったので、ぼくは、かごの中で、かうのはかわいそうだけど、えさはあるから、つかまえてよかったと、思いました。

👍 インコがとつぜん空き地にやってきたのですね。みんなでなんとかつかまえようとしているようすが、よく伝わってきます。あみを使ってつかまえたのはナイスでしたね。みんなでインコに名前をつけたり して、これからかうことにしたのには、なんだかわくわくしますね。 
教室そうじ
  ぼくたちの組は、六人ずつはんにしました。七はんまであります。ぼくは、その中の五はんのはん長です。はん長は、ほうきです。ぼくのほかに、四人います。
  二学期のはじめは、ぼくとあとの二人で、ほうきをやりました。小林君は、ふきそうじです。なんでかっていうと、ほうきは全部で四本。教室そうじのはん長は四人で、ろうかそうじのはん長は一人で、水道もはん長一人で、かいだんもはん長一人で、どう考えても足りません。そしてろう下は一本、水道はつかわないので、あとの三本は教室です。
  そのほかに、バケツ、ふく人がいます。バケツは二人です。あとののこりは、ふきそうじです。昼休みにもはきます。
  ぼくは、ほうきをとりに、ロッカーまで行きました。戸を開けました。「ガチャキーン」と、高い音がしました。ぼくはす早く、ほうきをとって戸をしめました。
  はじめは、昼休みに、教室の前にごみをやります。ほかのはん長が、「いいよ。」といわないとあそべません。やっと、「いいよー。」といいました。
  すると、くさいにおいがしました。ぼくは、
「くせー。」
といって、外へ行きました。何のにおいかわかりませんでした。
「キーンコーンカーンコン、キーンコーンカーンコーン」と、そうじのはじまりのチャイムが鳴りました。ぼくは、早く教室に来て、少しあせがでていました。
  つくえの上のほうきをとった。すると、カバンおきの上に小さくって、赤で少しうすい色のバラがありました。何人かで、においをかいでみました。ぼくは、「いいにおい。」と、いってはきはじめました。でも、昼休みにはいてしまったので、あまりごみはありませんでした。
「つくえをはこんでー。」
と、ほかのはんのはん長のすみ君が言いました。ぼくは、ろうかがわに近い、一、二はんをはきました。つくえを運ぶときほうきは、前にごみをやります。す早くやらないと、ごみが後ろにいってしまって、もとのようにすると、ごみがのこってすっきりしません。
  あきこちゃんが、ゆっくりと、つくえまできて運んでいます。落とし物やキャップがあるので、なかなかはけません。「ギーギーズーゴゴー」とつくえを運ぶと、高い音が出ます。ぼくは、へいきでいます。だって、ごみのことでたいへんだからです。
  運び終わると、ごみが前にちらばっているので、細田君かあらい君が、「早くはけよー。」と、言ったので、ぼくは、一つの所に集めて、ちりとりでとろうとすると、こうちゃんが、「なんで、いつもここに集めるんだよー。」と言います。いっぺんではごみはとれません。いたといたの間にも、えんぴつのしんやけしごむのかすがあります。中にも、きゅう食のかすがあるので、きたないです。
  ごみも、なくなってくると、はん長がまた、「運んでー。」と言います。運び終わると、はん長が、「つくえそろえてくださーい。」と、言います。つくえがそろうと、はん長が、「ならんでー。」と、言います。せの順で、前は女、後ろは男となっています。はん長が、「番号。」といったら、女の人から「一、二、三、四」と、さいごまでいいます。それにつづいて、男の人が、「一、二、三、四」と、いいます。はん長は、男なら男の一番最後で、女なら女の一番最後にいいます。はん長が、「そうじのやくそく、やぶった人」と、いったら、やぶった人は手をあげます。手をあげた人は、のこりそうじをやっ ていきます。「きょうつけー、れー。」と、いったら終わりです。
  こんなふうにして、いつも教室そうじは、おわりになります。

👍 いつもやっている教室そうじのようすを、とてもくわしく書くことができましたね。はん長がほうきというのが決まっているのですね。そうじをする前の教室は、いろいろな物が落ちていて、いろいろなにおいもするのですね。そうじの約束とは、どんなことなのでしょうね。    
3年生作文集
ぬすみ読みしたこと 
 おとといの夜、ろうかにあった、お兄ちゃんのスポーツバックから、少年ジャンプというマンガ本をとってきました。その時、お兄ちゃんは、テレビを見ていました。
  わたしは、少年ジャンプが大すきです。とくに、「リングにかけろ」がすきです。
  そうして見ていたら、お兄ちゃんはまだおふろに入らないので、すみのほうでわたしは、みつからないように、立ち読みしていました。
  お母さんに、
「おふろに入って、早くねなさい。」
と、いわれたので、しょうがなしに、お兄ちゃんはおふろに入りました。
  わたしは、しめたと思いました。わたしはすわって、いちばんさいしょに、「リングにかけろ」を見ました。そうしたら、このマンガのないようは、ボクシングでした。
  日本は、けっ勝せんをはじめるところでした。ギリシャのメンバーで、アポロンというギリシャ人の顔をはじめて見ました。
  おふろばの方で、
「もうでよう。」
と、大きい声がしました。
  わたしは、びっくりしました。そして、早くしまいました。でも、なななかこなかったから、また本を読んでいました。そしたらきゅうに、お兄ちゃんがきたので、わたしはすわっていたざぶとんの下に、マンガ本をかくしました。
  お兄ちゃんは、あたりをうろちょろして、カバンの中をみました。そして、わたしに、「やちよ、そこらへんに、ジャンプなかったか。」
と、言ったのでびくっとしました。
  すると、お兄ちゃんが、二階に行ったので、いそいでマンガ本を、スポーツバックにいれておきました。
  そして、わたしもねどこにつきました。わたしは、あした、おこられるかなあと、思いながら、ねこといっしょにねました。

👍 お兄ちゃんのマンガをこっそりぬすみ読みをしたのですね。お兄ちゃんがおふろから出てきて、急に現れたときのようすや気持ちがよく書かれています。さて、明日はどうなるのでしょうか。              
 おとうさんのしゅじゅつ
 なつやすみに、お父さんが、びょういんにしゅじゅつをしにいきました。
 どうしてしゅじゅつをしたかというと、たばこやおさけをのんだりすったりするのが 多かったから、いがわるくなってしまったからです。
 なつやすみに、おかあさんがびょういんに、とまるということで、わたしたちは、ささ川にとまることになりました。そのとき、わたしは、(おとうさん、だいじょうぶかな。)と思いました。
 十日たったとき、おかあさんから、
「かえってきなさい。」
と、でんわがきました。ささ川のおばあちゃんといっしょに、わたしたちは、おうちにかえりました。
 なん日かたったとき、おとうさんのいっているびょういんへ、おみまいに、おにいち ゃんと、おかあさんと、わたしでいきました。おとうさんは、げんきでした。だけど、声があんまりでません。わたしは、(どうしたんだろう。)と思いました。わたしが、
「おとうさん、げんき。」
ときくと、
「まあまあだよ。」
と、少し小さなかすれた声でいいました。(ほんとかなあ。)と思いました。
 少しして、おかあさんが、
「そろそろかえろうか。」
といったので、わたしとおにいちゃんが、「うん。」 
といいました。
「じゃあ、かえろう。」
と、おかあさんがいったので、わたしが、
「げんきでね。」
といいました。おとうさんが、
「うん、おまえたちもげんきでね。」
と、いってくれました。わたしたちは、「うん。」 
といって、でんしゃでかえりました。
 夜、あんまりねむれませんでした。
 十日ぐらいたって、またおみまいにいきました。一回目は、わたしたちだけだったけど、二回目は、おとうさんのかいしゃの人もきてくれました。びょういんの中は、くすりのにおいで、くさかったです。かいしゃの人が、パイナップルやみかんをくれました。
 おとうさんがしゅじゅつをしたところは、ひだりのこしのところで、一つは小さくて、二つめは少し長くぬってありました。
 おかあさんが、あたらしいパジャマをもっていました。おとうさんは、パジャマをき がえました。おとうさんは、少しげんきでした。
 つぎの日、おとうさんから、でんわがきました。
「あした、たいいんすることになったから、むかえにきてくれな。」
と、げんきなこえで、でんわがきました。
 つぎの日に、むかえにいきました。でんしゃでいきました。
 うちについて、おとうさんのぬいめを見せてもらったら、まだぬいめがはっきり見えました。
 いまのおとうさんのぬいめは、少しなおっています。

👍 お父さんが手術をするので、十日ほどおばあちゃんの家にあずけられたのですね。病院におみまいに行ったときのようすやお父さんを心配する気持ちが、とてもよく書き表されています。そして、一日のできごとではなく、やや長い間にわたってていねいに、くわしく書けたことがとてもすばらしいです。
もずのたまご
 きょねんの九月ごろ、もずのたまごを見ました。白と黒がまざっているたまごでした。白と黒がまざっているたまごは、はじめて見たので、(そんなたまごあったかなあ。)と思いました。
 ぼくは、もずのおやがいないときに、もずのたまごをもってみました。すると、あっ たかかったです。おやは、くちばしでつっついたりはしません。もずのおやは、心のやさしいおやです。
 おやは、まい日、たまがをあたためていました。(おやは、子どもがうまれるまで、ほかの鳥に食べられないように、気をつけていて、たいへんだなあ。)と思いました。(これからは、どんなふうにして、たまごをうんでいるかしりたいなあ。)と思いました。もずのおやは、(早く子どもがうまれてほしいんだなあ。)と思いました。
 もずのおやが、うんでいるすは、かれはでできています。もずのおやは、おこったりはしません。

👍  もずのたまごをよく見つけましたね。白と黒がまざっているたまごがもずのたまごなのですね。親鳥が毎日たまごをあたためているようすを観察したり、そのときに思ったりしたことを書いたのがよいです。         
ぬすびとはぎ
 昼、木をいっぱい切ったところに行きました。
 そこは、広くて、土がべちゃべちゃでした。ゆみちゃんは、へいきで、土をふんで行 きました。ゆみちゃんが、
「早くおいでよ。」
といって、ぼくは、どろどろのほうを歩いて、とぼとぼ歩いて行きました。
 歩いているうちに、ぬすびとはぎがくっついてきました。ちくちくして、まるでせい電気がくっついたように感じました。とってもとっても、ぬすびとはぎは、とれません。
 ゆみちゃんのズボンも、ぬすびとはぎがいっぱいついていました。(ぬすびとはぎは、どうしてくっつくのかな。)と、思いました。
 ゆみちゃんは、ぬすびとはぎがいっぱいついているのを見つけて、
「いっぱいついちゃったなあ。」
と、いいました。
 少したつと、けいちゃんがきて、
「ぬすびとはぎが、いっぱいあるよ。」
と、おしえてくれました。
 そこへ、行ってみると、おおど色のぬすびとはぎがありました。ぼくは、(かれてる みたいだな。)と思いました。
 一どじっけんをしてみたら、ぬすびとはぎが、くっつきました。(どうして、おおど色のぬすびとはぎは、くっつくのかな。)と思いました。
 こんどは、前へ、前へ、とすすんでいくと、草がいっぱいはえていました。草のとなりに、ばらまいてあったぬすびとはぎが、ちょっとちゃ色っぽかったです。
 よく見ると、少しとがっているところがありました。(なんだ、これは。)と思いました。そしたら、ふつうのはりみたいなのでした。(これで、くっつくんだな。)と思いました。

👍 ぬすびとはぎという植物の名前をよく知っていましたね。歩くとズボンにいっぱいくっついて、はなれなくなってしまうのですね。ぬすびとはぎの色や形を、よく観察しているのがいいです。また、どうしてくっつくのかを、発見したことがすばらしいですね。
電せんのすずめ
 一月のはじめごろ、うすいのおばあちゃんたちと、あるいて、いとこをえきにむかえに行きました。
 と中で、おばあちゃんとわたしが、二人で、ほかのみちに行きました。あるきながら、ちょっと上を見たら、すずめが同じ方をむいて、すきまなくとまっていました。
「ねえ、あれ見て。おばあちゃん。」
と、すずめの方をゆびさして、いいました。
 すずめを後ろから見たら、もっきんみたいで、すぐぼうでたたきたくなりました。
 わたしは、電せんの下まで、しずかに行ってみました。そして、上を見ると、足のはばが同じくらいあいていました。
 こんどは、うしろから見てみました。うしろから見たら、すずめは、茶色と白と黒がまじったような色でした。(すずめは、みんなけんかしないのかな。)自分が、けんかするのは、いけないことだとかんじました。
 じっと見ていてもおもしろくないので、また、電せんの下に行きました。そして、すずめのようすを見ながら、そっと足をならしてみました。すずめは、あんまりかんじなかったようでした。だから、一わもとんでいきませんでした。(びっくりして、とんで いっちゃうと思ったのに。)わたしの思ったことは、ちがっていました。
 こんどは、つよく足をならして、電せんのま下に行きました。そして、すべらないように、手をズボンでふきました。そして、つよく「パン」と、手をたたいたら、すずめは、むれをつくって、とんで行ってしまいました。(ああ、もう少しまっていてから、手をつよくたたけばよかったな。)と思って、わたしは、すずめを見ていました。

👍 たくさんのすずめが、電線に並んでとまっていたのを見たのですね。方向を変えて、すずめたちを観察したことがすばらしいです。手をたたいたら逃げてしまったことで、少し悔しがっている気持ちを最後に書いたのがいいですね。           
            
                   
すずめ 
 ひるま、にわのコンクリートのところに、すずめにあげるパンくずを、こまかくして、 いれものに入れました。
 そしたら、すずめが、さいしょに一わきました。
 しばらくしたら、二わが、いっしょにとんできました。
 それから、すこしたったけど、すずめは、もう一わもこないので、(なんで、三わしか、パンくずをたべにこないのかなあ。)と、思いました。
 そこに、ちょうどおとうさんがいたので、
「おとうさん、なんで、すずめが三わしかこないの。」
と、聞いてみたら、
「もうむぎいっぱいできるじきだから、きっとむぎがたくさんなっているところに、むぎを食べに、だいたいのすずめが、いってしまったからだよ。」
と、おしえてくれました。
 わたしは、(すずめが三わしかこなくて、さみしいな。)と、思いました。
 そのうちに、一わもどこかにとんでいってしまいました。わたしは、(あのすずめも、むぎのいっぱいなっているところに、むぎを食べにいってしまったかな。)と、思いました。わたしとおとうさんになれていて、名前をつけていたチュン子も、チュンたも、きていませんでした。
 チュン子は、首によこにちゃ色のせんが入っていて、チュンたは、たてにちゃ色のせんが入っています。(きっと、チュン子とチュンたも、むぎを食べに、いってしまったんだな。)と、にわを見ながら、思いました。
 そしたら、いつのまにか、パンくずがなくなっていました。それで、またパンくずをいれものの中に入れてあげました。

👍 パンくずを入れ物に入れてお庭におき、すずめが来るのを待ったのですね。三羽がきたけど、それ以上は来なかったのですね。お父さんにそのわけを聞いているところがいいですね。また、すずめの特ちょうをとらえて、二羽に名前をつけたことはすばらしいですね。          
 かたたたき
 わたしは、しゅくだいがおわったので、お母さんに、
「かたをたたいて、あげようか。」
と、聞きました。お母さんは、
「いいわよ。やってちょうだいね。」
と、いいました。
 わたしが、りょう手をにぎって、かたをたたこうとしたときです。
「あっ、そうだ。かかたたきの歌を歌おう。ね、お母さん、かたたたきの歌をうたいながらやるね。」
といったら、お母さんが、
「うん、歌いながらでもいいよ。」
と、いいました。わたしは、
 「母さん、おっかたをたたきましょう。たんとんたんとん、たんとんとん、おうえんがわには日がいっぱい、たんとんたんとんたんとんとん、まっ赤なふれっしゅがわらってる、たん、とん、たん、とん、たんとんとん。」
と、口で歌いました。そしたら、
「うまい、うまい、そのちょうし。」
と、お母さんがほめてくれました。
 わたしは、歌をくりかえし、くりかえし歌いました。そして、つかれてきてしまいました。それで、
「もういい。」
と、聞きました。お母さんは、
「まだ、まだ、まだ、まだやって。」
と、いいました。わたしは、「はい。」 
といって、またつづけました。
 歌もくりかえしをして歌いました。一・二・三ばんぐらい歌いました。そして、「もういいかい。もうつかれたよ。」 
と、聞きました。お母さんは、
「もうちょっと、もうちょっとでいいから、かたたたきをつづけてやってちょうだい。」と、いいました。わたしは、「わかったよ。」 
と、すこしつかれた声でいいました。
 わたしは、また歌を歌いながら、かたを、むすんだりょう手で、長ーい時間、ずーーと、ずーーとやって、もうくたくたでくたびれてしまいました。
「もう、いい。」
と、聞きました。お母さんは、
「いいよ。ありがとう。こんどは、陽子のかたをたたいてあげるね。」
といいました。わたしは、(どうしようかな。お母さんのは、ぎゅっとやるしね。それに、いたいしね。)と、心の中でそう思いました。そしたら、
「なにやってんの。」
と、いわれました。わたしは、
「お母さん、たたいて。でも、ふつうよりやさしくね。」
といったら、「いいよ。」 
といって、やってくれました。
 お母さんは、
「陽子、いっしょに、かたたたきの歌を歌おうよ。ね。」
と、さそいこむようにいいました。わたしは、しかたがないので、
「じゃ、歌おう。」
といって、さっき歌った歌を歌いました。
「陽子さん、おっかたをたたきましょう。たん、とん、たん、とん、たんとんとん。おうえんがわには、ひがいっぱい、たんとんたんとん、たんとんとん。」
と歌いました。
 お母さんが、「もう、やめよう。」 
といったので、やめました。(お母さんに、よろこんでもらえてよかった。)と、心の中で、そう思いました。

👍  お母さんにかたたたきをしたときのことを書いたのですね。お歌をうたいながら楽しんででやってるようすが、とてもよく伝わってきます。お母さんは、とてもうれしかったのでしょう。何度もさいそくしていましたね。お母さんがお返しにかたをたたいてくれたことも、よく思い出して書けましたね。お母さんに喜んでもらえてとてもよかったですね。 
インコをさわってみたこと
  金よう日に(インコとあそぼう)とおもって、とりごやからだしました。
  さいしょに、さわってみました。少したつと手が、あったまってきました。ぼくは、
「ポッカ、ポッカ。」
といいました。こんどは、ずかんのインコのからだのしくみをみました。はねのほねの形は、なんまいもかさなっていました。こんど、インコのガッチャンとチャッピの目をみました。きいろのガッチャンのほうは、赤い目でした。(赤い目なんかみたことない)とおもいました。チャッピは、くろい目でした。なきかたをきいてみました。ピルルとなきました。ぼくは、
「おもしろいなきごえ。」
といいました。ずかんのインコのくらしをみました。えさは、キャベツにあわ玉をたべ るみたいでした。ぼくは、キャベツをやってみました。ガッチャンもチャッピもけんかをしてたべていました。あわ玉をやってみました。カリカリいってたべていました。あしのつめは、とがっていました。ぼくは、(おそろしい)とおもいました。くちばしは、下にまがっていました。べろは、ちいさいべろでした。(ずいぶんちいさいなぁ)とおもいました。目のまわりに、かさぶたみたいなものがありました。ぼくは、
「なんだこりゃ。」
といいました。ぼくは、(目をまもるものなのかなぁ)とおもいました。あしは、でこぼこでした。ぼくは、(どうしてだろう)とおもいました。ぼくは、おとうさんに、
「しんぞうは、どこらへんにあるの。」
とききました。
「やっぱり、人げんとおなじさ。」
といいました。ぼくは、
「じゃあ、ここらへんだね。」
といいました。おとうさんは、
「そうだな。」
といいました。おとうさんが、
「おこると頭のはねがたつんだよ。」
とおしえてくれました。ずかんにもそうかいてありました。ぼくは、(ほんとかなぁ)とおもって、インコのしっぽをなんどもひっぱってしつこくしたら、はねがたちました。ぼくは、(ほんとだ)とおもいました。ぼくは、おとうさんに、
「もっとしってることなあい。」
とききました。そしたら、
「うん、しってることまだある。」
といいました。ぼくは、
「おしえて。」
といいました。おとうさんは、
「うん、あのね、インコはね、とりごやにはいるとね、じっとしていられないんだよ。」
とおしえてくれました。ぼくは、
「ふうん、そうなの。」
といいました。ぼくは、
「ようし、やってみよう。」
といいました。とりごやにいれてみたら、あっちにいったり、こっちにいったりしていました。ぼくは、「おもしろい。」 
といいました。(インコっていろんなことするんだなぁ)とおもいました。

👍 インコを鳥小屋から出して、さわってみたり、食べ物を図かんで調べてみたり、いろいろと細かく観察しているところがいいですね。お父さんにも聞いたりして、実際にそれをやってみて確かめるところが、すばらしいです。      
          
                                                          

体調が戻りましたので、再開します!

   6月5日より連載を開始します。お楽しみに。

体調不良によりしばらく休載致します。

体調が回復次第、再開致します。

作品を紹介していきます,よかったら読んでみてください!3月22日から掲載予定

一年作文集

ねるとき、すぐ、げんばくを おもい出してしまって ねれないこと
 先生、
  ぼくって、すぐ、
 ねるときにげんばくのことを
 おもい出しちゃうんだよ。
  「バーン。」
 って、ばくはつするところでしょ、
 「ひろしまのピカ。」        
 って、ほんのおはなしでしょ。
 ねるときだけなんだ。
 あそんでいるときは、
 こわくないんだよ。

👍 ひろしまのピカを読んでもらったときの印象が、とても強烈であったようですね。夜寝るときに思い出すんだね。とてもこわいお話だったんですね。
五月の日記から 
せんせい あのね、
あたしね、がっこうちこくすると、
おかあさん おこりながらみおくってくれるから、
いやだったんだよ。
わたしもおこりたくなるの。
もおー。

一月の日記から
おかあさん 、ずっとまえは、
おこりながら、みおくってくれると、
いやだったんだよ。でもこのごろは、
にっこり見おくってくれるから、うれしいんだ。
だからことしは、
もっとにっこにこに
みおくってほしいな。

👍 一月は、五月と比べるとどちらも生活に余裕ができたんですね。にっこりして見送ってくれるお母さんが好きなんですね。これからも遅刻しないようにお母さんを安心させてくださいね。
                                     
 きゅうしょくののこしたパンをおいしいねとほめられたこと 
きゅうしょくの、のこしたパンを、おかあさんに あげました。
 おかあさんは、「ふつうのパンと あじがちがうよ」といいました。
   ぼくは、パンをやいてたべました。こげてたけど、おいしかった。            
(またのこしてあげよう。)と、おもいます。

👍 おかあさんは、とっても給食のパンが好きなのですね。学校のコッペパンはおいしいですね。やさしい気持が素敵です。                 
 
おかあさんのおなか
せんせいあのね、
うちんちのおかあさんのおなかに、
あかちゃんいるでしょう。そのあかちゃん、
ちょっとおかあさんがやすむと すぐうごくんだよ。
おかあさんがねているとき、
「うごくよ。」 といったから、いって、
おへそのへんを   手でさわってみたんだよ。
そしたら、「ゴロ。」って、
おとがしたみたいにかんじたよ。

👍 お母さんのお腹の赤ちゃんが実際に動いているのを、確かめたことは
 すごいですね。妹か弟ができるのって、とても楽しみですね。
おとうとの一さいのたんじょう日のこと
きょう、おとうとのゆうすけの
たんじょう日なんだ。
でも、きのう、たんじょう日会をしたの。                   
だって、きのうは、せい人の日でおやすみだし、
おとうさんは、いつもかいしゃでおそいから。
おとうさんに、
「ゆうすけのたんじょう日のプレゼントはなあに。」 
ときいたら、おとうさんは、 
「ただ、だっこするだけ。」
といいました。

👍 弟の一才の誕生日の一日前に、お誕生会をやったんだね。お父さんのお休みの日に合わせて家族みんなでお祝いしたんだね。お父さんに聞いた誕生日のプレゼントが、とても最高ですね。
おかあさんの ゆたんぽ
きのうのよる わたしが ねているときに さむかったから わたしが
「おかあさん、さむいよう。」
と いいました。そうしたら おかあさんが
「おいで。」
と いいました。 でも おかあさんが わたしの ところに きてくれました。それで おかあさんの あしを わたしの あしの上に のせました。おかあさんの あしは あたたかかったです。ちょうど 赤い 赤い ゆたんぽのようでした。とっても あたたかでした。でも さむかったから おかあさんのてに わたしのてを くっつけました。とても あたたかかったです。

👍 お母さんのあしは、とってもあたたかくて、ゆたんぽがわりになったんですね。寒い冬の夜は、お母さんの温かな足と手で、温かくぐっすり寝られそうですね。お母さんのぬくもりが伝わってきます。
つくばさんのこうよう
このまえの 日よう日 おかあさんの おともだちと いっしょに いばらきけんの つくばさんに いきました。ついたら かいだんを のぼって じんじゃに いきました。ちかくの はっぱが 赤やきいろに なっていました。すこし すすんで ケーブルカーに のりました。その ケーブルカーは 一本しか はしっていませんでした。 上について まわる てんぼうだいに はいりました。 そして ロープウェーに のりました。下をみたら はっぱが 赤や きいろや みどりに こうようして いました。ロープウェーにのっていた人たちは「きれい。」と いいました。まえからも ロープウェーが きました。おもしろかったです。   

👍 秋の筑波山。ケーブルカーやロープウェイから見た景色は、とてもきれいだったことでしょう。葉っぱの色や人々の様子について書いていることはとっても素晴らしいですよ。今度は歩いて登ってみるのもいいですね。
せんせいのかお
「あら ごみが ついたのかな。」
といって 先生が めがねを はずしました。目がほそくて へんなかおになりました。 「よその人みたいよ。」と わたしがいったら
「じゃ もっと 目がおおきくなあれ。」
といって りょうほうの目を ゆびでひろげました。そしたら 目がぎょろんとしたので みんな大わらいしました。先生は ポケットから はんかちを出して レンズをふきました。そして めがねをかけて
「ああ きれいになった。」
といいました。先生のかおになりました。

👍  先生のめがねを外した顔は、いつもの先生の顔と違って見えたんですね。目がとても細く見えたんだね。先生の言った言葉や、先生がしたことを、とても上手にまとめています。先生の人柄が目に浮かぶようですね。
しもばしら
 休みじかんに ゆうちゃんと あそんでいたら 一年二くみのまえの まつの木の下で しもばしらを 見つけました。
「ゆうちゃん しもばしらだよ。」
とぼくがいったら
「ほんとだ。とっていこう。」
といいました。ほそいこおりのはしらが なんぼんもくっついていて まるでビルみたいでした。
 ぼくは はしらがおれないように おやゆびと人さしゆびを入れて そっと とりました。そしたら ひやっとつめたかったです。ぼくは 手のひらにのせて いそいで 先生に 見せにいきました。そしたら先生が 
「けさは ずいぶん さむいのね。」
といいました。みんなが みにきたけど だんだんとけてきて 水になってしまいました。

👍 しもばしらを見つけて、折れないようにそっとつかんで、手のひらに乗せた所の表現が、とても生き生きと書かれていますね。そして、先生に見てもらおうとしたところや先生の言った言葉が、冬の冷え込んだ朝をよく表しています。
水えい
 おととい 学校から かえってから 大木くんたちと 水えいにいきました。さいしょに ビートバンをもって いたけのびをやりました。
つぎに ビートバンをもって 赤いだいのところまで およいでいきました。そして うしろの人がくるまで 右のほうで まっていいて また たっちしておよぎました。 いきがくるしくて くちに水が 入りそうになりました。とうとう さいごまで がんばりました。
 さいごに クロークをやりました。そのあと カードをもらって かえりました。

👍 水泳を習いにプールに行ったことや、何を練習したかを詳しく書いているところがいいですね。ビート板を持って、顔を水につけて、がんばってけのびで泳いでいる様子がよく分かりますよ。カードは参加した記録帳なのかな。
おてだまつくり
きのうのよる あかあさんとわたしで おてだまを つくりました。
いらないぬのを 三まい おなじながさにきりました。ぬのをいとでぬってから ぬのをひっくりかえしました。それから 中にだいずをいれました。おてだまにだいずを いっぱいいれてきたら  だいずがみんな こぼれてしまいました。おかあさんに
「そっと入れなくちゃだめよ。」
といわれました。だいずを入れたふくろの口を いとでくるくるまわしてから ふさぎました 。

👍 お手玉作りの様子がよく書かれていますよ。糸で布を縫うことができるなんてすごいですね。大豆をいっぱい入れすぎるとこぼれてしまうことも、やりながら分かったのですね。
とかげ
ぼくが とかげを とった。
ちはらせんせいに みせたら びっくりしました。
そうして ぼくは ちはらせんせいを おいかけて ちはらせんせいは またびっくりしました。

👍 ちはら先生は、よほど驚いたのですね。とかげはあまり好きではないようですね。一度びっくりさせて、もう一度びくりさせようと、追いかけたのはすごいです。先生も必死で逃げたんですね。                             

のりちゃんの かき
きょうの 二じかんめの ことです。
のりちゃんの とってきた かきを たべたら 口のなかが へんな かんじでした。のりちゃんは わたしに いいました。
「あまい。」と いったのです。わたしは あまいけど すこし しぶいよ と いいました。のりちゃんは わらいました。どうして わらうのかなあ と おもいました。たべおわったら のりちゃんは うしろに つながって と いいました。わたしは つながって のりちゃんは 
「かきは いらんかね。」
と いいました。わたしも まねして 
「かきは いらんかね。」
と いいました。そしたら じゅんくんと けんじくんと のりあきくんが
「ちょうだい。」
と いったので あげました。そしたら みんな こえを そろえて
「しぶい。」
と いいました。とっても おもしろかったです。

👍  のりちゃんがもってきたかきは、ちょっとしぶかったのですね。のりちゃんは、そのことを知っててくれたのですね。のりちゃんといっしょになって、男子にかきを食べさせたことは、とてもおもしろいです。

しもばしら
学校に出かけるちょっとまえ、パパが、
「そとへきてみなさい。しもばしらができているから。」
というので、ランドセルをしょって出ました。
にわに、しもばしらが、たくさんできていました。
ぼくは、うれしくなって、手でさわってみました。とってもつめたかった。
やわらかい土の下は、キラキラひかるこおりのはしらでした。
 そっとあるいてみると、フワッフワッしていて、くもの上を、あるいているようで、気もちよかった。いきおいよくあるいてみると、バリバリ音がして、おせんべいを、ふんでるようでした。
  学校からかえってみると、しもばしらは、ありませんでした。

👍  お父さんのよびかけで、しもばしらを見にいったのですね。しもばしらのようすと土の下のようすが、とてもいきいきと書かれていますね。歩いてみるとおせんべいをふんでるようでしたという表現がいいですね。
おとうさん
うちの おとうさんは、りょこうから かえってきたら、
「かぜを ひいた。」
と いって、せきを こんこんしていました。
よるになると、おとうさんは、おかあさんに
「おちゃを もってきて。」
とか、
「みかんを もってこい。」
と いって、あまえていました。
 わたしは、それを きいて、くやしくなりました。わたしは、おかあさんに、
「おとうさんばっかし、やさしくしないで。」
と いいました。

👍  お父さん、旅行中にかぜをひいてしまったのですね。お母さんにあまえているという表現がいいですね。お父さんにやきもちをやいている気持ちのあとで、お母さんに言ったせりふがおもしろいですね。
あかいはちまきを せんせいにとられた
さんすうのとき、ぼくは、つくえのなかで、あかいはちまきを いじっていました。「くろかわ、それ、だせ。」
と せんせいが いいました。ぼくは、
「う、うん、うん・・・。」
と いいながら、くびを よこに ふりました。だって、ぼくは、はちまき とられちゃうと、うんどうかいのとき、かけっこなんかに でられなくなっちゃうからです。でも、せんせいは、
「だせ。」
って、いいました。ぼくは、あせりました。目のまえに、でっかい手が でていました。しょうがないから、ぼくの はちまきを だしました。ぼくは、もう かえしてくれないと おもいました。
とられた つぎの日、うんどうかいの よこうれんしゅうのとき、せんせいが、ぼくの あたまに、むすんで くれました。

👍  先生に取り上げられたはちまきは、運動会に使うので、とても焦っている気持ちよく伝わってきます。最後の文に先生のことを書いたのがいいですね。先生のでっかい手は,すごい迫力ですね。
すなあそびのとき、じゃまされたこと
きのう、あつ子ちゃんと、めぐみちゃんと、じどうセンターの 下のこうえんで、ままごとを していました。はっぱのしるを おちゃわんにだして、その上に、すなをかけて、
「ごはんですよ。」
と いいました。そこに、だいぞうくんと、かさいくんが、おいかけっこを してきました。だいぞうくんが、
「みとべだ、にしのだ、にのみやだ。」
と いってから、けしゴムの 小さいくるまで、コップやおさらとか、いろいろなものを だいから おとして、
「うふうふ。」
と わらいました。だから、わたしが、すなばから でて、おいかけたら、だいぞう君 と かさいくんが、どうろに にげて いきました。でも、また きました。(また、おちゃわんや、おさらを、おとすだろう。)と おもって、くやしいから、
「あっち、いけ。」
と いいました。めぐみちゃんたちが、てで、てつぼうのところまで、おして いきました。おいはらってから、  
「あっちいって、よかったね。」
と いって、また あそびはじめました。

👍 ままごとをして遊んでいたら、男の子がじゃましに来たのですね。男の子の言ったことやしたことを、よく思い出して書いているところがいいですね。追いはらって、これでひと安心ですね。
 
おたまじゃくし
あさ、おやまじゃくし みてみたら、てがでてきた。
あわてて、おかあんに ゆったら、おかあさんも あわててきた。
みてみて ゆったら、しぬまねしてたの。
おたまじゃくしの おなかを さわってみたら、うごいて おもしろかったよ。

👍 おたまじゃくしを見ていたら、手が出てきたのですね。びっくりしてあわてている様子が伝わってきます。お母さんもあわててきたという表現がおもしろいですね。死ぬまねという書き方も、よく観察していますね。
たいふう十八ごう  (1)
 たいふうがきて、あまどに つよい かぜと あめが ぶつかって、ばちばちがたがたと、おとがしました。うちのそばの、こうじをしているおうちに かかっているテントが、とれそうになって、そらにまいあがっていました。
せっかくたのしみのかきが、ぜんぶおちてしまいました。とってもとっても もったいなかったです。
 いつもくるすずめや、ちょうちょは、みんなどうしているのかな。すずめならすに もどって、あめのやむのを まってるかな。

👍 台風がきたときの様子がよく書けています。強い風と雨がおそってきているのですね。かきの実が全部落ちてしまったのは、ほんとうに残念でしたね。すずめやちょうちょのことを心配して書いているところがいいですね。
たいふう十八ごう(2)
きのうわたしは、おかあさんとテレビをみていたら、たいふうのおとが びゅんびゅん ざあざあ おとがしました。ガラスがわれそうでした。あまぐもをみると、わたしは こうおもいました。たいふうって こんなことだなあ。
あまぐもをみていたら、あめが ふってきました。
わたしはぶるぶるふるえました。くもがくろくて、わたしはたいふうまんがいたら、やっつけるのになあとおもいました。

👍 台風の音がよく書き表されていますね。雨雲をみて台風のことがわかったのですね。台風のこわさと台風まんをやっつけたいという気持ちが、とてもよく伝わってきます。
たいふう十八ごう(3)
たいふうのおとでおこされました。かぜはひゅうひゅうと すごいすぴいどできたから、まどからてをだすと とばされそう。
 しばらくして かいものにいきました。くるまにのるとき かさをさしてもようふくがぬれて、からだが ぶるぶるふるえて とってもさむかった。
 あしも びしょびしょぬれて、からだじゅうさむかったよ。ちゅうしゃじょうは、うえまでびしょぬれで さっきよりさむかったよ。

👍 台風の時に買い物に行ったんですね。風の音と風のスピードが,台風の強さをよく表しています。雨風にぬれて体がひえてしまったんだね。かぜなどひかないように気をつけてくださいね。 
つきがきれいだったよ
おととい、ぼくが、かいものにいったとき、さかからおりて、でんちゅうがないほうにきた。あかるいから(どうしたんだろう。)とおもって、うえをみたら、つきがひかっていた。(きれいだなあ。)とおもった。

👍 買い物にいったとき、明るいので上を見てみたら、月が光っていたのですね。きれいなお月様が見られてよかったですね。満月だったのかな。
こうさぎ
きょう、こうさぎを かわいいので、いえに いれました。えさを あげたら こうさぎの はが みえました。それで ぱくぱく たべました。
うまれて にしゅうかんになります。めは きのう あきました。あかいめでした。かわいいです。
えさは れたすや にんじんと きゃべつです。おからも おいしく たべます。

👍  こうさぎのかわいい様子がよく書かれています。二週間で目があくのですね。食べるえさについても、くわしく書いているのがいいですね。
うさぎ
わたしは、うさぎの だいすきな、にんじんを あげました。
うさぎは、さきの ほそいほうを たべました。よろこんで たべました。
うまれて 五十日 たちました。ふんも おおきくなりました。ふんは まるくって ころころしてました。うさぎのふんは くろかったです。

👍  うさぎは、にんじんの先の、細い方が好きなんですね。五十日たつとずいぶん大きくなるのですね。ふんの様子もよく書けています。 
みみず
このまえ、こうえんのうらで あそんだの。
ひものつかうあそびで。
ひもが なかったの。それで、めのまえに、ひもみたいなものが おちてたの。それで、さわってみたの。
そしたら、みみずだったの。そのとき、きもちわるかったの。

👍  ひもで遊ぼうと、落ちていたひもみたいなものをひろおうとして、さわってみたら、みみずだった。さぞかし、おどろいたことでしょう。
 たんぽぽ
  きのう、おばあちゃんと
 おはなつみに、いったんだよ。
 それで、たんぽぽが、あったんだよ。
 おはなが、きれいでした。

👍  おばあちゃんとお花つみに行ったのだね。黄色のたんぽぽの花は、とて  もきれいだったことでしょうね。
おみそしる
きのう、おかあさんに
つくってもらった おみそしるは、
しょっぱかったです。

👍 お母さんのいつものおみそしるよりも、きのうのおみそしるは、しょっぱかったのですね。お母さん、忙しかったのでしょうね。
 あめんぼ
  きのう、おにいちゃんと
 あめんぼを、つかまえました。
 あめんぼや、みずすましを、つかまえていたら、
 ころんでしまいました。
  さいごに、にがしてしまいました。

👍 あめんぼやみずすましは、とてもすばしこいから、つかまえるのは大変だったことでしょうね。やっぱり、にげ足も速いんですね。
やさい                                                                               
きのう、はたけで、なすときゅうりと、じゃがいもと、こまつなをとりました。おうちで、なすときゅうりをたべました。

👍  自分の畑で野菜を作ってるのですね。取り立ての野菜はおいしかった
 ことでしょうね。        


あめ
きのう、がっこうに いくとき、のむらこうぷのさかで、
ちゅうりっぷの はなびらみたいに、あめが、はねかえりました。
かえりは、ちゅうりっぷの はなびらみたいじゃ、ありませんでした。

👍 ちゅうりっぷのはなびらみたいなあめ、とってもおもしろい表現ですね。はげしく地面にあたって、はね返ってくる雨の降るようすがよく伝わっ     てきます。帰りは、雨が小降りになったのですね。                                  
へび
 このまえの ことでした。
あさ、がっこうへ いく とちゅうに、 へびが しんでました。 しましまで、三十せんち ぐらい でした。くるまに ひかれて しんだのかな。
へびは きらいだけど、しんだのを みたら、かわいそうでした。

👍 へびが道路に出たために、車にひかれてしまったのですね。へびはきら  いだけど、死んだのをみて、可哀想に思ったのですね。    
                            
ばった
 くさむらで、ばったを みつけました。
かわいくて、かおが とがってて、あしがながくて、
めが すこし よこに でていました。
 つかまえたら、かわいそうになって にがしました。
                                                                               
👍 草むらでバッタをつかまえたのですね。つかまえたバッタのようすがよ
く書けていますね。でも、かわいそうに思って、逃がしてあげたのですね。やさしい気持ちがあらられています。                                        
たこのこと
 このまえのひるから、おとうさんと、たこあげを しました。がっこうのうんどうじょうでしました。
 わたしは、おとうさんに、たこのところをもってもらいました。わたしは、たこのひものところを、もちました。わたしが、
「もう、はなしていいよ。」
と、いいました。そしたら、おとうさんが、はなしてくれました。そのとき、わたしは、はやくはしりました。そしたら、たかくあがりました。
そしたら、「あやちゃん、すごいねえ。」  
と、おとうさんが、いってくれました。

👍 お父さんといっしょに、たこあげをしたのですね。たこをあげるとき
のようすが、とてもよく書かれています。速く走ると、たこは高くあがるのですね。お父さんにほめてもらって、とてもうれしかったことでしょうね。     
                                                                               
おとしだまを もらったこと
 一月三日のとき、あさごはんがたべおわる ちょっとまえに、わたしが、したにいったら、おかあさんと、おとうさんが、ひきだしのまえで、こそこそと、なにかをいれていました。
「なにしてるの。」
と、わたしは、いいました。すると、おかあさんは、
「なんにもしていないよ。」
と、おおきいこえでいいました。それから、また、おかあさんがいいました。
「はい、ちかちゃん。」
と、いいました。そして、おとしだまを、くれました。
「ありがとう。」
と、いいました。

👍 お母さんとお父さんが、こそこそと何かを入れているのを見て、何か気  づいたのでしょうね。お年玉のことで相談していたのですね。お年玉のことは、あげるまでかくしておきたかったのでしょうね。                                         
おなら
 ずっとまえ、よるごはんを、たべようとすると、おとうさんが、大きなおならをしたので、ぼくも、おにいちゃんも、おねえちゃんも、おとうさんも、おかあさんも、みんなで わらいました。
 そのときは、あんまりくさくありませんでした。
 八じになって、おふとんで、ねようとしたら、おにいちゃんが、おふとんの中で、小さなおならをしました。ぼくが、
「くさい。だれがおならしたの。」
といったら、おにいちゃんが、
「はい、おれがしたんだよ。」
 といいました。
 ぼくは、こころから、おもいました。どうして、大きなおならは、くさくなくて、小さなおならは、くさいんだろうと、おもいました。
ぼくは、ふしぎだなあ、とおもいました。
 つぎのあさ、おとうさんにきいたら、
「どうしてかなあ。おとうさんにも わからないなあ。」
といいました。

👍 お父さんのおならは、おとが大きかったので あまりくさくはなかった
   のですね。おにいちゃんのおならは、おとが小さかったのでくさかった
  のですね。ふしぎだなあと思ってお父さんに聞いたことがすばらしいで
   す。ちょっとしたことでも、疑問に思ったり、不思議に思ったりすること                  は、とてもいいことなんです。聞いても分からなかったら、自分で調べてみ     るのもいいですね。     

5月から2年生の作文を掲載します!

二年作文集  

ひばを入れたおぞうに 
 一月一日の昼ごろ、おぞうにを食べました。ぼくは、じょやのかねを聞いていて、十じごろに、おきてしまったからです。ぼくは、「おなかがすうたなあ。」と、いいました。すると、お母さんが、だいどころから、おぞうにをもってきました。ぼくのうちの、おぞうには、何ふうかわかりません。しょうゆあじで、入っているものは、ひば、なっぱ、もち、ぶたにくです。ひばというものは、大こんのはっぱをほしたもので、いつも小さいおさらに入っていす。それをつまんで、つゆに入れて食べます。おばあちゃんが作ってくれるけど、お母さんが作るときもあります。そして、入っているものは、いつもほとんど同じです。
 いっしょに食べた人は、お父さんとお母さんです。お父さんは四はい、お母さんは五はい、ぼくは二はい食べました。ぼくは、(もうちょっと、食べれたかなあ。)と、思いました。

👍 じょやのかねを聞いて寝たのですね。ひばというのは、大根の葉を 干したものを言うんですね。しょうゆ味で豚肉が入っているのは、何風のお雑煮なんだろうね。関東では鶏肉が一般的ですかね。  
おじいちゃん、おばあちゃんのうちで
 おぞうにを食べたこと 

   一月一日に、おぞうにを食べたときのことでした。
  その日は、遠いお父さんのいなかの、みやぎけんのなるごというところにいました。 朝おきてから、お母さんとおばあちゃんは、大いそがしで、おぞうにのしたくをしていました。
  わたしも、おもちをこがさないように、おもちをやいて、手つだってあげました。
  なるごのおぞうにの中みは、せり、大こん、人じん、鳥にく、なるとで、おつゆはしょうゆのおつゆです。
  わたしのうちで、お母さんが作るのは、こまつな鳥にく、かまぼこ、みつばです。
  わたしは、(同じおぞうにでもずいぶんちがうんだなあ。)と、思いました。
 おぞうにを作っているときは、お母さんもおばあちゃんも、お話をしてくれなかった けれど、できあがったときは、
「できたよ。」
と、いって、にこにこしていました。
 おぞうにを食べるとき、お父さんは、
「よしのが手つだってくれたのは、おいしいよ。」
と、いってくれました。

👍 宮城県のおばあちゃんのお雑煮は、せりや大根が入っているのですね。お母さんがつくるのは小松菜やみつばが入ってるのですね。お雑煮は地方によって、作り方がちがっていておもしろいですね。  
          
                
 
おじいちゃん、おばあちゃんのうちで東京ふうのおぞうにを食べたこと
 一月三日ごろに、おぞうにを食べました。
  お母さんが作ってくれました。
  いつもは、だいどころの方で食べるのに、きょうは、テレビの方で食べました。
  おねえちゃんとおにいちゃんとお母さんとお父さんで食べました。
  どんぶりの中を見てみたら、鳥にくのささみのところと、かまぼこ、みつば、ウズラ のたまご、ゆず、大こん、人じん、やいた切りもちが入っていました。
  あじは、しお、しょうゆでついています。
  お母さんは、
 「うちのおぞうには、東京ふうのおぞうにだよ。」と、いっていました。たくさん食べました。おいしかったです。

👍 東京風のお雑煮は、いろいろな具が入っていて、ウズラのたまごもある  のですね。関東ではしょうゆ味が多いのですかね。
           
                          
おばあちゃんが作ってくれたおもちが入っていたおぞうに  
 一月一日、お母さんと、お父さんと妹とわたしとみんなで、テーブルで、おぞうにを 食べました。まるいおちゃわんに、おもちを入れてくれました。おぞうにの中には、大こんと黒いもと赤いおもちが入っていました。うちのあじは、しょうゆあじで、おもちの形は、長方形です。 
  わたしは、赤いおもちと白いおもちを二つ食べました。お父さんは、一番多く食べました。たて山のおばあちゃんが、ついてくれたおもちだから、おいしかったです。 のこったおもちは、かびが出るので、お母さんは、おもちを水に入れていました。

👍  黒いもと赤いおもちというのは、とても珍しいですね。館山のおばあちゃんのおもちは、さぞかしおいしかったことでしょうね。
 おこられちゃった
  ぼくは、おこられた。おかあさんに、おこられた。
  どうして、おこられたかというと、夕方おふろばで、おとうとと足をあら   っている時、おかあさんが、
 「ともゆき、たかゆきの足を、あらって、あげなさい。」
と、いったのに、ぼくは、めんどくさいから、
 「自分であらえ。」
といったら、おとうとが、
 「おにいちゃん、あらって、あらって。」
と、いったのに、ぼくは、あらってやらなかった。それで、とうとう、けんかになってしまった。    
  おとうとは、おゆを、「ジャージャー」だして、あらっていたが、よくあらえなかった。そこへ、おかあさんがきて、
 「二人とも、なにをしてるの。」
と、おこられた。そして、おふろの戸をしめられちゃって、電気もけされちゃった。くらいおふろばで、はじめは、おとうとと話をしてたけど、だんだんこわくなって、ぼくは、おとうとに、「二人で、もっとくっつこう。」といった。ぼくは、おとうとの手を、つないだ。それで、おとうとはなきだした。そしたら、おかあさんが、電気をつけて、戸をあけてくれた。おかあさんが、きゅうに電気をつけてくれたので、まぶしかった。
  ぼくは、おとうとと、けんかをするのを、やめようと思った。そして、このことを、しゅくだいの作文に、かこうと思った。
  おかあさんは、いつもやさしいけれど、(おこると、こわいなあ。)
でも、ぼくは大すきだ。

👍 お母さんに弟の足を洗ってやるようにたのまれたのですね。でも、    
洗ってあげないで、とうとうけんかになってしまった。その時のようすがよく書けています。お母さんにおふろ場の電気を消されたときのようすとお母さんに対する気持ちがよく書かれています。
             
                  
 にくらしい風
  時間中に、すごい風が、ふいてきました。
  外は風が、ビュウビュウゴーゴーとふいているし、へやのまどを風がたたいているし、 と、ぼくがかんしんしていると、いきなり、ストーブが「ドカン」という音をたてたので、ぼくはびっくりして、そっちを見ました。 
  せんせいが、ストーブのそばにいって、いそいでストーブをけして、ななめになったふたとやかんをなおしました。
   そして、しばらくしてから、かがくんが、
 「くさあい。」
といったので、ぼくもみんなのまねをして、
 「ほんとだあ。」
といいおわった時、風のことに気がついて、(さては、風のしわざだなあ。)
とぼくは、にらんで、思いました。
  いくらにらんでいても、風はちっともやすまらないので、ぼくはあたまにきて、(ぼくだったら、ぶったたいてやるのになあ。)と思いました。
(にくらしいなあ。)とばっかり、心でいっていました。でも、風はビュービューとうなっていました。そうして思っていたら、あっとゆうまに、うちにかえる時間になりました。 
  ぼくはふるえながら、歩いていきました。その時は、すっかりわすれていましたが、半分ぐらいのところで思い出して、ドタドタバタバタ、かけていきました。
  やっとでついた時は、おそかったのでがっかりしてしまいました。そだてたチュウリップのめが、たおれていました。「あーあ。」といいました。それだけじゃじゃなくて、おとうとのあつしが、おやつをぜんぶたべたあとでした。
  にくたらしくて、くやしくてたまらないので、これもみんな風のせいだと思いました。

👍 ストーブの音と風とは、どんな関係にあったのでしょうね。それにしても、この風のせいでチュウリップのめがたおれたり、弟におやつを全部食べられたり、風をにくたらしいと思い、八つ当たりするほどのくやしい気持ちがとてもよく伝わってきます。
せんたくものを たたんだ
  きのう、学校から かえって おふろばのところへ 行ったら、たくさん かわいた せんたくものが ありました。わたしの りょう手のなかに 入らないくらいです。
  わたしは、たたんであげようと おもいました。りょう手で せんたくものをかかえて へやへ もってきました。とっても いいにおいがしました。こうすいのような 気もちがいい においでした。
  わたしは、おみせへいって、
「お母さん、せんたくものを たたんでいい。」
と ききました。お母さんは、おみせのどんぶりを あらいながら、
「ああ、いいよ。」
と いいました。せんたくものは、お父さんの シャツや お母さんのくつしたや、わたしや妹のものがたくさんありました。わたしは、
「これは、みわちゃんのもの。これは、お母さんのもの。これは、お父さんのもの。」
と いいながら たたんで かさねました。
  一番むずかしかったのは、お父さんが、おみせできている白い うわっぱりでした。お父さんは、いつもみせで おそばとか、カレーライスを 作っています。だから、いつも 白いうわっぱりを きています。そのうわっぱりが とても 大きいのです。そのわけは、お父さんが 太っているからです。おすもうさんのように 太っているので ようふくも 大きいのです。
  わたしは、立って たたみの上に ふくをおいて、右の方へいったり、左の方へいったりして たたみました。(ずいぶん お父さんの体って大きいなあ。)と おもいました。妹の ズボンの太さと お父さんのようふくの そでの太さと 同じくらいでした。 わたしは、とても(おかしいなあ。)と おもいました。
  みんな たたんでしまったので、妹にいたずらされないように、こたつがおいてある 下のところへ きちんと かさねておきました。
 お母さんが、(「みきちゃん、ありがとう。」といってくれるかなあ。)とおもったら、とても うれしくなりました。

👍  自分からすすんで洗たく物をたたんであげようとしたのですね。お父さんとお母さんは、自分のお店の食堂で働いているのですね。お父さんの上着をたたもうとして、苦労しているようすがとてもよく書き表されています。最後の文のお母さんの言葉を想像して、思ったことをすなおに書いているところがいいですね。                    
おばあちゃんのかた
 お昼ごろ、ごはんがたべおわって、おばあちゃんが、しんぶんをよんでいるとき、わたしが、
 「おばあちゃん、かたもんであげようか。」
と、耳のちかくで、小さな声で、いいました。おばあちゃんが、
 「やってちょうだい。」
と、しんぶんをよむのをやめて、いったので やりはじめました。
  もんでいるとき、わたしは、(おかあさんのかたもんでいるときと、おばあちゃんの かたをもんでいるときはちがくて、あばあちゃんのかたは、やわらかいなあ。)と、思いました。おばあちゃんが、わたしに、  
 「いいきもちだよ。」
と、やさしそうにいってくれました。おばあちゃんは、ほねがごりごりしていました。わたしは、(なんでかなあ。)と思って、(きっととしをとるとやせてきて、こうなるのかなあ。)と、思いました。それで、わたしはどんどんつづけていて、ごりごりしているのと、やわらかくて 気もちいいのがまじっているようで、とってもおもしろかったです。
  おばあちゃんが、
 「つかれたでしょう。」
と、にこにこしながらいったけど、わたしは、まだかたもみをしてあげたいので、「まだつかれてないよ。」 
と、いいました。手がまっかになるまで、おばあちゃんのかたを、もんであげました。わたしは、(おばあちゃんのかたは、なんでごりごりしているのかなあ。)と、ずっと 思っていました。かたもみがおわるころは、手がまっかで、手くびもいたくなりました。おわったら、おばあちゃんが、
「ありがとう。」
と、いってくれました。わたしは、
「うん。」
と、こたえました。

👍 かたをもんだとき、お母さんとおばあちゃんのかたにちがいがあるのがわかったのですね。かたをもんでもらっているときの、おばあちゃんのうれしい顔が、目にうかぶようです。おつかれさまでした。

                              
 せんそう
 冬休み、おじいさんの家にいるとき、おじいさんが、
「せんそうのころのしゃしん、見せてやるよ。」
と、いいました。しゃしんでは、おじいさんが、みどり色ににているふくを、きていました。    
  つぎの朝、おじいさんが、きんこをあけていました。それで、ぼくが、大きな声で、「何してるの。」
と、聞きました。すると、
「せんそうのときのものを見せてやるよ。」
と、いいました。それで、ちゃのまへいくと、かばんのふたをあけて、中を見せてくれました。ゆびわの入れものようなものが、四こありました。そのうちの三こが、くんしょうでした。くんしょうのつけ方をおしえてもらいました。 「くんしょうのつけ方、一番いいものを、まん中にして、あとの二こを、左右につけるんだ。」
と、いいました。あとの一このはこは何か、おじいさんに、
「このはこの中に、何はいってるの。」
と、聞いたら、おじいさんが、
「ひこうきのたまのかけらがはいっているから、あけてみな。」
と、いいました。見ると、色はこげちゃ色でした。そして、かやくのにおいがしました。おじいさんが、
「とまっていたところにあったから、きねんにもってきたんだよ。」
と、いいました。おかあさんが、
「おじいさんは、足のところに、てっぽうのたまの、かすりきずをしたんだよ。」
と、いいました。おねえちゃんが、
「おじいさんのいないとき、さびしかった。」
と、聞きました。すると、いとこのママが、
「さびしかったよ。」
と、いいました。ぼくだったら、(お父さんがいないとき、どう思うかな。)と、思いました。おじいさんが、
「せんそうがおわったとき、二百五十円もらったよ。でも、お年玉よりすくない。」
と、いいました。(ぼくは、せんそうのじだいにうまれないでよかったなあ。)と、思いました。

👍 おじいさんに戦争のころの勲章や飛行機の弾薬のかけらをみせてもらい、とてもいい勉強になりましたね。戦争に行ったおじいさんの話から、おばあさんの話までのつながりが、よく書けています。最後に自分の気持ちを書き表したのがいいですね。  
ぼくのわがまま
 日よう日、おばあちゃんのうちに、いねかりに、いくことになった。じてん車をもっていきたかったから、
「きょう、じてん車をもっていっていいね。」
と、ぼくがおとうさんに、たずねたら、
「トランクに入るならいいぞ。」
と、いった。じてん車をだして、トランクに入れてみたが、タイヤが大きいし、おとうとのせいじのじてん車を合わせると、二台になるから、入れられなかった。けれども、どうしても入れてほしかったので、
「このあいだ、よしのぶにいちゃんなら入れたよ。」
と、ぼくがいったら、おとうさんは、
「あっちこっち、入れなおした。だけど、やっぱり入らなかった。きょうは、じてん車 もっていくな。」
と、おとうさんがいった。
「よしのぶおにいちゃんは、入れきったのにおとうさんは、なんで入れきれないの。」
と、いったら、おとうさんは、
「ほかのにもつもあるから、入らないよ。」
と、いった。ぼくはそれでもわがままをいったら、おとうさんは
「じてん車をもっていかないとこまるなら、もういかなくてもいいよ。」
と、いったのでぼくは、
「じゃあ、いかないよ。」
といって、へやの中にとびこんで、テレビをつけた。だけど、車のエンジンの音が気になって、テレビはろくに見えなかった。
 おふろばのまどからそっと、のぞいてみた。せいじがおとうさんに、なにか話しかけていた。せいじは、ぼくのことをしんぱいして、ぼくをつれていこうね、といってるように、ぼくは思ったが、おとうさんは、とくべつ大きな声で、「あんなわがままなやつは、つれていかなくてもいい。」
と、いって車にのって、ドアをガタンとしめて、エンジンをわざと大きくふかしだした。
  ぼくは、むねがドキドキした。まだおかあさんがのってなかったので、ちょっとあんしんした。おとうさんは、おこったような声で、おかあさんに、
「はやく、のれ。」
と、いった。おかあさんは、ぼくの方をちょっとふりかえって、
「なおちゃんはやくいこう。ほんとうにおいていくよ。」
といったが、ぼくは、またテレビのまえにきて、テレビを見ているふりをした。ほんとうは、すぐ行きたかったけど、わざとすわっていたら、おかあさんも車にのってしまった。おかあさんのドアをしめる音がしたとき、ぼくはむねがまえより、はげしくドキドキした。
 いそいでふろばのところまではしっていったが、車は、ブーンといってしまった。
「うわん。」
とないて、はだしで外にとびだしてみたら、もう車はいってしまって見えなかった。
 ぼくは、びっくりしてむねがはれつするぐらい大声でないていたら、おかあさんが、わらいながらむかえにきていたから、ぼくは、走って行った。

👍 自転車をめぐるお父さんとのやり取りが、じつにくわしく書かれています。自転車がなければ行かないと言ったことから、お父さんの車が出発するまでの心の動きがとてもよく伝わってきます。そして、最後にお母さんが笑いながらむかえに来たとき、走って行ったという書きぶりが最高にいいです。          
かいじゅうごっこをしたこと
  日よう日、じょうくんがあそびにきました。
「木のぼりしようよ。」
と、じょうくんがいったので、はじめました。うめの木にぼくがのぼっていたら、じょ うくんが、
「としかつくん、やっぱりあらおばしの石であそぼう。」
と、いいました。ぼくは、あんまり木もなくて、木のぼりはおもしろくないし、石のほうがおもしろそうだったので、
「うん、そうしよう。」
といって、あらおばしのところに行きました。
  ついてから、さっそくすきな石を目でさがしました。ぼくは、すこし三かくで、でこぼこのある中くらいの高さの石にのぼりました。ぼくが、
「じょうくん、かいじゅうごっこしよう。」
と、いいました。ぼくが二年生だから、おとうさんかいじゅうになって、じょうくんは 一年生だから、おにいさんかいじゅうになりました。おにいさんかいじゅうが、手をこしのところにやって、すこしにごったようなこえで、
「はらがへったから、人げんをたべに行くか。」
と、いいました。だからぼくが、手のゆびをまげて、かいじゅうのつめのようにやって、「おう。」
と、いいました。
 ぼくは、人げんのかわりに、ちっこくてまあるくて、がざがざしてる石を、りょうほうの手で口のところにもっていって、ガブガブとたべました。じょうくんは、ちっこい石を上のほうになげて、ポッととって、その石をたべました。そしたら、おなかいっぱいになったので、おにいさんかいじゅうが、
「はらいっぱいになりましたなあ。とうさん。」
と、人げんのこえとちがうようにいいました。そのとき、ちょっと下を見ていたら、ぴかぴかひかってる石がありました。じょうくんが、
「これは、二人のたからものにしとこうね。」
と、いいました。
 また、かいじゅうごっこのつづきをしました。こんどは、二人でひろいでこぼこ石にのって、上をむいて、りょう手をひろげて、
「がおう。がおう。」
と、なんどもさけびました。ぼくが、
「いくぞ、おにいさんかいじゅう。」
と、めいれいすると、おにいさんかいじゅうが、
「はい。」
と、げん気よくへんじしました。ぼくたちは、りく地に上がって、ぼくのうちのさかを 一しゅうしてはしりました。そしたら、じょうくんが、小さい石があったから、ズレーッとすべってころびました。
「いたい。いたい。」
と、すこしなみだを出してないたから、ぼくはおとうさんかいじゅうだから、
「だいじょうぶだよ。おにいさんかいじゅう。」
といったら、すぐなきやみました。
 また石にのぼって、ぼくが、手を口のところにして、スピーカーのように、
「ガオー、ガオー。」
と大ごえでいったら、じょうくんもまねして、  
「ガオー、ガオ。」
と、わめきました。そしたら、二人の山びこが、
「ガオー、ガオー。」
「ガオー、ガオー。」というのが、きこえてきました。

👍 川にあった石の上に乗って、がいじゅうごっこをして遊んだのですね。石を人間に見立てて、食べてしまうところがおもしろいですね。最後の文で、山びこが聞こえてきたという結びが最高です。               
              
 めだかをひっくりかえしてあそんだこと
  このまえの土よう日、おとうさんがおやすみだから、田んぼにいってめだかとかをとってきました。
  うちでめだかを、ひっくりかえしてあそびました。めだかをひっくりかえしたら、めだかは、ぶつかんないでおよいでいました。ぼくは、(ふつうのさかなは、ひっくりかえすとすぐぶつかるけど、めだかは、ぶつからないからすごいなあ。)とおもいました。ぼくは、こんどヒメめだかをやったら、すぐぶつかっておきあがってしまいました。ぼくは、
「おとうさんちょっときて。」
といいました。おとうさんは、
「いまいくよ。」
といいました。おとうさんがきたから、みせてあげたらヒメめだかは、ぶつかりませんでした。ぼくは、(まえにやったときは、ぶつかったけど、おとうさんにみせてあげたときは、ぶつからないからおかしいなあ。)とおもいました。ぼくは、
「おとうさんもう一かいみてて。」
といいました。やっぱり ぶつかりませんでした。ぼくは、
「やっちゃん。」
とよびました。ぼくは、やっちゃんにやってもらったら、ヒメめだかは、とうとうぶつかりました。ぼくは、
「おとうさんもおかあさんも、ちょっときてよ。」
といいました。またやっちゃんにやってもらったら、ヒメめだかは、ぶつかったけど、チャプンといってはねかえってきました。ぼくは、
「はねかえってきたからすごい。」
といいました。おかあさんも、
「すごいね。」
といいました。ぼくは、よろこびました。こんどは、ぼくが一人でやってみました。そしたらめだかは、ひっくりかえってぶつかりました。ぼくは、「やった。」といいました。おかあさんが、 
「おにいちゃんよくできたね。」
といいました。ぼくは、(めだかがぶつかってうれしいなあ。)とおもいました。ぼくは、きんめだかでやってみました。そしたらきんめだかは、ひっくりかえしても、ひっくりかえしても、ひっくりかえりませんでした。ぼくは、(めだかは、ひっくりかえせばひっくりかえったけど、きんめだかは、ひっくりかえらないからおかしいなあ。)とおもいました。ぼくは、また、
「やっちゃん。」
とよびました。そしてやっちゃんにやってもらったら、やっちゃんもひっくりかえせませんでした。ぼくは、
「おとうさん。」
といいました。おとうさんがきたらぼくは、
「やってみて。」
といいました。おとうさんは、「なにを。」 
といいました。ぼくは、
「きんめだかをひっくりかえすんだよ。」
といいました。おとうさんは、「いいよ。」 
といいました。でも、ひっくりかえりませんでした。ぼくは、
「もう一かいやってみる。」
といいました。おとうさんが、「がんばって。」 
といいました。ぼくは、「がんばるよ。」 
といいました。そしてやってみたら、ついにきんめだかもひっくりかえりました。

👍  めだかを取ってきて、ひっくり返して、ぶつかるかどうかを調 べたりしたのですね。めだかにもいろいろな種類があるのですね。家族そろってめだかと遊んで、本当に楽しそうです。          
 びょういんに 行ったこと
 夕方、ちばしりつびょういんに行きました。
 おばあさんのへやへ行ったら、おばあさんは、ないていました。そばについている人が、
「さっきね、口もきけなくて、こんなだったら、死んだ方がましだ。といって、ないちゃったんだよ。」
と、いいました。
 おばあさんは、かるいびょう気でも、しゃべれないそうです。びょういんにきたときは、目もあかなかったようです。しゃべるときは、口でしゃべらないで、あいずをしていました。ぎゅうにゅうは、はなにくだをして、はなですっていました。
「そのまま、いに入るから、あじがわからない。」
とおばあさんは、あいずしました。(おばあさん、早く元気になってくださいね。)と、わたしは、心の中で思いました。

👍 おばあちゃんの病気は、けっこう重いようですね。しゃべれず、牛乳を鼻ですったりして大変ですね。おばあちゃんのあいずが分かって、自分の思いが書いたあるのがいいですね
 はが とれたこと
 ごはんを食べる前に、ぐらぐらしているところをさわって、もう少しぬけるところです。わたしは、(とろうかな。)と、思いました。
 わたしは、ひっぱりました。少しいたかったけどぬけて、わたしが、
「お母さん、ぬけたよ。」
と、いいました。お母さんが、
「ずうっとつかってたから、ありがとうといいなさい。」
と、いいました。わたしが、
「うん。」と、いいました。わたしは、 
「ありがよう。」と、いいました。お母さんが、 
「外に行って、上になげてごらん。早くはえてくるよ。」
と、いいました。わたしは、わらいながらいいました。
「ほんと。」と、いいました。

👍 自分の歯がぬけて、お母さんに知らせたのですね。外に出て(屋根の)上に投げると、歯が早くはえてくることをお母さんに教えてもらったのですね。昔からそう言われているようです。ずっと使ってぬけた歯に感謝するところがいいですね。            
          
 みの虫を 見つけたこと
 三ごうとうの前で、あそんでいたら、中林さんが、みの虫をもってきたので、
「どこでみつけたの。」
と、きいたら、中林さんは、
「おちてたんだよ。」
と、いいました。みのをさわってみたら、やわらかかったので、(みの虫はいっていな いのかな。)と思って、中林さんがみのを手で切ってみたら、虫がはいっていました。でも、しんでいてちっちゃくなっていました。せなかの色は、くろと白がまざっているような色をしていました。
 そして、しばらくあそんでいたら、へいの上の方に、みの虫みたいな虫がぶらさがっていたので、とってきてさわってみたら、とてもかたいはっぱで できていました。

👍 みの虫を見つけて、いろいろと調べてみたのですね。寒い冬を過ごすために、かたい葉っぱで自分の身を守っているのですね。みの虫を自分の目で実際に観察しているところがすばらしいです。
         
 インコをさわってみたこと
  金よう日に(インコとあそぼう)とおもって、とりごやからだしました。
  さいしょに、さわってみました。少したつと手が、あったまってきました。ぼくは、「ポッカ、ポッカ。」 
といいました。こんどは、ずかんのインコのからだのしくみをみました。はねのほねの形は、なんまいもかさなっていました。こんど、インコのガッチャンとチャッピの目をみました。きいろのガッチャンのほうは、赤い目でした。(赤い目なんかみたことない)とおもいました。チャッピは、くろい目でした。なきかたをきいてみました。ピルルとなきました。ぼくは、
「おもしろいなきごえ。」
といいました。ずかんのインコのくらしをみました。えさは、キャベツにあわ玉をたべるみたいでした。ぼくは、キャベツをやってみました。ガッチャンもチャッピもけんかをしてたべていました。あわ玉をやってみました。カリカリいってたべていました。あしのつめは、とがっていました。ぼくは、(おそろしい)とおもいました。くちばしは、下にまがっていました。べろは、ちいさいべろでした。(ずいぶんちいさいなぁ)とおもいました。目のまわりに、かさぶたみたいなものがありました。ぼくは、「なんだこりゃ。」 
といいました。ぼくは、(目をまもるものなのかなぁ)とおもいました。あしは、でこぼこでした。ぼくは、(どうしてだろう)とおもいました。ぼくは、おとうさんに、
「しんぞうは、どこらへんにあるの。」
とききました。
「やっぱり、人げんとおなじさ。」
といいました。ぼくは、
「じゃあ、ここらへんだね。」
といいました。おとうさんは、「そうだな。」 
といいました。おとうさんが、
「おこると頭のはねがたつんだよ。」
とおしえてくれました。ずかんにもそうかいてありました。ぼくは、(ほんとかなぁ)とおもって、インコのしっぽをなんどもひっぱってしつこくしたら、はねがたちました。ぼくは、(ほんとだ)とおもいました。ぼくは、おとうさんに、「もっとしってることなあい。」 
とききました。そしたら、
「うん、しってることまだある。」
といいました。ぼくは、「おしえて。」 
といいました。おとうさんは、
「うん、あのね、インコはね、とりごやにはいるとね、じっとしていられないんだよ。」
とおしえてくれました。ぼくは、「ふうん、そうなの。」 
といいました。ぼくは、「ようし、やってみよう。」 
といいました。
 とりごやにいれてみたら、あっちにいったり、こっちにいったりしていました。ぼくは、「おもしろい。」 
といいました。(インコっていろんなことするんだなぁ)とおもいました。

👍 インコを鳥小屋から出して、さわってみたり、食べ物を図かんで調べてみたり、いろいろと細かく観察しているところがいいですね。お父さんにも聞いたりして、実際にそれをやってみて確かめるところが、すばらしいです。これからも見たがり屋・聞きたがり屋・知りたがり屋さんを続けていってくださいね。 
 さいとうくんとあそんだこと
  このまえ、がっこうからうちに、かえってくるとちゅうで、さいとうくんとぼくとで、ぺんぺんぐさであそびました。ぺんぺんぐさのはあとがたのところを、しずかにむいて、耳のそばへもってくると、チリチリという音がしました。
  ぼくが、さいしょにむいて、つくりました。さいとうくんが、
「どこにあるの。」
といいました。ぼくが、
「あそこに、あるよ。」
といいました。下のグランドのはじのほうにいって、さいとうくんは、とってきました。さいとうくんは、はあとがたのところをむいて、耳へあてました。ぼくは、
「どっちが大きい音でなるか、きょうそうしよう。」
といいました。さいとうくんが、
「うん、しよう。」
  きょうそうしたら、ぼくとさいとうくんでは、「チリチリ。」とおなじ音でした。だんだん音が、チリチリと小さくなりました。さいとうくんのも、だんだん小さな音になりました。
  フィールドアスレチックのところまできたら、チッチッと小さな音になってしまいました。そうしたら、ぺんぺんぐさのくきが、べとべとになり、つゆがでてきました。さいごにならなくなってしまったので、すててしまいました。
  さいとうくんが、また、あたらしいぺんぺんぐさをとりました。それは、ねっこもついていて、ぺんぺんぐさが、四つもくっついています。ぼくは、
「すごい。」といいました。ぼくは、
「ぼくとさいとうくんでわけよう。」
といいました。さいとうくんは、
「いいよ。」
といいました。わけたやつで、またつくりました。ぼくが下のグランドでとった、もうひとつのぺんぺんぐさとあわせて、耳のところでふってみました。そうしたら、すごい大きなチリチリという音になりました。
  うちにかえってきてからも、大きな音でなりました。だんだんやっていたら、ひとつのときとおなじくらいの、チリチリという音になりました。もうすこしたつと、二つの はあとがたを合わせたぐらいの音になりました。(どうしてぺんぺんぐさは、「チリチリ」って音がするのかなあ。)とおもいました。

👍 学校の帰り道で、ぺんぺん草を見つけて遊んだのですね。ぺんぺん草で音を鳴らすなんてすごいですね。大きな音から小さな音に変わることをいろいろ試したり、どうして音がするのかとふしぎに思ったりしたことが、とてもいいですね。自然物で遊ぶ楽しさを味わうなんてすてきですね。  
えびふらいのしたごしらえ
  わたしが、おかってへいくと、おかあさんが、えびをだしていました。中ぐらいのえ びがたくさんありました。わたしは、
「おかあさん、てつだっていい。」
とききました。おかあさんは、
「てつだってくれるの。たすかるわ。」
とうれしそうにいいました。おかあさんが、
「えびのせなかにくっついている、かわをとって。」
といって、わたしとおかあさんと二人でむきました。おかあさんは、えびのかわをむくときに、えびのあしもいっしょにとれるのに、わたしはかわはむけるのに、あしがくっついてとれません。おかあさんがむいたえびを、ほうちょうでせなかにまっすぐせんを、つけていって、おかあさんが、わたしに、
「せんをつけたえびを、ようじでなかに、えびのごぞうがはいっているからとって。」
といって、おかあさんが、さいしょおてほんをみせてくれました。わたしは、そのとおりにしてやりました。おかあさんのおてほんどおりに、うまくいきました。わたしは、おかあさんに、
「なんでえびのごぞうってながいの。」
とききました。おかあさんは、かんがえながら、
「なんでだろうね。」
といっていました。おかあさんが、
「やっとおわった。」
といって、ごぞうをぬいたえびに、よこにせんを五つぐらいつけて、のばしました。わたしは、
「なんでのばすの。」
ときいたら、
「ふらいをあげるときに、まるまるからだよ。」
といいました。
  おかあさんが、たまごとパンことこむぎこをだしていました。
「ありがとう。もうやらなくていいよ。あとは、むずかしいから。」
といってから、
「いもうとのめんどうみてて。」
といいました。わたしは、
「わかった。」
といいました。わたしは、(えびふらいつくるの、おもしろいなあ。)とおもいました。

👍 お母さんのお手伝いをしたことを書いたのですね。エビの皮を取ったり、五臓を取ったり、よい経験ができましたね。お母さんに分からないところをいろいろ聞きながら、お手伝いをしているところがいいですね。今日はいつもよりおいしいエビフライが食べられそうですね。何だか、エビフライが食べたくなってしまいました。 
しぎょうしきのこと
 しぎょうしきでした。たいいくかんでやりました。はじめてのしぎょうしきでした。二年三くみは、山田先生でした。ぼくは、こころの中で、
(よかったな。よかったな。)とおもいました。 
 それで、こんどは、あたらしい先生のしょうかいをしました。こうちょうせんせいからしょうかいしました。こうちょう先生のとき、ぼくは、こころの中で、(こうちょう先生ずいぶん年をとってるなあ。まえのこうちょう先生のほうが、わかそうだな。でも、ならしののおじいちゃんににているなあ。) 
とおもいました。
 ずうっとやって、ピンポンパンのおねえさんににている先生がいました。ぼくがいおうとしたら、大つきくんが、
「あそこに、ピンポンパンに、にている先生がいる。」
といいました。ぼくは、こころの中で、(せっかくいおうとしたのに。) 
とおもいました。
 ちょっとしたら、おわりました。

👍 二年生になたときの始業式について書いたのですね。お気に入りの先生になってよかったですね。校長先生のことやピンポンパンのおねえさんににている先生のことなど、思ったことをすなおに書いているところがいいですね。習志野のおじいちゃんに似ている校長先生と思ったところがおもしろいです。
 二年三組になって
 しぎょうしきの日の朝、ぼくは、五時ごろに、目がさめました。でも、ふとんの外は さむいので、なかなかおきられなかったです。
 また、二じかんぐらいすると、
「七時ですよ。」
と、おこしにきてくれました。
 そして、ごはんをたべおわって、学校に行くと、みんなは、わらってあそんでいました。それで、きょうしつにはいると、きょうしつのひろさは、一年生のきょうしつとおなじくらいでした。
 ぼくは、二年生になったら、とてもいいきぶんになりました。
 でも、一つだけざんねんなこともありました。それは、一年のときは、そとがよくみえたのに、二年生のきょうしつは、あんまりそんなには、みえませんでした。
 それでも、二年生になって、とてもうれしいです。だって、木のかいだんものぼれるし、つくえは、三つちがくって、それがぼくのつくえになったし、とってもうれしかったです。
 でも、もう二つやなことがありました。それは、トイレそうじをやらなくちゃいけないし、トイレもとおくなったからです。
 でも、まだ、二年生のほうが、とてもいいきぶんです。

👍 二年生になったときの気持ちがよく書けています。二年生になっていいことやいやなことがあるけれど、新しい学年になって、新しい気持ちになれたのが一番いいのですね。トイレそうじがんばってくださいね。 
 おかあさんがふうしんにかかったこと
 ずっとまえのことでした。おかあさんが、ふうしんにかかりました。おかあさんは、かおに、ぶつぶつが、たくさんでて、むらさきみたいないろになってしまいました。わたしのときは、すごくかるくて、ねつもそんなにでませんでした。でも、あかあさんは、四十どもでました。おかあさんは、
「さい子、おつかいに行ってきて。」
と、いいました。わたしは、おかあさんが、ねるかもしれないから、かぎをかけて、出かけました。(きっと、ねつがたかくてくるしいんだな。)と、おもいました。
 おつかいからかえってきたら、おかあさんは、おきていました。
「おかえりなさい。ごくろうさま。」
と、おかあさんがいいました。そのあと、おかあさんは、すぐにねてしまいました。わたしは、おでこにあてていたタオルを、またひやして、のせてあげました。
 よる、おとうさんがかえってきて、びっくりしました。
「あれ、ふうしんなの。」
と、いいました。わたしは、
「うん。そうなの。」
と、いいました。おとうさんは、すぐに、水まくらをたんすの上から出してきて、水と氷を入れて、まくらととりかえました。ねつもはかりました。
 おとうさんは、すぐに、わたしのごはんと、おかあさんのおかゆをつくってくれました。おかあさんが、
「ありがとう。」
と、いいました。わたしは、(おとうさん、たいへんだなあ。)と、おもいました。わたしは、九時ごろねました。おとうさんは、
「あしたは、かいしゃを休まないとだめだなあ。」
といって、おそくまでおきていました。

👍 お母さんが風疹になってしまったのですね。大人になってからの風疹はけっこう大変だそうです。お使いをたのまれたり、おでこを冷やすタオルをとりかえたり、よくがんばりましたね。仕事から帰ってきた父さんの言動もよく書けていて、頼もしいお父さんの姿が目にうかびます。    
 しょっきをふいたこと
 きのう、しゅくだいがおわってから、だいどころにいくとたくさんぬれたしょっきがありました。ぼくは、(ふいてあげよう。)と、おもいました。そして、おかあさんに、
「しょっきをふいていい。」
とききました。おかあさんが、
「ふいていいよ。」
といったので、タオルをとってふきはじめました。
 さいしょに、おさらをふきました。中がわから、ていねいにそとがわにそってふきました。おさらを何まいかふいて、おはしをふきました。おはしは、はしからサッサッとふきました。
 つぎに、べんとうばこをふきました。中も外もきれいにふきました。ほう ちょうは、ゆっくりゆっくりふきました。コップをつぎにふきました。コップを三つぐらいふいておわりました。さいごに、テーブルの上にならべておきました。
 ようまにいったら、おかあさんが、「ありがとう。」 
と、いってくれました。

👍 自分から進んで食器洗いをしたのですね。お皿からはじまってコップを洗い終わるまで、くわしく書いているのがいいですね。最後にお母さんにありがとうと言われたときは、とてもうれしかったことでしょうね。            
くさむしり
 にわを見たら、草でぼうぼうになっていました。
 おどかそうとおもって、しずかにやっていました。びっくりしました。ぶどうの木の まわりが百十本ぐらいありました。その中の三本、すっごくしぶとくて、(すっごい草だなあ。)と、おもいました。
 なかなかぬけないので、シャベルをもってきて、(これでむしれる。)とあんしんしていたら、ねが長くて、むしれませんでした。おにいちゃんにやってもらったら、三本ともかるくぬけました。
 ミミズが出てきたり、何かのよう虫が出てきました。そのほかにも、バッタ、コオロギなど出てきました。ススキの形ににている草が、一番多かったです。おかあさんが出てきて、「がんばったわね。」と、ほめてくれました。まちがえて、花がさくのをぬいてしまいました。また、うめておきました。
 れんがの中がひどかったです。草って、ぬくと、二本はえてくるようなかんじがしました。(草ってつよいなあ。)とおもいました。
 にわが、すっきりしました。

👍 ぶどうの木がお庭にあるのですね。お兄ちゃんに手伝ってもらいながら、いっしょうけんめいに草をむしってるようすが、よく伝わってきます。草むしりをして、いろいろなことが発見できてよかったですね。お母さんをおどかそうと思ってやったのですね。最後にお母さんからほめられて、とてもうれしかったことでしょう。
おりょうり
 おかあさんに、エプロンをつくってもらいました。わたしは、とてもうれしくて、(いっかいつかってみよう。)とおもいました。
 ちょうどそのときに、おかあさんが、ぎょうざをつくっていました。わたしは、「おかあさん、わたしもつくらせて。」 
というと、おかあさんが、「いいよ。」 
といいました。
 ぎょうざのなかみは、ひきにくと、にらの小さくきってあるやつがかきまざっているのです。白くて、うすくて、まあるいものの中に、おなじ大きさに入れました。一番むずかしかったのは、なかみをおなじ大きさにすることです。ほかにも、むずかしいこと があります。白いものをはんぶんにして、さきのまあるいところを、なんかいもなんかいも、少しずつかさねていくところもむずかしかったです。おかあさんは、すらすらやっています。わたしは、(すごいなあ。)とおもいました。わたしは、(おかあさんにま けられない。)とおもいました。
 やくときがきました。わたしは、おかあさんに、「ちゃんとできた。」 
とききました。おかあさんが、
「ちゃんとできたよ。あんしんしな。」
といいました。わたしは、あんしんしました。

👍 お母さんにエプロンを作ってもらったのですね。さっそくそのエプロンを着て、ぎょうざ作りのお手伝いをしたのですね。ぎょうざを作っているときのようすが、とてもくわしく書かれているのがよいです。自分の作ったぎょうざが、焼き上がったときの気持ちがよく出ています。  
きせつのようせい
  十月のときのことでした。
 わたしは、学校からかえると、二年生のくみちゃんの家へ、あそびに行きました。
 あそびに行くと、一年生のひとみちゃんと、めぐみちゃんがいて、人形をちょうどかたづけおわったところでした。
 わたしは、三人に、
「つまらないから、なにかしようよ。」
と、大きなこえで、いいました。
 すると、くみちゃんが、手をたたきながら、
「ようせいになって、あそぼうよ。」
と、いいました。
 わたしたちは、少しかんがえてから、みんなで、
「さんせい。」
と、おなじように、手をたたきながらいいました。わたしが、
「じゃあ、きせつのようせいにしよう。」
と、みんなにいいました。
 くみちゃんが、なつのようせいで、わたしは、ふゆのせいです。ひとみちゃんが、はるです。めぐみちゃんは、おしょうがつでした。
 まず、はるからはじめました。
 ひとみちゃんは、めちゃくちゃのじゅもんをとなえました。それで、うそっこで、花がさいたということにしました。
 つぎは、なつです。
 なつのせいのくみちゃんは、
「このごろ雨がふらないから、雨をふらせましょう。」
と、わらっていいました。そして、やっぱり、でたらめのじゅもんをとなえました。
 つぎは、わたしのばんです。
 ふゆだったので、わたしは、(ゆきをふらせよう。)とおもいました。そして、白い小さいけしごむを、ゆきのかわりにしました。わたしは、ゆきをふらしました。
 つぎは、おしょうがつです。
 おしょうがつにしようとしたら、ゆうがたの五じになっていました。わたしは、(もっとやりたかったなあ。)と、がっかりしながら、かたして、さようならをしました。かえるとちゅう、(またあそびにきて、つづきをやろう。)と、わらいながらおもいました。

👍 季節のようせいになって遊ぶことをよく考えつきましたね。一人一人のようせいの言動を、よく思い出して書いているところがいいですね。楽しいときの時間は、あっという間に過ぎてしまうのですね。また今度、続きをやって遊ぶのがとても楽しみですね。